今日で5月も終わり、朝から雨が降っている。
昨日までの暑さが嘘のように、ひんやりとした空気が気持ちいい。
私が会社を辞めてから来月で2年となる。
妻の不眠症をきっかけに哲学に興味を持つようになり、YouTubeで見つけた書評ユーチューバー「アバタロー」さんの解説で「世界三大幸福論」のエッセンスに触れるようになった。
おかげで、妻の不眠症も少し改善したようで、明日から一緒に岡山に帰省できそうだ。

イギリスのラッセル、スイスのヒルティに続き、三大幸福論の著者3人目はフランスのアランである。
アランというのはペンネームで、本名はエミール=オーギュスト・シャルティエという。
1868年3月3日生まれということで、私よりもちょうど90歳ほど年上ということになる。
フランス北部ノルマンディー地方の人で、高校教師として哲学を教えながらルーアンの地元紙『デペーシュ・ド・ルーアン (Dépêche de Rouen)』に週1回コラムを執筆するようになった。

文学や美学、教育、政治など幅広いテーマについて綴ったこの短いエッセイ形式のコラムは「プロポ (propos)」と呼ばれ、このうち幸福に関する「プロポ」をまとめたものが代表作である『幸福論』なのだ。
アラン哲学の特徴は、体系化を嫌い、具体的な物を目の前にして語ろうとしたことだそうで、中身の差はあるものの、私が書いているこのブログに通じるものを感じる。
彼は教師を辞めた後も死ぬまで執筆を続けたと言われ、私もぜひ見習いたいものだと思う。
『【19分解説】幸福論|アラン ~全人類必読の世界的名著。幸せな人生を送るべき、あなたへ~』
それでは「アバタロー」さんの解説で、5つのテーマに沿って、アランの『幸福論』をざっと見ていくことにしよう。

