作家の村上春樹さんが雑誌のインタビューを受けて「コロナ禍が浮き彫りにしたのは、日本の政治家が最悪という事実」と語ったというので、その記事を読んでみる。
すると政治家に関する部分よりも別の発言が妙に私の心に残った。
それはこんな発言だった。
作家というのは元々、ずっと家にいて1人で仕事をしているものです。特に僕は交際範囲が狭いということもあり、コロナでも日常が変わったという感じはありませんでした。
朝起きて、近くを走って、仕事をして、音楽を聴いて、ビールを飲んで、そして眠る。こういう僕自身の生活はほとんど変わりませんでした。
引用:DIAMOND ONLINE「村上春樹氏インタビュー、首相が紙に書いたことを読むだけの日本は最悪」
朝起きて、近くを走って、仕事をして、音楽を聴いて、ビールを飲んで、そして眠る。
「これって、私の今の生活ではないか」
と思ったのだ。
会社を辞めた後の私は、知らず知らずのうちに作家さんのような生活をしている。
ただ、「仕事」という部分がお金銭にならないブログ書きだという違いがあるだけだ。
なるほど、これが作家の日常なんだと思ったら、今の生活が愛おしい気がしてきた。
村上さんの生活で、コロナ禍の今年大きく変化したことといえば、海外に行けなかったことだという。
通常なら1年の3分の1を海外で過ごすがそれができなかったので、今年はラジオの仕事がきちんとできたと総括する。
私も今年、予約していた海外旅行をたくさんキャンセルした。
コロナが終息したら行きたい場所や国がたくさんある。
1年の3分の1は無理かもしれないけれど、なるべく行きたいと思っている場所へ行き、このブログに記録していきたいと思っているので、村上さんの生活スタイルが自分のこれからの人生に参考になりそうだと思いながら、その記事を読んだ。
私の残りの人生で、もう一人お手本にしたい人物がいる。
去年12月、活動中のアフガニスタンで銃弾に倒れた中村哲医師である。
昨日たまたまテレビをつけたら、中村さんを撮り続けたドキュメンタリー番組を放送していた。
BS1スペシャル「良心を束ねて河となす~医師・中村哲 73年の軌跡~」。
私も昔ずいぶんお世話になった「日本電波ニュース」という映像プロダクションが、中村さんを長年追い続けた労作である。
中村さんは北九州の出身。
学生時代は人付き合いが苦手なちょっと変わった人だったという。
しかし盲目の神父さんを慕って教会に出入りするなど子供の頃から人のために何かをしようという考えを持って育ち、医師になった。
転機が訪れたのは30歳をすぎた頃、パキスタンにあるヒンドゥークシュ山脈の最高峰ティリチミール登山隊に医師として帯同したのがきっかけで医療にアクセスできない人たちのことを知る。
そして1984年、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)から派遣される形でパキスタンの辺境ペシャワールに赴任する。
それ以来、パキスタン・アフガニスタンで地道な医療活動に従事し、度重なる戦禍や飢饉にもめげず地元の人たちの生活向上のために尽した。
2010年からは、自力での用水路建設に着手し、苦難の末に地元の人たちの力を集めて総延長25kmの用水路を完成させた。
土木技術について一から勉強して自ら重機の操縦もする中村さんの姿には、意思があれば何歳からでも新しい知識を身につけられるということを教えが詰まっているように感じた。
番組の所々に、中村さんの著書から引用した文章がナレーションとして流れる。
実に巧みな文章であり、自分の頭で考え行動してきた人ならではの蘊蓄に溢れていた。
私には、一箇所に骨を埋めるような地道な活動は向いていないが、中村さんのような尊敬できる日本人を見つけ出し、日本電波ニュースがやったようにその活動を記録し社会に知らせるようなことならできるかもしれない。
残りの人生のキーワードは、お金銭ではなく、何らかの形で誰かの役に立つことである。
それを実現するためにも、まずはコロナに感染することなくこの身動きのできない時期を乗り越えることが肝要だ。
「ポストコロナ」に向けて、今は村上春樹さんのような作家生活を真似しながら、せいぜい英気を養いたいと思っている。