東京パラリンピックが閉幕した。
私はほどんどテレビでパラリンピックを観なかった。
素直に楽しめない自分を感じたからかもしれない。

たとえば競泳のエース鈴木孝幸選手は、東京大会で5つのメダルを獲得した。
100m自由形で金メダル、50mと200m自由形で銀、50m平泳ぎと150m個人メドレーで銅メダル。
先天性四肢欠損で生まれた鈴木選手は6歳から水泳を始め、17歳のアテネ大会からパラリンピックに参加している。
水泳だけでなく早稲田大学にも進学、まさに障害を乗り越えたスーパーヒーローだ。
ただ、選手たちはそれぞれ障害の程度が違う。
どうしても、競技として素直に勝敗に感動できない。

そんな中で、車椅子競技は比較的フェアな印象を受ける。
車椅子テニスの絶対王者国枝慎吾選手。
日本選手団主将として臨んだ東京大会でも、重圧を跳ね除けて見事に金メダルを獲得した。
9歳の時に脊髄腫瘍のため下半身麻痺となった国枝選手も、アテネパラリンピックから連続出場、パラリンピックはベテラン選手の活躍が目立つ。
それが選手層の薄さを表すのか、それとも若さ以上に経験が物を言う世界なのか。
しかしそこがオリンピックのようなワクワク感を生まない理由かもしれない。

それでも、凄いと感じさせるシーンはたくさんあった。
たとえばブラインドサッカー。
ボールから音が出るとはいえ、どうやってあれほど動き回っていてゴールの方向がわかるのだろうと不思議に思った。

パラリンピックならではの種目ボッチャで日本人初の金メダルを獲得した杉村英孝選手。
先天性の脳性麻痺で特別支援学校に通った杉村選手は、誰かの手助けがなければ日常生活もできない体だが、ひとたびボッチャのコートに立てば自由自在に球を扱い狙った通りの場所にコントロールする。
その技術はまさに神業である。

マラソン視覚障害のクラスで金メダルを獲得した道下美里選手。
「5年前の忘れ物を絶対とりにいくぞ、という強い気持ちでみんなで準備してやってきたので、それがとれてすごくうれしいです。最高の伴走者と最強の仲間がいて、ここにたどりついたと思う」
満面の笑顔とともに試合後にそう語った。
小学校4年の時に膠様滴状角膜ジストロフィーを発病し、20代で両眼の視力を失った彼女は、44歳にしてついに悲願の金メダルを手にした。
伴走者の言葉と一本のひもで結ばれただけで、見えない世界を疾走していく。
42.195キロのタイムは3時間0分50秒、オリンピックの女子マラソンの優勝タイムが2時間27分20秒だったことを考えるとすごい記録である。

車椅子ラグビーでは、障害の程度によって選手にポイントが与えられ、障害の重い人も軽い人も一緒にプレーできるように独特のルールが設けられていた。
また女性選手にハンディをつける形で男女が一緒にチームを組みプレーできる点も素晴らしいと感じた。
もっともっと競技を見て、それぞれの選手の物語を知ればパラリンピックをもっともっと楽しめたのかもしれないが、残念ながらそういう気分になれないまま大会が終わった。
おそらく私の中には障害を持つ人に対する理解が足りないのだ。
「五体不満足」がベストセラーとなった当時の乙武さんと昔一緒に仕事をしたことがあった。
しかし当時私が興味を持ったのは、彼の視点を通して社会のバリアフリーを検証することだった。
私自身の障害者への理解を深めようというよりも、当時としては彼の個性、物珍しさが面白かっただけのだろう。

そして今夜8時から閉会式が始まった。
スタートはまずまずだったが、途中から演出は陳腐になった。
どうも予算の関係なのか、オリンピックもパラリンピックも全体的にNHKの歌番組のような演出が目立つ。
それでも主役はアスリートたち。
延期によって開催費用が膨れ上がった以上、式を簡素にする以外はなかったのだろうが、もうちょっと世界をあっと言わせるような知恵が欲しかった。
「多様性」を口で言うのは簡単だが、真に多様性のある社会を実現するためには、私たちの心の中にある健常者の常識を打ち破らないといけないに違いない。
オリパラからどんなメッセージを受け取ったかは、それぞれの生き方に関係していくのだろう。
とにかく、コロナ禍で開催された前代未聞のオリンピック、パラリンピックに関わった全てのスタッフの皆さんには「お疲れ様」と声をかけたいと思う。

ちなみに、東京パラリンピックのメダル数を確認してビックリ。
日本は合計51個のメダルを獲得し、アテネ大会に次ぐ2番目のメダル数となったのだが、ものすごい国がある。
中国である。
金メダル96個を含む207個ものメダルを獲ったのだ。
果たして中国での障害者たちがどの様な扱いを受けているのかは知らないが、パラスポーツ施設が充実し無料で利用できると紹介されていた。
ここでも中国か、と思わなくもないが、パラリンピックに出場する選手たちは一人一人違いがありオリンピックと比べても勝敗にはあまり意味がない。
一人一人がベストを尽くし自分を超える、どんな困難の中でも希望を失わないことだ。

残念だったのは、コロナのためにほとんどの試合が無観客となり、本来ならば多くの子供たちが障害のある世界のトップアスリートたちの姿を目の前で見るチャンスを失ったことである。
日本でも、若い世代は古い世代に比べ多様性を受け入れる素地を持っている。
それが今後、日本社会にしっかりと根付くことを願う。
開会式同様、閉会式でも紹介された「#WeThe15」というメッセージ。
世界人口の15%は何らかの障害を持っていると言う意味だ。
このメッセージを胸にしまって、私もみんなが自由で自分らしく生きられるよう、より良い世界を実現するために少しでもお役に立てるよう生きていきたいと思う。
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