1. メンタル 〜 ネガティブ感情との付き合い方
誰もが悩む深く難しいテーマですね。そこでアラン先生は名馬ブケファロスというある一頭の馬に関する昔話をしてくれるのですが、これが非常に面白いのでぜひ紹介させてください。
舞台は紀元前の古代ギリシャです。主人公は王家に生まれた10代の若い男の子、王子ですからいずれ王にならなければならない。したがって幼少期からたくさんの家庭教師をつけられ、強く賢く勇敢な人格者となるよう徹底した教育を施されていました。
そんなある日のことです。一人の商人がぜひ買ってほしい馬が一頭いると王様のもとに現れます。馬の名前はブケファロス。光沢のある美しい毛並み、堂々たる肉体が織りなす曲線はまさに芸術品です。ところがこのブケファロス、実はとんでもない荒馬で、先ほどから馬に慣れたものが何人も乗馬にチャレンジしますがことごとく落馬してしまいます。「こんな荒馬乗れたものじゃない」そんな捨て台詞を吐きみんなが去っていく中、その場にいた王子が王様にこう切り出します。
「私ならできる。もし手名付けられたら、あの馬を私に買ってください。」
すると王様は少しからかうような形で「面白いじゃないか、ならば試してみるがいい」そう言って息子の背中をそっと押します。王子は興奮がおさまらないブケファロスの目をじっと見つめゆっくり近づいていきます。一歩また一歩、距離が縮まります。このままではさすがに危ないのではないかと誰もが思ったその時です。王子は瞬時に手綱を握りブケファロスの鼻先を光り輝く太陽の方角に向けました。すると先ほど暴れ回っていた巨体はピタッとまるで石造のように静かに落ち着きを取り戻したのです。「一体何が起こったんだ」王様も周りにいる家来、さらに商人も訳がわかりません。そこで王子はこう言いました。「この馬は自分の影に怯えているだけだ」そう言って王子は誰も乗りこなせなかったブケファロスを見事乗りこなし、生涯の友としました。
はい、いかがでしょうか。誰もがブケファロスはただの荒馬だと決めてかかっていたのに対し、王子はじっと観察し、なぜ暴れていたのか原因を突き止めたのです。つまり恐怖や不安には常に原因がある。それがわからない限りヒトはブケファロスのようにずっと怯え続けるしかない。だからまずその恐怖、不安の原因、正体を明らかにしましょうというわけであります。
それにしても随分勇敢で賢い王子ですよね。余談ですが彼は後に20歳という若さで王位を継承します。そして壮大な夢と野望を胸に名馬ブケファロスと共に数多くの戦場を駆け抜け、生涯無敗というとんでもない伝説を残したということで知られています。さてこのブケファロスに命を預けた人物、もう誰だかお分かりでしょうか? そう、アレクサンドロスですね。
「アバタロー」YouTubeより
このようにアランの「幸福論」は、わかりやすい物語がベースになっているので、普通の哲学書に比べ読みやすいという特徴を持っているという。
まあ新聞に掲載するコラムとして書かれているのだから、当然といえば当然だろう。
ただこのアレキサンダー大王のエピソードからどんな教訓を学ぶべきなのか、それが問題である。
アラン先生は、次のように論を展開していくのだ。
ネガティブ感情の原因を突き止めることの重要性はわかった、その上でアラン先生は「情念」に囚われるなと言われます。「情念」というのは理性ではもはや抑え込めない感情のことです。なんかよくわからないけど気分がイライラする、気分が落ちる、こういう奴ですね。そして「情念」には人間の想像力を掻き立てるという厄介な特徴があります。たとえば、あの人この間冷たい反応だったから自分のこと嫌いかもしれないとか、自分がチャレンジしていることを笑われているかもしれない、痛い奴だと思われてるかもしれないとか、いろんな想像がもわもわ出てくる。そして先ほどのブケファロスのように怯えてしまうんです。そこでアラン先生は、「情念」の影に怯えなくていい。情念なんかに捉われるな、落ち着け。そう言われるわけです。
でもどうしたらいいのかわからない。それに対してアラン先生はこう言います。「情念」から解放されたければ、考えちゃダメだ。行動しなさい。さあ、一体これはどういうことでしょうか? 子供の時の運動会のかけっこ思い出してください。順番待ちの時どうでしたでしょうか? 体に悪いんじゃないかというほど緊張しますよね。でもパーンと鳴って走り始めると、緊張感とか不安な気持ちとかもう頭から無くなりましたよね。なぜならそんなこと考えている余裕がないからです。あるのは目の前のゴールだけ。走るしかないんです。プレゼンだってそうです。やる前すごく緊張します。でも話し始めて1分や2分であの気持ち悪い緊張感が和らいできます。なぜならもうしゃべるしかないからです。ピアノの発表会ですダンスの発表会でも、みんな同じです。体さえ動いてしまえばヒトはその瞬間そのことしか集中できないんです。つまりアラン先生はこの仕組みをうまく利用しなさいと言っているんです。
頭を使って感情をコントロールするんではなくて、身体活動あるいは自分自身の態度によって感情をコントロールする、ここが重要なポイントです。ちなみにここで言っているのは、何も考えられないほど体を激しく動かしなさいといったものではありません。普段の私たちの日常における表情とか仕草とか姿勢とか呼吸といった体の動きです。不機嫌な人というのは、不機嫌な表情、不機嫌な姿勢、不機嫌な話し方をしている。であれば私たちがすべきはその反対の身体活動、つまりお辞儀をしたり微笑んだり、姿勢をよくすればいい。それだけの話なんです。
「アバタロー」YouTubeより
あれこれ考えずに、まずは行動せよ、そして自分の態度を改めよ。
本当に悩んでいる人にはちょっとカチンとくる主張のようにも聞こえてくる。
「アバタロー」さんも同じように感じたようで、このように受けて次のテーマへ繋いでいく。
『「ちょっと待ってくれ。そうはいっても現実問題として、今の仕事が辛いんだ。スマイル0円とか言って微笑んでいる場合ではないんだ」そんな方もいらっしゃると思います。そこで2つ目のテーマである「仕事」、これに移らせてもらいます。』

2. 仕事 〜 幸せな労働者になるためには?
仕事にやりがいがない。最近部下がつまらなそうに仕事をしている。脱サラしてフリーで仕事をしているけど、やっぱり就職しようかと迷っている。そういう人にアラン先生はこのように言われます。
働くことは最も楽しいことであるが、同時に最も辛いものでもある。また自由に働くことは最も楽しいが、一方で奴隷のように働くとなると最も辛い。私は今自由に働くと言ったが、これは労働者自身が自分の持っている知識と経験に基づいて調整することができる仕事のことを言っている。自分で自分の仕事の出来具合を確かめながら、ああでもないこうでもないと試行錯誤してみる、それを楽しいと思える範囲でやっている限りヒトは幸せだ。ヒトは誰だって言われた通りの単調な仕事は嫌だと思う。たとえ困難な仕事であっても自分の好きなように考えたり、作ったり、間違えたりできる。そういった仕事の方が好きなはずだ。上司や監督が横から口を出し、作業を無理やり中断されるほど辛いことはない。生き生きと働ける人というのは、自分の仕事を自分で支配することができ、それを楽しめるもののことを言うのだ。あなたがもし幸せに働きたいのであれば、他の誰かの畑を耕してはいけない。自分の畑を耕しなさい。
「アバタロー」YouTubeより
「自分の畑を耕しなさい」というメッセージ、これは実によくわかる。
昭和を懐かしむ人たちが抱く古き良き時代のイメージは、商店街に多種多様な小店舗が並び、それぞれの商店主が自分の最良で店を切り盛りできた時代だ。
これが崩壊したのは大型商業施設の規制が解除されたことが大きいが、同時に流通業がグローバルな時代に入り、非効率な小売業は淘汰されざるを得なかった面も強い。
農業などは今でも規制が強く、大幅に減ったとは言っても小規模農家がなんとか生き残っているが、これもいつまで続くのか、「自分の畑を耕す」ことは実際には簡単なことではなくなっている。
私のテレビ局での仕事を振り返ってみても、自分のやりたいようにやらせてくれる上司の時には満足度が高く、何から何まで口出ししてくる上司に当たると同じ仕事でも途端に苦痛になった。
しかし経営者の側から見れば、自由放任の管理職よりもしっかり現場を管理し経営の意思に忠実に従う管理職の方が使いやすいのだから厄介だ。。
そのため現場で嫌われた上司が何の成果もあげないまま出世するようなことが往々にして起こる。
結局は、トップに立つ経営者の哲学が人事を通して組織を良くも悪くも変えるということだろう。

