梅雨時の豪雨、残念ながら今年も大きな被害が出た。
今年被災地となったのは熊本県、日本三大急流の一つである球磨川が至る所で氾濫した。
この川は、過去にもなんども人の命を飲み込んできた。

内陸部の中心都市、人吉市は中心部が完全に水に浸かってしまった。
球磨川に沿って線状降水帯が長時間にわたってかかり続け、周辺の山々に降った大量の雨水が人吉盆地で球磨川からあふれ出した。
川沿いに建っていた老人ホームでは避難できなかった高齢者がたくさん亡くなった。

山裾に建てられた多くの住宅でも、土砂崩れによって死者行方不明者がかなり出ているようだ。
毎年のように繰り返される豪雨災害。
今回、気象庁が大雨の特別警報を出したのは7月4日の午前5時前だった。多くの人が眠りについていて、気がついた時にはすでに川の水が溢れ出していた。
気象庁や行政の対応に問題があったのかどうか現段階ではわからないが、前日からテレビの天気予報でも大雨に対する警戒を呼びかけていた気がする。大量の雨が降ることはあらかじめ予想されていたのだ。
でも多くの人は「まあ大丈夫だろう」「避難所のコロナが心配」などと理由をつけて自宅で眠りについた。そして運の悪い人が今回被害にあったということなのだろう。

人命が失われることは、いつでも悲しいことである。
しかし・・・と私は思うのだ。
日本列島は、地震・台風・火山噴火に梅雨や秋の豪雨と、常に自然災害の恐怖と共に生きてきた。考えてみれば、3枚のプレートがぶつかり合ってできた島の上に家を建てて住んでいるのだ。世界中見回しても、そんな場所はそうはない。しかも、その島は台風コースのど真ん中にあって、偏西風の流れによって夏と冬の間には必ず前線が停滞するという自然災害のデパートのような世界でも例を見ない珍しい島なのだ。
川の近くに住むと洪水の危険があることはわかっていながら、普段は川に心を癒され自然の恵みを利用しながら暮らしている。
「わかっちゃいるけどやめられない」
それが人間であり、日本人なのだ。

そんな災害が進行中だった土曜日、私は録画していたテレビ番組を見ていた。
7月1日放送のNHKの歴史秘話ヒストリア「スーダラ節が生まれた」。
タイトルを見て、クレージーキャッツに興味はなかったのですぐに削除するつもりだった。しかし一応ちょっとだけ見てみようと思ったら、意外な話にはまってしまった。
この歌を歌った「無責任男」植木等が浄土真宗の僧侶の子供で、父親が反戦思想の持ち主として逮捕された時期には幼くして僧侶として檀家さんを回っていたというのだ。
植木等さんのイメージが180度変わった。植木さんは青島幸男が書いた「スーダラ節」の歌詞を見て、その歌を歌うことを拒否したという。
その歌詞とは・・・
チョイト一杯の つもりで飲んで
いつの間にやら ハシゴ酒
気がつきゃ ホームのベンチでゴロ寝
これじゃ身体(からだ)に いいわきゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
ア ホレ スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイーラ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スラスラ スイスイスイ
スイスイ スーダララッタ
スーダララッタ スイスイ
久しぶりにこの歌を聴いたが、名曲だと思う。
昭和の高度成長期に育った私も、街中に流れるこの歌を無意識のうちに記憶している。番組で紹介された情報の中で印象深かったのは、当時の男の子たちの「将来なりたい職業」の1位がなんと「会社員」だったという調査結果だ。
まだサラリーマンが憧れの職業だった時代。そんな時代の空気に、「スーダラ節」は見事にハマった。
ユーチューブにアップしてくれている人がいるので、共有させていただこう。
昭和の高度成長期だけでなく、いつの世にも通じる弱さを持った庶民たちが、この歌の中にはいる。令和の今でも、江戸時代でも人間の本性はそんなには変わらないということなのだろう。
そして、植木さんがこの歌を歌うことを最終的に決めたのは、僧侶だった父親の意外な一言だったという。「スーダラ節」の歌詞を聞いたお父さんは、歌うことを悩む息子にこう言ったのだ。
「ちょっと待て すばらしい すばらしい曲だ」
植木が「バカな事を言わないでくれよ。こんな歌がヒットしたら日本はおしまいだよ」と答えると、お父さんは・・・
「いや、これはな我が宗派の宗祖・親鸞聖人の生き様に通じるもんだ」と言ったというのだ。
「親鸞聖人はな90歳まで生きられた。やっちゃいけないことばっかりやってわしゃ死ぬ時がきたと。わしの人生を振り返った時に、“わかっちゃいるけどやめられない”だったと。これが親鸞聖人の一生だ」
なんとあのクレージーキャッツの大ヒット曲の歌詞は、親鸞聖人の教えに通じるものだと言うのだ。
さすが、坊主。うまいことを言う。
でも、そうかもしれない。
人間は本来それほど立派なものではないのかもしれない。わかっていても過ちを繰り返す、それが人間なのかもしれない。

