「日本赤軍」の元最高幹部、重信房子が20年の刑期を終えて昨日出所した。
76歳になった重信は、黒いズボンと帽子、グレーのカーディガン姿、もうすっかりおばあさんだ。

集まった取材陣に対し、「半世紀前にはなったが、人質を取るなど、自分たちの戦闘を第一にしたことによって見ず知らずの人に被害を与えたことがあった。古い時代とはいえ、この機会におわびする。そのことを自分の出発点としてすえていきたい」と述べ、頭を下げた。
私の一回り上のこの世代は、社会主義革命の理想の中で生きた。
今の若者から見ると、全く異質で理解できない世代と感じるのか、それとも一周回って社会変革を目指した先輩として共感を感じるのだろうか?

日本赤軍による「ダッカ日航機ハイジャック事件」が起きたのは1977年、私が大学生の頃だった。
私が大学に入った1976年、キャンパスにはまだ学園紛争のにおいがかすかに残っていた。
「大学の自治」という言葉も当然のこととして語られ、私たちの世代も多少社会を批判的に捉える傾向を抱きながら自由な学園時代を謳歌した。
ただ日本赤軍が唱える「世界同時革命」に共感する空気は全くなく、どちらかと言えば政治から離れ、「イージーラーダー」のような自由な生き方に憧れていた思い出がある。
とにかく毎日が行き当たりばったりで、それでいて将来の不安など何も感じていなかった楽しい日々。
そんな思い出の多いキャンパスライフを共に過ごした大学時代の仲間12人が久しぶりに集まった。
コロナのために一昨年から中断していた定期的な飲み会が3年ぶりにリアルで復活したのだ。
通常3月末の桜の時期にやっていた飲み会だが、今年もオミクロンの目に延期となり、昨日2ヶ月遅れでの開催となった。

場所はいつものようにJR中央線の国立駅近く。
ほぼ3年ぶりに国立駅に降り立つと、目の前に昔懐かしい三角屋根の駅舎が再建されていた。
「おっ!いつの間に?」

調べてみると、国立駅のシンボルとして長年市民に愛されていたこのかわいらしい駅舎が撤去されたのは2006年のことだ。
三鷹〜立川間の高架化にともない、どこにでもあるような近代的で無機質な駅ビルに建て替えられた。
その後、多くの市民から再建の要望があったようで、2020年4月、新しい駅舎の目の前に「まちの魅力発信拠点」としてこの三角屋根の建物が再建されたらしい。
ちょうどコロナのせいで私たちの飲み会が中止となった時期とピタリ重なる。

中を覗くと、私たちが利用していた頃よりもさらに一昔前の内装が再現されているようだ。
国分寺と立川の間に人工的に作られたこの国立という町の歴史などが紹介されているみたいだが、宴会の時間が迫っていたため、じっくり確かめることもなく店へと急ぐ。

駅前のロータリー越しに振り返ると、新旧2つの駅舎が新たな風景を作り出していた。
そういえば学園祭の夜に、素っ裸になってみんなでこのロータリーまでストリーキングをしたことがあった。
世の中の常識に反抗するのが格好良く感じ、バカなことばかり繰り返していた学生時代の記憶が蘇る。
あの頃は何の制約もなく、どこまでも自由で、持て余す若さを訳もなく爆発させたものだ。
当時の日本社会は、ある程度それを許容してくれた。

今はどうだろう?
最近の学生たちは真面目に授業に通う大人しい子が多いと聞くが、そんな彼らがコロナによって長期にわたって大学に通えなくなってしまったわけだ。
私たちシニアの1年と違って、学生時代の1年は途方もなく貴重である。
オンライン授業だけで仲間たちとバカなことをすることも許されず、行動自粛によって失われた時間のなんと残念なことか。
たまたまコロナ時代に遭遇した学生たちには、心からの同情を禁じ得ない。

さて、飲み会の会場となったのは大学通りにある焼肉屋「いなみ」である。
私が幹事として予約を取った。
集合時間の前からポツリポツリと昔の仲間が集まってくる。
私同様すでに会社を辞めた後輩はコロナの中でも旅行三昧の日々を送っていて、前日に秋田から戻ってきたばかりだという。
来月には40日かけて夫婦でヨーロッパ旅行に出かけ、来年初めには南極旅行の予約も取っていると話していた。
また上場企業の監査役を務めている同期は、来月いっぱいで退任しスローライフに入るそうだ。
何事によらず細かくせっかちな男なので、本当にスローライフが送れるのか甚だ怪しいものだが、みんな否応なく会社を離れる歳を迎え、新たな人生をどのように生きるかを模索している。
そんな連中に私はちょっと先輩面をして、この2年間で得た隠居暮らしのコツなどを伝授したのだが、所詮みんな性格も家族の状況も違うのであって、それぞれが自分に合ったリタイア後を試行錯誤しながら作っていくしかないのだろう。

すっかり学生気分に戻って焼肉をたらふく食い、さらに昔懐かしい喫茶店でナポリタンやらドライカレーやらをガンガン食べて、時が経つのをすっかり忘れてしまった。
妻からは、もうすぐ岡山に行ってお年寄りと会うのだから適当に切り上げて帰ってくるよう釘を刺されて出かけたのだが、久しぶりに会う友人たちの近況が面白く、ついつい長話になってしまう。
この飲み会のためにわざわざ大阪や鹿児島から駆けつけた連中もいて、「どうせ泊まるのだからもっと付き合ってくれ」と言って帰らせてくれない。
散々飲み食いした後で、一人が「甘いものが食べたい、かき氷がいい」などと言い出す。
仕方なく、私が知っている吉祥寺のカフェに彼らを連れて行った。

吉祥寺駅南口にある「カフェ・ルミエール」。
「かき氷」ならぬ「焼き氷」で有名な女子に人気のお店である。
最後まで残った3人のおっさんと1人のおばさんを連れ、女性客で混雑するお店に行くと、店員さんはちょっと戸惑った顔をしたものの、ちょうど空いたばかりのソファー席を用意してくれた。
満席の店内にはびっくりするぐらい若い女性ばかり、カップルで来ている男性が2人いるだけだ。
その中で混じって、還暦を過ぎた酔っ払いのオヤジたちがやってきたのだ。
ものすごく場違いだったことは間違いなく、周囲の女の子たちはどんな目で私たちを見ていたのだろう?
しかし、自分たちを客観視できないほどすでに酔っていたのでさほどそんな冷たい視線もさほど気にならず、幸い大声を出すような不届き者もいなかったのでなんとか無事に「焼き氷」にありつくことができた。
みんなこんな店に来たことがないらしく、若い女子だらけの空間とフランベしたかき氷に大感激。
店を出る頃には、「いい社会勉強をさせてもらった」と異口同音に大いに感謝された。

どうしてもオヤジが集まると、行く店は自ずと決まってしまう。
しかし本当は、みんな自分が知らない世界に触れてみたいものなのだ。
会社を辞めれば、サラリーマン時代とは違った「自由」が手に入る。
その「自由」をどのように有効に使うのか?
みんなよりも一足早く会社を辞めた隠居暮らしの先輩として、今後仲間たちにもアドバイスしながら、一緒に楽しいシニアライフを作っていければと思った次第である。