私はエヴァンゲリオン世代ではない。
だから、庵野秀明と聞いても特段の感慨はわかないのだが、この番組のタイトルを番組表で見つけた時、「見たい」と思って思わず録画予約をしてしまった。

NHK総合のレギュラー番組「プロフェッショナル 仕事の流儀」。
この日密着したのは、アニメ界のカリスマである『庵野秀明スペシャル』である。
私の予感は的中し、すごいパワーを持ったドキュメンタリーだった。
番組がすごいというよりも、庵野秀明という人間に凄みがあるのだろう。
NHKの公式サイトには・・・
あの『エヴァンゲリオン』がついに完結する。番組は総監督・庵野秀明(60)に4年にわたって独占密着。これまで長期取材が決して許されなかった庵野の制作現場を、シリーズ完結編となる『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で初めて余すところなく記録した。巨匠・宮崎駿をして「庵野は血を流しながら映画を作る」と言わしめるその現場で一体何が起きていたのか?稀代のクリエイターの実像に迫る75分スペシャル。
引用:NHK
4年間に及んだ密着取材。
こんな費用対効果の悪い番組作りはNHKしかできない。
でも、それだけ庵野という人間は難解であり、扱いにくい。

庵野の密着が始まったのは2017年9月28日。
1995年秋に放送されたテレビアニメ「新世紀エヴァンゲリオン」から四半世紀、ついに完結する劇場版映画の制作過程に密着するためだった。
カメラは、庵野が立ち上げた西荻窪にあるスタジオ「カラー」から撮り始めるが、肝心の庵野はほとんどそこにいない。
たまに顔を出しても寝ていたり、会議でも他のスタッフの話を聞いていない。
スタッフが様々なアイデアを示しても、庵野の答えは「いまは分からないよ」。
スタッフたちからは、自然とぼやきが漏れる。
『オッケーさえも言われないしダメとも言われない。ありがちな・・・エヴァンゲリオンあるある。見てはいるんですかね? 見て話をすると、「これじゃないってことが分かった」って言われるんだけど、逆にどうしてこれじゃないって、右に振っていいのか左に振っていいのかすら分かんないから。さてどうしようかなって』
かなりの「変人」、この人と仕事をするのは大変そうだ。
庵野はスタジオとは別に他人を入れない個人の仕事場を構え、エヴァンゲリオンの台本は彼が一人で書き上げる。
最新作の台本も庵野が8年かけて書いたものだという。

「エヴァンゲリオン」がテレビ東京で放送されていた時期、私はパリ特派員として外地にいたためこのアニメのことは全く知らなかった。
大災害「セカンドインパクト」が起きた世界(2015年)を舞台に、巨大な汎用人型決戦兵器「エヴァンゲリオン」のパイロットとなった14歳の少年少女たちと、第3新東京市に襲来する謎の敵「使徒」との戦いを描く。
出典:ウィキペディア
映画として再始動した「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」は、2007年の第一作『序』が150万人、2009年の『破』が267万人、2012年の『Q』が382万人の観客を動員した。
そしていよいよ、完結篇となる『シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇』が今月劇場公開された。
庵野が「プロフェッショナル」の取材を受けたのも、宣伝のためだという。
『Q.なんでドキュメンタリーの取材を受けようと? A. 商売しようと思って。謎に包まれたままだと置いてかれちゃう。面白いですよっていうのをある程度出さないとうまくいかないんだろうなっていう時代かなって。謎に包まれたものを喜ぶ人が少なくなってきてる。 Q. アニメで名を成したという自負は? A. ない。胸を張れるような商売じゃないよ』
「伝説のアニメ」としてあまりにも騒がれるので、私も一応、知識として見た方がいいかとテレビアニメの何本か見たことがあるが、その時は私には刺さらなかった。
しかし、庵野がどれほど全身全霊をかけて「エヴァンゲリオン」を作ってきたのかを、この番組で初めて知った。

