キリスト教

なぜ、2000年も前の教えを現代人が信じるのか?

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クリスマスミサの教会で感じた違和感に答えを見いだすため門を借りてきた。橋爪大三郎と大澤真幸の対談集「ふしぎなキリスト教」を読み始めた。

冒頭から知りたいポイントがどストライクで説明してくれる。ありがたい本だ。

「まえがき」にこんなことが書いてあった。

「近代というのは、ざっくり言ってしまえば西洋的な社会というものがグローバル・スタンダードになっている状況である。したがって、その西洋とは何かということを考えなければ、現代のわれわれの社会がどういうものかということもわからないし、また現代ぶつかっている基本的な困難が何であるかもわからない」

この近代社会の定義はちょっと目からうろこだ。言われればその通りだが、そのように定義したことがなかった。

「近代の根拠となっている西洋とは何か。その中核にあるのがキリスト教であることは、誰も否定できまい。西洋とは、結局、キリスト教型の文明である」

「近代化とは、西洋から、キリスト教に由来するさまざまなアイデアや制度や物の考え方が出てきて、それを、西洋の外部にいた者たちが受け入れてきた過程だった」

そのうえで、キリスト教を「わかっていない度合い」を指数化すると、おそらく日本がトップになるだろうと分析する。日本があまりにもキリスト教徒は関係のない文化的伝統の中にあったことがその原因だとしている。

「イスラム教とキリスト教の距離は、日本の文化的伝統とキリスト教の距離よりは、はるかに小さい。儒教のような中華帝国を成り立たせている観念は、一神教ではなく、キリスト教徒は全然別のものではある。しかし中華帝国の中心部にあるその観念は、その秩序の辺境にいた日本の伝統的な生活態度や常識と比べれば、どこか着想の基本部分で、キリスト教と似たものをもっている」

「これと比べた時、日本は、キリスト教ときわめて異なる文化的伝統の中にある。つまり、日本は、キリスト教についてほとんど理解しないままに、近代化してきた」

私が教会で違和感を持ったのは、日本人として普通の反応だったということだろう。こうして二人の対談が始まる。

最初のテーマは、「ユダヤ教とキリスト教はどこが違うのか」。橋爪氏の答えは簡潔だ。

「ユダヤ教とキリスト教は「ほとんど同じ」なんです。たったひとつだけ違う点があるとすると、イエス・キリストがいるかどうか。そこだけが違う、と考えてください」

「ユダヤ教の神は、ヤハウェ(エホバともいう)。その同じ神が、イエス・キリストに語りかけている。イエス・キリストは神の子だけれど、その父なる神は、ヤハウェなんです。そのを「父」とか「主」とか「God」とか言っている。ユダヤ教とキリスト教に、別々の神がいると考えてはいけません。ちなみにイスラム教のアッラーも同一の神です」

「人びとは神に対するのに、間に誰かを挟みます。これが、神の言葉を聴く「預言者」。旧約聖書は、イザヤとかレミヤとかエゼキエルとか、もっと古くはモーセとか、いろんな預言者がいたという。彼らの言葉を「神の言葉」と考え、それに従う。するとユダヤ教になります」

「キリスト教も、この態度は、同じです。だから、彼ら旧約の預言者を、みな預言者として認める。でも、その締めくくりに、イエスが表れたと考える。イエスの出現は、旧約聖書の預言者が、やがてメシアがやって来ると、預言していたものです。「メシア」はヘブライ語で、救世主という意味。それをギリシア語、ラテン語に訳すと「キリスト」です」

「「神の子、イエス・キリスト」は、預言者ではない。預言者以上の存在です。なにしろ本人が神(の子)なのですから、自分の言葉がそのまま神の言葉である。神の言葉を「伝える」預言者とは違う。人びとはイエス・キリストをあがめることで、神をあがめることになる。そこで、旧約の預言者は重要でなくなった。なにしろ、神であるイエス・キリストと直接連絡が取れたんですから。この時点で、ユダヤ教とキリスト教が分かれたのですね」

次のテーマは「一神教と多神教」。橋爪さんの説明はこちら。

「日本人は、神様はおおぜいいたほうがいい、と考えます。 なぜか。「神様は人間みたいなものだ」と考えているからです。 で、その付き合いの根本は、仲良くすることなんです。おおぜいと仲良くすると、自分の支えになる。ネットワークができる。これは日本人が、社会を行きていく基本です。このやり方を、人間じゃない神様にも当てはめる。すると、神道のような多神教になる」

「一神教の神は、人間ではない。アカの他人だから、人間を「創造する」んです。 神が人間を創造したのなら、神にとって人間は、モノみたいなもの。所有物なんです。つくった神は「主人」で、つくられた人間は「奴隷」です。人間を支配する主人が、一神教の「神」なんですね。 神は人間と血のつながりがない。全知全能で絶対的な存在。これってエイリアンみたいだと思う。だって、知能が高くて、腕力が強くて、何を考えているかわからなくて、怒りっぽくて、地球外生命体だから。神は地球もつくったぐらいだから、地球外生命体でしょ? 結論は、神は怖い、です。怒られて、滅ぼされてしまっても当然なんです」

そして、一神教の神との付き合い方について、こう続けます。

「一番目に、神は何を考えているか。 これは大事な点だが、預言者に教えてもらいます。 二番目に、神が考えているとおりに行動する。そうやって身の安全をはかる。 神を信じるのは、安全保障のためなんです。神が素晴らしいことを言っているから信じるんじゃなくて、自分たちの安全のために信じる。 神が考えているとおりに行動するには、預言者の言葉が手がかりになる。それが、神との「契約」になります。 だから、神と付き合うには、なれなれしくしたらダメなんですね。まかり間違っても、神と対等だなんて思ってはいけない。いつもへりくだって、礼儀正しくする。自分は神につくられた価値のない存在です、としおらしくしているのが正しい。これが、神と人間の関係の、基本の基本です」

私には、「目からうろこ」の説明だった。教会で感じた違和感はまさに多神教的な感覚で一神教の話を聞いていたことによるのだと思った。

緑に覆われた四季のある日本で暮らす人と、乾燥したパレスチナの大地で暮らす人は、おのずと日々眺める景色も生きていく厳しさにも違いがある。

私もこれまで、世界のさまざまな土地で、荒涼とした無人の風景を見た。大地は渇き、容赦ない日差しを遮るものもない世界。空=天がやたらに広く、強烈な太陽や稲妻など、人間の力をはるかに超えたパワーを感じる瞬間が何度もあった。

人は自分が暮らす世界の中で、思想を醸成する。おのずと環境に負うところは大きい。日本人には一神教は理解しづらいのはよく分かるのだ。

それでも、冒頭触れた「近代化」「西洋化」という文脈の中で、キリスト教を理解することは日本人にも必要なのかもしれない。トランプ時代を迎えるにあたって、一層その重要性を感じる。さらに、本を読み進めることにしよう。

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