<吉祥寺残日録>岡山二拠点生活🍇 裁判所に出頭して2通の遺言書の検認手続きをしてもらった #230524

今日は、今回の帰省で一番重要なミッションがあった。

3月に亡くなった伯母の相続に関して、2通の遺言書の検認作業を裁判所で行ってもらう日だったのである。

事前に裁判所から連絡をもらい、今日の午前10時半から岡山家庭裁判所で手続きが行われることになった。

問題の経緯はこうだ。

亡くなった伯母には子供がおらず、数年前に私が伯母と養子縁組を結んだことで法律的な相続人は私一人のはずだった。

ところが、伯母が生前2通の遺言書を残していたことが発覚した。

1通は私宛の遺言書で、養子縁組をする前に伯母が自分で書いて仏壇の中にずっとしまっておいたものだ。

伯母の家を訪ねるたびに、伯母は私に「ここに遺言書が入っとるからな」と何度も言ったものだ。

もう1通の遺言書は、伯母の実弟宛に書かれたものだった。

私たちは全く知らなかったが、実弟が自己破産した時に自宅を差し押さえられるのを防ぐために便宜上家を伯母の名義に変えたことがあり、その際に書いた遺言書らしい。

おそらく伯母が亡くなった時にはその家を実弟に譲るという内容だと推察されるが、封がしてあるために勝手に確認するわけにはいかない。

もし万一、その遺言書に「全財産を譲る」と書かれていたら、私たちが今管理している伯母が暮らした家や田畑も実弟のものとなる可能性もあるのだ。

伯母が自分からこうしたスキームを考えたとは思えないので、実弟が主導して伯母に書かせたものと推察されるのだが、肝心の実弟は伯母より先に亡くなってしまっていて、奥さんや息子さんも遺書の存在だけは知らされているものの2人の間でどのような約束がなされていたのかについては全くわからないと言うのだ。