ジブリの宮崎駿監督は庵野のことをこう評した。
『宇宙人が来たと思いましたよ。見た瞬間に、ああこいつ面白いって思ったからやれって言ったの』
この時、庵野が任されたのは映画『風の谷のナウシカ』に登場する巨神兵による爆発シーンだった。
ジブリの鈴木敏夫プロデューサーは・・・
『庵野の特徴を一言で言うと、正直な人なんですよ。万年青年。もう60歳になろうっていうのに、大人にならないのよ。大人になりたかったんだろうけど、結局大人になり損ねた人。その苦しさが映画の中に出てくるから、若い人たちは共感できるんじゃない。その生きづらさが』
大人になり損ねた庵野は、新作でアニメの作り方を大きく変えようとしていた。
庵野は言った。
『設計図は最小限のものにしたい。あと設計図の作り方を頭の中で作りたくない。最初にみんな決めたがるの、何をするのか。安心したいから。現場には画コンテがない方がいい』
通常のアニメ制作で用いられる「画コンテ」を作らないというのだ。
庵野は常に常識を破る方法を模索している。
『「ああこうなるんだ」っていう発見がこっちにないと、客も「あっこうなるんだ」っていうのがない。自分が考えてる以上のものは出てこないですよ。 追い込んで追い込んで、もうこれ以上やったらどうなるんだろう。自分のイメージ通りに作ったって面白いこと何もないですよ。自分が考えたことなんて、そんなに面白いものじゃない。それを覆す方がいいんで』
2017年12月11日、東宝のスタジオにセットが組まれた。
電極を身に付けた役者たちにそこで演技をしてもらいながら、モーションキャプチャーの手法でシーンを撮影していく。
狙いは実物のカメラを使って、面白いアングルを探すことにあった。
庵野曰く、アニメはアングルが肝。
『ここにカメラ持ってきたらこんな面白い画になるんだって、アングルだけで勝負。アングルと編集がよければ、アニメーションって止めでも大丈夫、動く必要もない。実写でも、役者がどんなにアジャパーでも、アングルと編集がよければそれなりに面白くもなるよ。 自分がやるよりは、任した方がいい。自分で最初からやると、自分で全部やった方がよくなっちゃう。それ以上のものは出てこない。想像でやるんだったら、最初から画コンテ書いた方が早い。やっぱり頭の中で作ると、その人の脳の中にある世界で終わっちゃうんですよ。その人の外がないんだよね。自分の外にあるもので表現をしたい。肥大化したエゴに対するアンチテーゼかもしれない。アニメーションってエゴの塊だから』
しかし結局、庵野は自らアングルを探り始める。
カメラマンたちが撮るアングルに満足ができなかいのだ。
監督の鶴巻はそんな庵野について・・・
『いったんは人に任せてみようと庵野さんいつも思ってるんですよ。なのにそうならない。最終的には庵野さんが全部塗りつぶしていくし書き換えていくことでしか庵野さんが満足いくものが作れていないのかもなあ。「こうなった方がいいのに」って思った瞬間にクリエイターになっちゃうっていうか』
その鶴巻は、撮影したモーションキャプチャーの映像などを編集して完成状態をシミュレーションする『ピリヴィズ』の編集を任され悪戦苦闘していた。
これが画コンテの代わりとなるのだ。
庵野はその狙いをこう説明した。
『もう何十年もアニメを作ってるんで、みんなもうルーティンなんです、それは僕も含めて。いまアニメの作り方でエヴァを作ったら、たぶん今までの3本の延長のものにしかならない。似たようなものがもう1本できたねって、新しいものになる可能性がすごく低い、僕の中で。もう、それが嫌だ』
結局、庵野はスタッフが作ったプリヴィズに納得がいかず自ら編集室に閉じこもり、プリヴィズを自分の手で一から作り直した。
だが出来上がったプリヴィズについて一部のスタッフから不評意見が出て、庵野は冒頭シーンを脚本の段階から練り直すと言い秘密の作業場に閉じこもった。
庵野の流儀、それは「自分の命より、作品」。
『作品至上主義っていうんですかね。僕が中心にいるわけじゃなくて、中心にいるのは作品なので、作品にとってどっちがいいかですよね。 自分の命と作品を天秤にかけたら、作品の方が上なんですよ。自分がこれで死んでもいいから、作品を上げたいっていうのはこれはある』

