<吉祥寺残日録>コロナとデジタル #200412

『米アップルとグーグルは10日、スマートフォンを使って新型コロナウイルスの濃厚接触の可能性を検出・通知する技術を共同開発すると発表した。5月に第1弾となる機能を各国の公衆衛生当局向けに提供を始める。日本でも展開する。』

こんなニュースが世界を駆け巡った。

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この記事を読みながら、私はコロナ後の世界を想像していた。

新型コロナウィルスは、世界中で人の動きを止めた。自由に世界を動き回るグローバル化した時代に、こんな危機が待ち構えているとは予想もしていなかった。

人々は自宅に閉じこもり、否応無くオンライン社会が世界中に広がっていく。

今までの常識が根底から問われ始めている。

世界中が同時に同じ難題に向き合うことは滅多にない。だからこそ、それぞれの国の対応を見ると、その国の本当の実力が見えてくるのだ。

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これまでのところ、日本は甚だ心もとない。

スピードが遅い。透明性がない。民間の力も総動員して課題を解決しようという意思も見られない。

武漢で医療崩壊が起き始めた際、「日本ではこんなことは起こりえない」と言っていた専門家たちは何だったのだろう?

「感染のピークを遅らせて、その間に医療体制を整備する」と安倍総理は言っていたのに、未だに医療現場にマスクも防護服もなく、それが供給される目処すら立っていないという失態はどういうことなのか?

「オンラインで在宅勤務しろ」と言われても、判子を押すために会社に行かなければならないという日本社会のどこが、政府が長年目指してきた「ソサエティー5.0」なのか?

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中国は都市封鎖だけでなく、いち早くIT企業を動員して感染の封じ込めに成功した。国家が国民を監視する特殊な社会という側面はあるものの、アリババやテンセントなどのIT技術者が活躍し、人々の行動をスマホで管理する体制を短期間で構築してみせた。

初動では油断したアメリカでも、アップルやグーグルが本格的に動き出した。コロナ対応の世界標準を作り出し、一気に中国を逆転しようと狙っている。

コロナ後の世界では、これまでとは比較にならないほど、デジタルの力が国力を左右することになるだろう。

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その点、日本では、感染を心配した人たちは保健所に電話するしかない。保健所では20人ほどの職員がヘロヘロになりながら、電話応対していて、聞き取った内容をホワイトボードに書いているという。

一体、いつの時代だ。

いつまで経っても、PCR検査の体制は整備されず、データに基づかない場当たり的な対策に国民は翻弄される。

どんな過酷な対策であっても、その決定プロセスに透明性があり、データやサイエンスに基づいた合理的なものであれば、国民は納得して従うだろう。

日本人の強みは、自ら情報を収集し、社会の利益のために自らの行動を律することが得意なことだ。そのためには、可能な限りの情報が公開され、多くの国民がそれを理解し納得する必要がある。

多くの国民はスマホなどデジタルデバイスを日常的に使用していて、政府や自治体には、デジタルをもっと活用することが求められている。電話窓口はデジタルに対応できない高齢者向けだけで良い。

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今回の危機で明確になったのは、日本の行政機関の恐ろしいほどのアナログぶりである。「電子政府」などという言葉はもう10年以上前から聞いていたように思うが、日本の行政サービスのデジタル化は圧倒的に遅れている。

そのため、情報共有も進まないし、データ分析も進まないし、生活困窮者への速やかな援助も進まない。未だに、紙と電話が主役なのだ。

オンライン診療はようやく初診でも認められることになり一歩前進したが、学校休業に伴うオンライン授業はまだごく一部の学校で導入されているだけで、海外と比べても大きく遅れをとっている。

行政機関のデジタル化が進めば、きっと公務員の行なっている多くの非効率な作業が減って、介護や保育といったデジタル化できない現場にもう少し税金を回せるはずだ。

ピンチをチャンスに、これを機会に行政のデジタル化を進めてほしい。

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一方、日本企業のデジタル化の遅れも今回の危機で鮮明となった。

仕事とは何か?

新型コロナウィルスは、そんな根源的な問いを我々に投げかけてきている。

私はいち早く在宅勤務に切り替えた。会社でも「コロナを甘くみてはいけない」と伝えていたが、周囲の反応は鈍かった。そしてテレビ業界でも、ポツリポツリと感染者が確認されるようになった。

ドラマやバラエティ番組の収録が中止されたり、報道情報番組で出演者の座る間隔を広く取るようになったり、ゴールデンタイムでも再放送を編成してみたり、これまでは考えられなかったような事態も起きている。

テレビ朝日の「報道ステーション」の富川キャスターが新型コロナウィルスに感染していたことがわかり、週明けからの番組出演を取りやめるというニュースも飛び込んできた。連日コロナショックを伝えていた当事者が感染したことで、テレビ業界の対応はさらに非常事態の様相を強めるだろう。

それでも、人はこれまでやってきたルーティンを簡単には変えられないものだ。

本来なら、テレビが外出自粛の範を垂れなければならない。

報道情報番組以外は全て再放送にするぐらいの判断は必要かもしれない。懐かしい昔のドラマやバラエティが見られるのも視聴者にとって新鮮だろう。その際に出演者など複雑に絡み合っている権利関係を整理する必要がある。

テレビ業界はある意味、旧態依然としたアナログ社会なのだ。

打ち合わせも対面が基本で大量の紙が消費される。ADさんと呼ばれるアシスタントディレクターの仕事の多くは無駄の塊である。ずいぶん昔から番組制作の効率化が模索されているが、日々の忙しさに忙殺されて立ち止まって考える余裕が現場にはなかった。

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おそらく日本企業の多くも、似たような状況にあるのだろう。

今回のコロナショックがいつ収束するのか、全く見通しも立たない。

しかし、危機を乗り越えた先には、私たちの仕事のやり方も大きく変わっているに違いない。

「それって、会社に行かなくてもできるよね?」

そんな会話が増えるはずだ。

仕事のやり方が変われば、私たちの住まい方も変わる。東京一極集中という都市のあり方も変わるかもしれない。

事実、私がやっている仕事は会社という特定の空間に行く必要が全くないということが今回の在宅勤務ではっきりとわかった。

大型機械を使う工場やお客さんと直接接するサービス業では職場に行く以外の選択肢はないが、オフィスワーカーや営業職は多くの場合、職場以外でもできる業務が多い気がする。

そうした仕事の多くは、デジタルで代替可能であり、将来必要がなくなる仕事かもしれない。終身雇用制の日本型経営もコロナ後の世界では、一段と厳しい局面に置かれるかもしれない。

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世界がコロナショックと戦っている間に、抜本的なデジタル化を進めない限り、コロナ後の世界では生き残っていけないのではないかと強い感じている。

しかし一方で、日本人はデジタルに弱いのではないかというようなことも考えたりする。

真面目でコツコツ工夫を重ねて品質を改善していくことには長けていても、0から1を生み出すようなデジタル的な飛躍というのは、日本人の歴史ではあまり見られない。

日本人はデジタルに弱いのか?

もしデジタルに弱いなら、日本人はどこで存在感を発揮するのか?

私たち日本人の特性が今、問われているのかもしれない。

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