3. 生活 〜 幸せな時間の過ごし方とは?
普段の生活の中でどうすれば今よりももっと喜びに満ちた幸せな時間の過ごし方ができるのか? 結論からいえば、幸福になるためには「傍観者ではダメ」だということです。たとえばただ歌を聴いているだけで自分は歌わない、ただ絵を眺めているだけで自分では描かない、ただ芝居を鑑賞しているだけで自分は演じない、これについてはキッパリ「ダメです」と言われています。なぜなら、そこで得られる楽しみや喜びというのはほんの一瞬ですぐ消えてしまうからです。そうじゃなくて、自分で歌う、自分で生み出す、自分で演じる、アラン先生の言葉を借りれば「人間の喜びの一番深い部分」はまさにここにあるそうです。そもそも人からもらった幸福というのは、すぐ消えてしまいます。ご飯を奢ってもらった、プレゼントをもらった、その喜びは一瞬だけ、決して長続きしないことを私たちは知っています。だからアラン先生は「人から与えられた幸福なんてこの世には存在しない」と本書でおっしゃっているわけです。
幸せを人に依存することなく、自分で作り、自分の行動によって生み出す。そういう時間の過ごし方、使い方をしていると、きっとヒトは幸せな感情に満ちた人生を送れるのだというわけであります。
「アバタロー」YouTubeより
これも実感として理解できる。
こうしてブログを書くこと、田舎で野菜を育てること、これは報酬には結びつかなくても自分の中で満足感を得ることができる。
歌を聞くこと、絵を見ること、芝居を見ること、それはそれで自分なりの目的を持ってやれば幸せは得られると思うが、ただ漫然と人の真似をしてやっているだけならば、それはすぐに記憶の外に飛んでいってしまうだろう。
ポイントは、自分の心の持ち方なのだと私は思う。

4. 人間関係 〜 人間関係において大事なコトとは?
普通は誰だって、自分のまわりに一人や二人敵がいると思っている。それは違う。人間には、自分以外ほどんど敵は存在しないものとこう思いなさい。判断を誤ったり、無駄な心配をしたり、絶望したりする。そして意気消沈するような言葉を自分で自分に言い聞かせている。これは他の誰かじゃない、自分自身でやっていることだ。最大の敵は常に自分、そう思っておきなさい。
その上でアラン先生は本書の中で、これだけは人にやっちゃいけないよという行為について指摘しています。それは、他人に同情したり、憐れみの気持ちを持つことです。意外ですよね。でもアラン先生から見ると「人類の災いの一つだ」と断じるぐらいダメな行為だそうです。先ほど「情念」についてお話ししましたよね。制御するのが難しく、非常に厄介な奴でございますが、これは人に伝染するという困った特徴があります。たとえば朝、支店長の機嫌が悪いと課長の機嫌も悪くなる。不機嫌なショップ店員さんに接客されるとこっちの機嫌も悪くなる。誰だって経験あると思います。悲しい、苦しい、イライラするっていう情念で溢れかえっている人に対して、憐れむんじゃない、同情するんじゃない、それはあなたの情念が相手に伝染って余計苦しませてしまう。相手の情念も増大しちゃうからダメだよって言ってるんです。だったら病状に臥している友人を見ても無視しろって言ってるのかというとそうではありません。そういう時こそ明るい友情を見せるんだ、希望を与えるんだ、そういうわけです。
他人の幸福を考えること、これは非常に大事なことなんです。アラン先生もそのように言われています。ただ一番大事なのは自分自身が幸せになること、これが自分にとっても相手にとっても最善なんです。溺れている人が溺れている人を救えないように、お金のない人がお金のない人を経済的に救えないように、不幸な人、ネガティブな情念に捉われている人が他人を幸福にすることはできないんです。その上で、何よりもまずあなた自身が幸せになりなさい、これは義務です。幸せになることをさあ誓うのです。こんな感じで本書ではグイグイ迫ってくるというわけであります。
「アバタロー」YouTubeより
「ネガティブな情念に捉われている人が他人を幸福にすることはできない」
「何よりもまずあなた自身が幸せになりなさい」
これは確かに良いメッセージだ。
日本人、特に純粋な若い頃には不幸な同級生に同情して自分が幸せになることに罪悪感を感じたりする傾向が強い。
でも、ネガティブな感情を共有した人間関係はお互いを不幸にする可能性が高いだろう。
私の妻はネガティブ感情の強い人だが、能天気な私のポジティブシンキングによって少しでも楽にしてやりたいと思っている。
ただ、これはこれで私の能天気さが妻の癇に触るようで実際にはそれほど単純な話ではないのだが・・・。