テレビの世界で私が感じてきたのは、視聴率を取れるプロデューサーやディレクターは大抵面倒臭い人間だということだ。
人柄が良くて視聴率も取れる人というのはなかなかいない。
つまり、他人に気を遣って妥協するような人間は優秀なクリエイターにはなれないということだ。
その点、庵野はまさにクリエイターそのものである。
他人に厳しいだけでなく、自分に対してはもっと厳しい。
自分の脳で考えることの限界を知り、自分やチームを徹底的に追い込む中で偶然発見される面白い何かを必死で探しているのだ。
「プロフェッショナル」の取材チームに対しても、庵野はこう文句をつけた。
『要するに僕を撮ってもしょうがない時に僕にカメラが向いてるのが気になる。ここは僕が別に中心になっているわけではなくて、監督とかプロデューサーみたいなことはしてますけど、実際には現場で動いてもらうタイプなんですよね。その人たちの戸惑いも面白いんですよ。いかに特殊なことをしてるのかっていうのは、僕は分かってるので僕を撮ってもしょうがないですよね。僕の周りにいる人が困ってるのがいいわけですよ。今までと同じやつなら面白くないですから、僕としては面白い番組になってもらって、作品が面白そうに見えてもらわなきゃ困るんですよ』
本当にこの男、面倒臭い。
この性質は家庭環境で形成されたと言えるかもしれない。
庵野の父親は仕事中の事故で片足を失い、庵野曰く「世の中を憎んでいた」といい、その恨みは子供だった庵野にも向けられた。
欠けたものを埋めるように庵野はテレビを見るようになり、最初に好きになったのが「鉄人28号」だった。
見るだけでなく自分でも絵を描くようになったが、ロボットを描いたら必ず腕とか足が壊れて取れているのが好きだったという。
『「鉄人28号」もよく腕が取れるので、そういうところが好きだったんだなって。どこか欠けてる方がいいと思うのは、僕のおやじが足がかけていたからかなと今思いますけどね。欠けてるものが日常の中にずっとあって、それが自分の親だったっていうのが、全部が揃ってない方がいいと思ってる感覚がそこに元があるのかなと。そういう親を肯定したいっていうのはあるのかもしれないですね』
そして23歳の時に宮崎駿監督と出会い、33歳の時に立ち上げたのが「新世紀エヴァンゲリオン」の企画だった。
主要なキャラクターはみな完璧ではなく、何かが欠けていた。
『本来完璧なはずなのに、どこかが壊れてるとか僕は面白いと思う。面白さって、そういうものだと思う。きれいに作ってもそんなに面白いものにならない、きれいなだけだから。僕の面白いっていうのは、ちょっといびつなところにあると思うんで』
不器用な庵野は心を病み、二度自殺も考えたという。
劇場版の第三作公開後、次回作まで9年もかかった背景にはそんな事情があったのだ。
『映画の監督に必要なことって覚悟だけだと思うので、全部自分のせいにされる覚悟あるかどうか。満足しないっていうことです。ずっと探っていきたい。もうこれで決まったから、ここまでっていう風にはしたくない』

そして番組のラスト・・・。
『プロフェッショナル』の定番の質問「プロフェッショナルとは?」との質問に対して、庵野の答えは・・・
『あまり関係ないんじゃないですか、プロフェッショナルって言葉は。この番組、その言葉がついてるのが嫌いなんですよ。他のタイトルにして欲しかったです。ありがとうございます』
最後まで、面倒臭い男だが、テレビの世界で生きてきた私には実に示唆に富んだ番組である。
「エヴァンゲリオン」、一度通しでちゃんと見てみたくなった。