<吉祥寺残日録>吉祥寺に引っ越してから5年!これからの人生で大切にしたいこと #210214

昨夜11時ごろ、突然の揺れが襲ってきた。

福島沖でM7.3の地震が発生し、福島や宮城で震度6強を観測した。

東日本大震災から来月で10年。

震源の位置から判断して、あの巨大地震の余震と考えられる。

子供を産んだばかりの福島で暮らす姪のことが気になっている。

東京は震度4、私の住んでいる吉祥寺のマンションも長い時間ゆっくりと揺れた。

私がこの古いマンションに引っ越してきたのは、ちょうど5年前の今日2月14日だった。

地震の話はいずれ改めて書くとして、今日は引っ越しから5年目の心境を書いておきたいと思う。

この写真は、引っ越した年に井の頭公園で撮影した一枚。

見た目以上に美しい色が切り取れたので、いまだに私のお気に入りの写真となっている。

引っ越し直後のブログを読み返してみると、すっかり忘れていることも多い。

一番驚いたのは、吉祥寺に引っ越した理由というか、きっかけが住宅ローンの借り換えだったという事実だ。

現在暮らしている築50年のマンションは15年ほど前に、全額ローンで衝動買いし、10年間賃貸に出していたものである。

しかし、引っ越しを決めた理由が、これだったとは・・・ブログにはこんな記述が残っていた。

そもそも私たちが吉祥寺に引っ越すきっかけとなったのが三菱銀行から届いた一通の手紙だった。

吉祥寺のマンションを購入してから10年が経過、それまでの固定金利2.2%の期間が終了し金利が3%台にあがるという通知だった。これに妻がぶち切れた。💢折しも日銀の黒田総裁が我が国初のマイナス金利導入を発表したタイミングだった。新規の住宅ローン0.5%台なんていう広告も目にする低金利の時代に金利が上がるという不条理。「ありえない!」と妻が怒ったのも無理はない。

早速ネットで住宅ローンの比較サイトをチェック。総合評価1位だった新生銀行で借り換えた場合のシミュレーションをしてみた。何と支払い総額が1000万円も違うではないか。珍しく夫婦の意見が完全に一致した。「吉祥寺に引っ越してローンを借り換えるぞ!」即決だった。その結果、住宅ローンは10年固定0.95%に下がったのだ。

吉祥寺@ブログ『住宅ローン』

引っ越してみると、次から次にトラブルに見舞われた。

玄関の扉が開かなくなったり、お風呂のお湯が抜けてしまったり、トイレのウォシュレットが止まらなくなったり・・・。

引っ越しにトラブルはつきものとはいうものの、さすがに老朽化したマンションは思わぬ問題を突きつけてくる。

それでも、住み始めて5年、私も妻も今の生活に大変満足している。

特にコロナの異常事態で、会社も辞め、旅行にも行けず、基本的にずっと家にいる生活が続くと、我が家が居心地がいいということは何より重要なことだと気づく。

このブログを書き始めるにあたり、私はこんなこと書いている。

2016年2月、吉祥寺に引っ越しました。

この新居をねぐらに、私も何か新たな活動をしたいと思い、このブログを始めます。

もともと物覚えの悪い人間なので、基本的には自分のための記録です。

四季折々の井の頭公園の写真と共に、私の頭に去来する様々な思いを発信していきます。

自分の身の回りから世界的なニュースまで、日々様々な出来事が起きますが、その中で私の心に引っかかった事柄について記録していきたいと思います。

吉祥寺@ブログ『このサイトについて』

ある意味、当初の考え通りに、5年間曲がりなりにもブログを続けてくることができた。

吉祥寺での5年間で気づいたこともいくつかある。

まず第一に、私はものを知らないということを知った。

テレビ局で情報発信を生業としてきた癖に、知っていることはほんのわずかで、知らないことがあまりに多いという事実を突きつけられたと言っていい。

そこでテーマを決めて、少しずつ勉強することにした。

植物の名前だったり、歳時記のことだったり、古代史だったり、戦争のことなどなど。

本を読んでその時には理解したつもりになっていても、しばらくすると全部頭の中から消えてしまっている。

その点、ブログに本の内容を書き留めておけば、後から必要な情報を検索して確認することもできる。

くだらないことで言えば、この店に以前来た時に何を食べたかも、検索すればすぐに蘇ってくるのだ。

私だけのデータベースと言ってもいい。

そうした意味でこのブログというのは、どんどん劣化する脳味噌を補助する外付けハードディスクのようなもので、私にとっては大変便利な記憶補助装置になっているということに気づいたのだ。

もう一つ、気づいたことがある。

それは、何の予定も入れないスケジュールが真っ白な状態が、私には一番快適な状態だということだ。

1982年に社会人になって以来、とにかく忙しくてスケジュールは常にぎゅうぎゅうに詰まっていた。

休みが取れればすぐに私的な旅行のスケジュールをいれて、できるだけ時間を有効利用するよう心がけてきたつもりだ。

そのため、会社を辞めた後も、絶対に何か新しいことを始めるのだろうと思っていたのだが、偶然コロナという身動きが取れない事態が起きたため、動きたくても動けない状況が1年も続いた。

退職後、たくさんの人から会食に誘われたが全部断り、なるべく人との接触を避けるようにしていたらスケジュールがほとんど真っ白になり、その状態が自分にとってすごく居心地が良いということに気づいたのだ。

今では、1日まるまる何の予定もなく、自分の好きなように時間を使えることは何物にも変えられない贅沢だと感じている。

ひょっとすると、これって「出家」のようなものなのかもしれない。

私は知らず知らずのうちに、「世俗」を離れ、「解脱」を求めようとしているのではないか?