5. 処世術 〜幸福人間の絶対条件
幸福な人生を送るための絶対条件、必ず押さえておきたい重要なポイントについてみていきます。それは何かというと、「礼節」「礼儀作法」です。なんか古臭いなと一蹴されそうですが、ここでの「礼儀」というのは上司にゴマを擦れとか、誰かに媚びへつらいなさいとかお下品なものではありません。自然に身についた物腰、ゆとり、余裕、それがアラン先生が言われる「礼儀作法」であります。
ただなぜこれが幸せと関係するのでしょう? ちょっとイメージが湧きません。そこで思い出していただきたいのがこの本で何度も出てきている「情念」です。これは人間を不安にさせたりイライラさせたり、不幸の元になるものでした。そして情念は思考ではなく行動によって制御できる、これが冒頭でアラン先生が言われていたことでしたよね。つまり「礼儀作法」というのは、自らの行動、所作によって、自分自身の湧き立つ情念を抑え込む守りの構えでもあるんです。たとえば「あの若手社員はなんで俺に挨拶がないんだ、舐めてんのか」とブツブツ言っているお偉いさんとかたまにいらっしゃいますよね。そうじゃなくて、あなたから笑顔で挨拶しに行ったらどうですか。もしかしたら向こうは緊急タスクでそれどころじゃないだけかもしれませんよ。そんなことより礼儀作法を自ら率先垂範されたらどうですか? そうしたらそんなイライラとした情念に支配されずにすみますよね、と言っているわけです。
さらに「礼節」はビジネスシーンの中では、究極の攻めの構えにも転じます。ちゃんとお礼が言える、挨拶ができる、年齢に関係なく敬意を持って人に接することができる、こういう人は圧倒的に人から好かれますし、人から話しかけられます。したがって情報量も多くなって仕事の量も質も、そしてやり甲斐も幸福度も変わってくる。しかもかかる費用は0円。さらにノーリスク。もう「礼節」ほどコスパのいい戦略はないかもしれない。普段の生活や仕事の中で、いつもよりちょこっと意識してみてはいかがでしょうか。
「アバタロー」YouTubeより
「なるほど、礼節や礼儀作法か」と思った。
これはいささか私に欠けていた部分かもしれない。
私は部下を厳しく叱責したり、いちいち細かく指示したりしないので、比較的良い上司とみなされてきた。
しかし一方で、他人に干渉しない分、人間関係が薄い面があったのも事実だ。
上司であろうと部下であろうと同期であろうと、基本的に人間関係は良好な方だったが、ベタベタとした付き合いは苦手だったため「礼儀を欠いた」場面も多々あった気がする。
特に私とあまり話す機会がなかった同僚から見ると、ちょっと話しかけづらいところがあったかもしれないとアラン先生の指摘を聞きながら自らの過去を反省したりした。

ということで、比較的オーソドックスな指摘が多かったように感じたが、私にとってアランの『幸福論』が役立つとすれば、一番には彼の生き方、すなわち他人からいくら批判されても死ぬまで「プロポ」を書き続けたという自分の生き方へのこだわりだろう。
「世界三大幸福論」と呼ばれる名著をエッセンスに触れることで、私は自分の選んだ定年後の道に少し自信が持てた気がする。
折に触れてこれらのブログを読み直し、自らを顧みる道標としよう。
<吉祥寺残日録>定年後を考える😄 アバタローで聴く世界三大幸福論②カール・ヒルティ『幸福論』〜不幸を受け入れる覚悟〜 #220527