そう思って歌の歌詞を読み直すと、本当に人間が愛おしくなってくる。
2番の歌詞は・・・
ねらった大穴 見事にはずれ
頭かっときて 最終レース
気がつきゃ ボーナスァ
すっからかんのカラカラ
馬で金もうけ した奴ぁないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
そして、3番・・・。
一目見た娘(こ)に たちまちホレて
よせばいいのに すぐ手を出して
ダマしたつもりが チョイとだまされた
俺がそんなに もてる訳ゃないよ
分かっちゃいるけど やめられねぇ
誰でも心当たりがありそうな話だ。
そんなダメなところがあるから、人間はおもしろい。
自分と意見の違う人を「非国民」と呼び、全ての人間を一つの型に押し込めようとする時代に比べ、弱い人間も許される時代のなんと幸せなことか・・・。
失敗しても、またやり直せばいいんだよ。
そうやって日本人は、どんな災害からも立ち直ってきたのだ。

今日は、東京都知事選挙の投票日。
小池さんの圧勝が予想されているが、私も先ほど一票を投じてきた。
コロナに加えて雨が降っているので、ガラガラかなと思って行ったのだが、投票所には次々に人が訪れていてちょっと意外な印象を受けた。

投票する人はソーシャルディスタンスを守って並び、消毒済みの鉛筆をもらって名前を書いた。
立会の係員さんたちは、透明なビニールシートで感染防御だ。
新型コロナウィルスの東京都での感染者が3日連続で100人を超えて増え続ける中で行われた今回の選挙、でもそれほどの緊張感は感じられない。
街を歩けば普通に多くの人が外出している。5月ごろまでの緊張感はもうすっかり消え失せてしまった印象だ。

人間は、所詮「慣れる生き物」なのだ。
それは「生きる術」とも言えるかもしれない。
いろいろ心配事はあっても、まずは仕事をして金を稼いで食べていかなければならない。
人々が活動をしないとお金が回らなくなり、たちまち経済が行き詰まる。政府もこれ以上経済を止められないと判断しているようだし、世界的にも当初の全面的なロックダウンに戻ることはどの国も避けたいと思っているようだ。
「ある程度、コロナで亡くなる人が増えても致し方ない」というのが世界のコンセンサスになりつつあるように私には見える。
結局は、心配な人は家で閉じこもり、大丈夫だと思う人は外に出る。一人一人が注意して自分にあった行動をとるしかないのかもしれない。
確かにじっと家に閉じこもっているのが一番安全なのはわかっているが、それでは生きていけない、それでは我慢できないというのが人間でもある。
「わかっちゃいるけどやめられない」
危ないと言われても、歌舞伎町に行っちゃう人はやっぱり行っちゃうのだ。
それでも、日本の感染状況はアメリカに比べたらまだまだ大したことはない。
もうすぐ感染者数が300万人に達するアメリカの首都ワシントンでは、トランプ大統領主催で独立記念日を祝う大規模なイベントが強行された。
夜には盛大に花火が打ち上げられ、多くの支持者たちがマスクなしで花火を楽しんだという。
「自由の国」アメリカ。
それでも、中国やロシアよりはいいような気もする。
世の中には本当にいろんな人がいる。
「わかっちゃいるけどやめられない」人だけではなく、トランプさんのように「わかっちゃいないしやめもしない」人もいるのだ。
でも、それが人間社会かもしれない。
かくいう私も、そんな「やめられない」一人に仲間入りだ。
普段は平均の日本人に比べても自分の身を律している方だと思っているが、明日から2泊3日で妻と二人沖縄へ旅行に行くことになっている。
去年のふるさと納税で恩納村に納税しホテルの宿泊補助をもらったからだ。もともと今年の5月に行く予定だったが、その時はコロナで断念、他県への移動制限が解除されるのを待って予約を取り直した。
しかし直前になって、連日の新規感染100人超えを受けて、小池都知事が再び他県への不要不急の移動を控えるよう呼びかけた。
あちゃ、という感じだ。が、しかし・・・
「わかっちゃいるけどやめられない」
私の退職祝いを兼ねた沖縄旅行だ。他の海外旅行はことごとくキャンセルした。
不要不急ではあるが、今回だけは行かせていただこうと思っている。
その代わり、沖縄では基本的にホテルから出ず、なるべく人と接触しないで過ごすつもりだ。
でもやはり、辺野古にはちょっと行ってみたい。レンタカーだから大丈夫だろうか?
まあくれぐれも、沖縄の人たちにご迷惑をおかけしないよう注意しながら・・・小さな声で・・・
「行ってきます!」