私たちも困って弁護士に相談したところ、まずは遺言書の中身を確認するのが最初だと言われ、裁判所で遺言書の検認という手続きをするようにアドバイスされたというわけだ。

厄介なことにならねばいいがと心配しつつ、少し早めに裁判所に向かった。

岡山家庭裁判所は、岡山市の中心部にある裁判所の建物の5階にある。

あらかじめ裁判所から郵送されてきた書類を持って受付に行くと、まず最初に私宛の遺言書を検認し、続いて実弟宛の遺言書を見るという。

検認の場に立ち会えるのは、遺言書の名義人および法定相続人に限られるということで、妻は待合コーナーで待ち、私一人が部屋に案内された。

10時半より少し前、担当の裁判官と書記官が部屋に入ってきた。

裁判官は女性、書記官は男性である。

女性裁判官はマニュアル通り、遺言書をいつ、どのようにして発見したかと質問した。

私は伯母から生前何度も遺言書を見せられ、仏壇の引き出しに入っていることを知っていたと答えた。

そしていよいよ、遺言書を開封してもらうために裁判官に手渡す。

裁判官は封筒に書かれた文字を示しながら、「これは誰の筆跡だと思いますか?」と質問した。

私は念の為、伯母が書いた日記を持参していたので、その文字と照らし合わせながら「養母の字だと思う」と答えた。

遺言書が裁判官から書記官に渡され、書記官が丁寧に開封する。

中には細長い横書きの一筆箋が3枚入っていた。

2枚は何も書かれておらず、一番上の紙に「遺書」と書いてある。

遺言書と書くところを間違って遺書と書いてしまったらしいのだが、それで遺言書の効力が失われることはないそうだ。

中身は、岡山市東区の不動産および動産全部を私に相続させると書いてあった。

日付は平成27年1月2日、今から8年前に書かれたものだ。

裁判官はその「遺書」を私に示し、「この文字と印鑑はだれのものかわかりますか? わからなければわからないと答えてください」と言った。

印鑑は伯母の実印に間違いなく、「私は養母のものだと思う」と再び答える。

これで、私宛の遺言書についても検認手続きは全て終了した。

「検認」とは遺言書の有効・無効を判断するものではなく、単に遺言書の形状や内容を裁判所が確認記録し、遺言書の偽造などを防ぐことを目的とする手続きだという。

裁判官は封筒が開けられた形跡がないかをチェックし、発見した状況などを所有者に確認し、一連の質疑を終えると遺言書のコピーを取って裁判所で保管をするのだ。

こうした手続きには30分ほど時間がかかり、それを終えた後、裁判所が発行する「検認済証明書」ととともに遺言書の現物が遺言書の名義人に返還される。

もしも遺言書の有効性に異議がある人がいれば、裁判を起こして法廷で争うことになるのだが、その時に遺言書を裁判所で開封した証拠として検認済証明書が効力を発揮することになるのだ。

私宛の遺言書の検認作業が終わるとすぐに実弟宛の遺言書の検認に移った。

年老いた実弟の妻が一人で部屋に入ってきて、私は法定相続人として同席する。

裁判官は私の時と同様に、いつ、どのようにして遺言書を発見したかと質問し、筆跡が誰のものかを問うてから、遺言書の開封を書記官に命じた。

実弟宛の遺言書には、「岡山市南区の不動産を実弟に相続させる」と記されていた。

遺言書が書かれた日付は私宛のものと同じ日、しかも封筒も便箋も書式も全く同じで、2つの遺書は明らかに同時に書かれたもののようだった。

おそらく、伯母と実弟が相談しながら作ったものなのだろう。

でも、2つの遺言書の内容が明確に違っているため、これで心配していた相続上のトラブルは回避できると思った。

あとは、実弟の奥さんと息子さんが暮らしている南区の不動産について「遺贈」と呼ばれる手続きを法務局でやってもらえば事は全て解決するはずだ。

「遺贈」とは遺言に則って法定相続人以外の人に遺産を相続させることである。

私はこうしたことには全く疎く、お恥ずかしながら今回のことで初めて「遺贈」という言葉を知ったぐらいだ。

実弟の奥さんも私以上にこの手のことが苦手らしく、「あとは法務局で遺贈の手続きを進めてくださいね」と伝えてもただただ途方に暮れている様子で、大丈夫かなと心配になる。

まあ誰しも、人生で何度も相続に関係することはない。

ましてや事情を知っている旦那さんが死亡しているため、奥さんとしてもどうしていいのか困ってしまう気持ちはわからなくはないが、自分が住む家のことなので先方でちゃんと手続きをしてもらわないといつまでも相続が終わらなくなってしまう。

とはいえ、これで私たちが管理することになった岡山市東区の家や農地については、疑いの余地なく私が相続することが確定した。

手回しのいい妻はそれを見越して明日法務局の予約を取っている。

粛々と相続の手続きをして、なるべく早く不動産の登記を進めたいと思う。

田舎では、所有者が亡くなっても不動産の名義変更をしないまま何代も放置されている農地が少なくないという。

そのため、増え続ける空き家や耕作放棄地は誰が所有者がわからないケースが少なくないようだ。

しかしそうした状況は、これまで放置してきた政治や行政に責任がある。

政府もやっと重い腰を上げ、相続手続きを行わない不動産について罰則を設ける方向で動き出したようだ。

当たり前のことだろう。

伯母の不動産のように、市街化調整区域にあって売買も難しい土地はある意味では厄介者、管理に手間とお金がかかるだけで相続したい人がいないというのも理解できる。

私たち夫婦のように、隠居生活の柱として畑仕事を楽しもうという人にはありがたいが、今後ますます相続人のいない不動産は増えていくだろう。

こうした土地を国が接収して国有地にしていくように法律の整備する以外、解決策はないのではないだろうか。

もちろん国有地の管理にもお金がかかる。

日本政府にはお金がない。

いずれにせよ大変な難題だが、農林水産業を担う人たちが10年もすれば激減することがわかっているので、まさに待ったなしの日本の緊急課題である。

月一農業

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