そんなことを、ふと思う。

ちょうど吉祥寺に引っ越した頃に読んだ五木寛之さんの『林住期』という本に大いに感化され、50〜75歳の『林住期』を人生の絶頂期クライマックスとして存分に楽しもうと思っているのだが、その「楽しむ」という意味はひょっとすると現役時代のような楽しみ方ではなく、己と向き合いながら「悟り」を開くような渋いものなのかもしれない。

実際にはまだ、現世にかなりの欲が残っていて、完全に世俗を離れることには未練があるが、心の赴くままに学び、旅をし、その時々で感じた事柄を書き留めていくことによって、私なりの「悟り」に到達できるような気がする。

そのせいか、私の心はどこまでも穏やかで、満ち足りている。

五木さんは、『林住期』の中でこのように書いている。

私は「林住期」にすることは、すべて「必要」からではなく、報酬とビジネスを無視してやるべきだと考えているのだ。

なにをやってもいい。とにもかくにも、それで金を稼ごうなどとは思わないことである。

以前と同じ仕事をずっと続けていくにしても、そのことさえはっきりさせれば、世界はがらりと変わってくる。要するに「林住期」においては、金のためになにかをしない、と決めるべきなのだ。

要するに道楽である。道楽で金を稼ぐべきではない、というのが私の意見だ。

五木寛之著『林住期』より

5年前よりも、この言葉の意味と大事さがわかるようになった。

ブログを書き始めてしばらくして、流行りの「アフィリエイト」というものを私もやってみようかと思ったことがある。

つまり、ブログで広告収入を稼ごうと考えたのだが、少し研究したり詳しい人の話を聞いてみると、ブログで稼ぐためには「自分が書きたいことではなく、多くの人が読みたいものを書く」ことが求められることがわかった。

当たり前といえば当たり前の話だが、それでは「仕事」であって、途端に楽しくなくなってしまった。

人に読んでもらうために何かを書くのは、私がやりたいことではないと悟ったのだ。

また、吉祥寺で何か経験したことのない仕事をしてみるのも面白いかもと考えたこともある。

しかしこれも、やめにした。

仕事として雇ってもらった場合には、自分の都合で勝手に休むわけにもいかない。

気が向いた時だけ働ける職場などあるはずもないのだ。

そうしていろいろ考えた結果、リタイア後の指南本などによく書いてあるような「地域に居場所を作る」のはやめようと思った。

仕事でなくボランティアであっても、やっている間にある程度の責任が生じる。

無理に集団の中に自分の居場所を作ってしまうと、周囲の人にどうしても合わせなければならなくなる。

それは窮屈だ。

幸い私は一人でいることが苦にならないタイプの人間らしい。

それならば、無理に人との関わりを求めるのではなく、自分のスケジュールをなるべく真っ白にしておいて、その時々でやりたいと思ったことをできるようにしておこう、そう思っているのだ。

人と会いたくなれば会いに行けばいいし、誰かの手伝いをしたければすればいい。

しかし、それによって拘束されてしまわないよう、周囲の人との人間関係には細心の注意が必要だ。

先日見たBS「英雄たちの選択」がある示唆を与えてくれた。

その回のタイトルは、「“中高年の星”伊能忠敬 知られざる前半生の決断」。

江戸末期に日本列島の精密な地図を作ったことで知られる伊能忠敬は、千葉県の佐原で酒や醤油を製造していた豪商の娘と結婚したお婿さんだった。

家業で懸命に働き、地域に名主としても活躍した忠敬は50歳ぐらいで長男に家督を譲って「隠居」、それから本格的に地図作りに打ち込んだ「中高年の星」である。

しかし、伊能忠敬は当初、幕府からお金をもらったわけではなく、私財と投じて地図作りを始めたというのは初めて知った。

つまり仕事ではなく、自らの興味のために日本列島を測量して歩き回っていたということだ。

番組の中で、法政大学総長で江戸文化研究者の田中優子さんが面白い話をしていた。

江戸時代の「隠居」は、現役時代に金銭を稼いだ人だけがなれる、憧れのポジションだったと言うのだ。

『家産は、家督を譲る時に譲らなければならないが、その時に「隠居料」を取っていた。隠居料というのは権利で、その人が稼いだ額を基準に相談で決まった。現代と違って江戸時代は、スゴロクのあがりが「隠居」で、それぐらい隠居は憧れの的だった。隠居は年寄りでなくてもできて、30代で隠居する人もいた。』

伊能忠敬だけではなく、歌川広重も、松尾芭蕉も、井原西鶴も隠居となってから活躍し、江戸の文化を作ったのだという。

実に興味深い話である。

私もどうせなら、江戸時代の『隠居』を目指そう!

吉祥寺生活6年目、また新たな目標が生まれた。

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