<吉祥寺残日録>シニアのテレビ📺 ETV特集「東電の社員だった私たち 福島との10年」 #211126

録画したのに見ないまま時間が過ぎてしまう番組というものがある。

この番組もそんな中の一つだった。

ETV特集「東電の社員だった私たち 福島との10年」、今年9月にEテレで放送されたドキュメンタリー番組である。

10年前、原発事故の対応のため福島に送り込まれた東電社員たち。賠償、除染などの現場で、会社が奪ったものの大きさを思い知る。そして、しょく罪の念から人生を大きく変える者も現れはじめる。福島に移住し農業を始めた者。風評払しょくのため農産物を販売する者。そして、定年後も東京からずっと通い続ける者。彼らは福島で何を経験し何を背負うことになったのか。今まで語られることのなかった元社員たちによる10年間の独白。

引用:NHK

タイトルから想像した通り、重い番組だった。

事故当時たまたま東京電力に勤めていたという理由で福島に送り込まれ、被災者たちに頭を下げ続けた男たち。

東京電力は事故後、賠償や除染のために毎年1000人の一般社員を福島に派遣してきた。

「なんで自分が・・・」と思わず愚痴がこぼれるのが普通だろうが、あの日から彼らは「加害者」という立場を背負わされた。

タバコを吸っているというだけの理由で、すべてを失った被災者から罵倒されたこともあった。

来る日も来る日も被災者と向き合い、床に頭をこすりつけて謝る日々。

そこには、会社と自分を一体化させ「加害者」としての自分を引き受ける日本人的な責任感と、同時に日本人サラリーマンの悲しい体質を見る思いがした。

私も40年近くサラリーマン生活を送ったので、彼らの気持ちはある程度理解できるような気がする。

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一方で、番組が取材した3人の元東電社員の話ぶりはみんなまるで「僧侶」のようであった。

日々被災者との神経を使うやりとりをするうちに、自ずと発する言葉の一つ一つを慎重に選ぶようになったのだろう。

彼らの口から語られるのは、自分たちを攻撃した人たちではなく、仮設住宅を訪ねるたびに食事を用意してくれたおばあさんや、快く村まつりに招き入れてくれた村の人々の話。

理不尽で厳しい境遇に置かれた人間は、そうして一日一日人間性が磨かれていくのだなと感じる。

取材を受けた3人はすでに東京電力を辞めている。

だから取材を受けられたのかもしれない。

組織の論理と個人の気持ち。

そこには常にギャップがある。

3人のうち2人は会社を早期退職して福島に移住した。

何がそれほどまでに彼らの人生を変えたのか?

それを象徴する一つのエピソードが紹介された。

50歳で早期退職し、家族と離れて単身南相馬市に移り住んだ元賠償担当・矢島さんのお話だ。

ナレーション:福島で避難者と向き合って1年3ヶ月。矢島に埼玉へ戻るよう辞令が下る。引っ越しの荷物を抱え、アパートを出た矢島。担当していた避難者のひとりが待っていた。「駅さ、送ってくべ」

矢島:カーペンターズが流れてたんですね。それが車の中で流れていて・・・僕はボロボロに泣いちゃって。大変な避難生活を送っている人たちを置き去りにしてしまう。本当に申し訳なかったです。

引用:「東電の社員だった私たち 福島との10年」より

カーラジオから流れていたのは、カーペンターズの「青春の輝き」だった。

私もどちらかといえばドライに割り切れないタチなので、車の中でカーペンターズを聴いた矢島さんの気持ちはよくわかる。

もはや会社のためではない。

自分にはもっとやるべきことがあると感じたのだろう。

しかし、こうした気持ちは福島から離れた場所で生活する家族や同僚と共有することは難しい。

埼玉に戻り、震災前の日常を取り戻した矢島さんが、罪悪感のような気持ちを抱き続け再び福島に戻ることを希望した時、奥さんがそれを受け止めて送り出してくれたのは幸運と言っていい。

私も若い頃、戦争や内乱で悲惨な生活をしている人々をたくさん取材してきた。

豊かで平和な国からやってきて、短期間現地の映像を取材してさっさと帰っていく自分に後ろめたさを感じたことが何度もあった。

そして、日本で普通に暮らす人に現地の理不尽な状況をいくら話しても伝わらない経験も毎回のことだった。

人間は所詮、自分が経験したことしか理解できないのかもしれない。

たまたま福島への派遣メンバーに選ばれたという偶然が、矢島さんたちの人生を大きく変えた。

もし原発事故がなければ、平凡なサラリーマン生活を送って定年まで東京電力で働いただろう。

しかし、どちらの人生が幸せなのかはその本人にしかわからない。

福島に戻れば「元東電マン」という負のレッテルが一生付いて回る。

それでも被災者のためにできる活動をすることによって、自らの心の中にくすぶっている「罪悪感」を少しずつ解消することができるかもしれない。

人間にとって、安定した生活は確かに大切かもしれないが、心の充足感、自らの責任を全うしているという感覚はそれ以上に大切なのではないか。

番組を見ながら、シニアとなった自分がこれからどう生きるか、重い問いを突きつけられた気がした。

どんなニュースでも、様々な立場の人が関係している。

被災者を取材したり、事故原因やその責任を追及することも重要だが、こうしてあまり目を向けられてこなかった人々の話を聞くこと、これもとても大切な取材だと思う。

そういう意味で、とても考えさせられたいい番組であった。

そもそも、録画したままになっていたこの番組を見てみようと思ったのは、先日福島で暮らす姪夫婦が訪ねてきたからだった。

東日本大震災が起きた後、「忘れない」が日本中の合言葉となった。

しかし10年の年が経つうちに、私の中でも震災の記憶は徐々に遠のき、コロナのせいもあって退職後も福島を訪ねることなく時間が経過している。

姪の旦那が勤めている楢葉町役場が作成した「楢葉町災害記録誌」。

姪夫婦が私に残していったこの3冊の小冊子をパラパラめくりながら、今私はある計画を立てつつある。

来年以降、福島県楢葉町に定期的に通い、姪夫婦を助けながら私なりにできる活動を探してみよう。

それは、現地でイベントを開くことかもしれないし、首都圏に被災地の課題を伝える活動かもしれない。

テレビマンとして培った知識や人脈が多少なりとも活かせれば、地元に貢献できるのではないか。

元東電マンと言っても番組で紹介された3人のように「自分ごと」として福島に向き合い続ける人は、きっと少数派なのだろう。

でもきっと彼らは幸せなのだ。

私もそんな「幸せ」を味わってみたいと思った。

<吉祥寺残日録>東日本大震災から10年!貴重なテレビ番組を外付けHDDに残す #210311

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