<吉祥寺残日録>大ブームの「鬼滅の刃」を見ながら私が考えたこと #201122

今日は11月22日は「いい夫婦の日」。

今年入籍したばかりの三男が新妻を紹介するため、昨日岡山の祖父母を訪ねた。

でも会えたのはほんの短時間、ちょっとタイミングが悪かった。

新型コロナウィルスの全国的な感染拡大を受けて、日本医師会が「我慢の三連休」を要請するなど医療関係者が一斉に強い行動を呼びかけたため、ついに菅総理も「GO TO キャンペーン」の見直しに初めて言及したのだ。

暑くもなく、寒くもなく、一年でも最高の日和が連日続いているが、旅行するのはちょっとためらわれる社会的な雰囲気が広がりつつある。

まあ当然と言えば当然なのだが、コロナのせいで結婚式も延期となった三男夫婦のことを考えると、少し可哀想な気もする。

私たち夫婦も妻の誕生日に合わせて、来週24日から1泊2日で広島旅行を計画していて、果たしてどうしたものか思案中だ。

そんな冴えない三連休、私は自宅にこもってアマゾンプライムビデオで「鬼滅の刃」を見ている。

にわかな大ブームで、テレビでは「鬼滅の刃」関連の企画が目白押しだが、私は見たこともないので感想の言いようもない。

一度見たいと思っていたところ、アマゾンのプライム会員は無料でテレビシリーズが見られることを知った。

「鬼滅の刃」は、2016年から「少年ジャンプ」の連載が始まった人気漫画で、コミックスの累計発行部数は8000万部の大ヒット、さらにテレビアニメ化されたことで幅広い層にその人気が拡散した。

物語の舞台は大正時代。

鬼に家族を殺された少年・炭治郎が、鬼に変貌した妹の禰豆子を人間に戻すため自ら「鬼狩り」となって人間を食う鬼たちと戦うストーリーだ。

この秋公開の劇場版「鬼滅の刃 無限列車編」は、コロナ禍にもかかわらず映画史上に残る快進撃を続けていて、すでに興行収入は230億円超え、「君の名は。」や「アナ雪」に迫る空前の大ヒットを記録中である。

果たして何が、これほど人々を惹きつけるのだろうか?

アニメを見てまず感じたのは、「ドラゴンボール」とちょっと似ているということだった。

敵味方とも多くのキャラクターが登場し、それぞれの技を駆使して戦う。

息子たちが幼かった頃に大ブームとなった「ドラゴンボール」には私もはまり、子供たちと一緒にアニメ、漫画、ゲームを楽しみ親子の大切なコミュニケーションツールになってくれた。

「鬼滅の刃」と「ドラゴンボール」を比較すると、私個人は「ドラゴンボール」の方が完成度が高いと感じる。

「鬼滅の刃」の悪役である鬼たちはもともと人間であり、「鬼」たちを殺しても爽快感を感じられない。

なんとも言えない「悲しさ」が物語全体を覆っているのだ。

「鬼滅の刃」を見ながら私がまず考えたのは、「鬼」とは何かという素朴な疑問だ。

私は先日、桃太郎に登場する鬼ヶ島のモデルとされる岡山の「鬼ノ城」を訪れた。

その時から、鬼という存在が何となく心に引っかかっている。

鬼は、子供の遊びである「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」、節分の「豆まき」にも登場する身近な悪役だ。

幼い頃から日本人の心に植え付けられているこの「鬼」という存在だが、実はその正体について深く考えたことがない。

鬼ノ城の主は「温羅(うら)」という百済の王子だったと伝えられる。

しかし、悪行を重ねたため「鬼」と見なされ、ヤマトから派遣された吉備津彦命に成敗される。

私は「鬼」についてこう考える。

「鬼」とは時の権力者たちが自らの「敵」を攻撃するために編み出した虚構だったのではないか・・・。

たとえばヤマト王権が全国統一を進める際、邪魔となる地方の豪族や蝦夷を「鬼」を称して征伐する。

仏教や神道の宗教指導者たちが自らの教えに反する敵を「鬼」と呼んで排斥する。

つまり、自らの権力を脅かす存在に貼られたレッテルが「鬼」だったと感じるのだ。

太平洋戦争での「鬼畜米英」も似たようなものだろう。

科学に基づかない漠然とした恐怖、これが「鬼」という名のもとに庶民層にも定着し日本人の心の奥に住み着いたと私は考えている。

「鬼滅の刃」を見ていて感じたことが、もう一つある。

それは、大正時代の街が魅力的だということだ。

物語とは直接関係ないが、アニメの中に登場する街の風情には心惹かれるものがある。

板塀の続く江戸時代と変わらぬ街並みに、街灯や電信柱が違和感なく共存する。

アメリカ軍による空襲で多くの街が焼けてしまい、戦後安っぽい無個性なビルが日本中に立ち並んでしまったが、黒い瓦で統一された大正の街並みはきっと美しかったに違いない。

そういえば、先日テレビの情報番組を見ていたら、若者たちの間でなぜか「昭和ブーム」が起きているという特集をやっていた。

クリームソーダがすごくカラフルになってインスタ上に溢れかえっているらしい。

昭和のレトロな自動販売機、汚い居酒屋や町中華にも若者が集まっているという。

チェーン店ばかりになった無個性な今時の飲食店しか知らない若者たちが、昭和レトロなお店に温かな人間味を感じる気持ちは私にもよくわかる気がする。

私が選ぶようなレトロなお店が、若者たちにもウケるというのはちょっと嬉しいが、私は昭和を飛び越えて大正時代にタイムスリップしたい。

夕方、大相撲の千秋楽を見る。

今場所は、白鵬・鶴竜の両横綱に加え、大関の朝乃山・正代も休場し、稀に見る寂しい場所となった。

そんな中で、初日から圧倒的な強さを見せていた大関・貴景勝と小結・照ノ富士が結びで激突。

照ノ富士が勝って優勝決定戦に持ち込んだが、最後は貴景勝が大関の意地を見せ2度目の優勝を飾った。

それにしても、異常な一年だった。

コロナ禍の大相撲、中止や無観客という過去に経験したことのない異常事態が続いたが、何とかして伝統を守ろうという試行錯誤で危機を乗り切った。

歴史上何度も人間を襲った大規模な疫病も、「鬼」と見なされてきた。

先が見えない絶望的な状況の中でも、決して諦めず愛する人たちのためその時できることを精一杯やり続ける。

「鬼滅の刃」に流れるそうしたメッセージは、コロナ禍を生きる日本人の心に響いたのが大ヒットの1番の理由かもしれない、そんなことを感じた。

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