<吉祥寺残日録>きちシネ#21 「東京物語」(1953年/日本映画)

寒くて雨が降り続いた土曜日、夜になっても何かをする気が起こらず、久しぶりに「Amazonプライムビデオ」を立ち上げた。

何を観るか迷った末に選んだのは、小津安二郎監督の代表作「東京物語」だった。

日本映画を代表する名作として海外でも評価の高い作品だが、若い頃に観た私にはまったくその良さはわからなかった。

改めてこの映画を観ようと思ったのは、先日NHKの「歴史秘話ヒストリア」で小津安二郎の戦争体験を知ったからだ。

小津は徴兵され中国大陸で戦い、復職後も映画制作のために東南アジアに送られた。

仲の良かった後輩監督も戦争で失い戦争の悲惨さを味わった小津が、戦後になってテーマに選んだのが家族ドラマだったというのは興味深い。

映画の中で、笠智衆演じる主人公の周吉が、子供たちの世話になるのを気に病んで昔の知り合いを訪ねるシーンがある。

年齢は60代後半、隠居同士の会話の中にぽろっと戦争の話が盛り込まれていた。

戦争で次男を失った周吉と2人の息子を亡くした友人の会話。

旧友・服部「しかし、あんたんとこはええわ。子供さんがみんなしっかりしとるけえ」

周吉「いやあ、どんなもんかのお」

服部「うちなんかせめて、どっちか生きておってくれりゃあと、よお婆さんとも話すんじゃけど」

旧友・沼田「あんたんとこは二人ともじゃったな。あんたんとこは一人か?」

周吉「ああ、次男をな」

服部「いやあ、もう戦争は懲り懲りじゃ」

沼田「まったくなあ。しかし、子供というものも、おらにゃおらんで寂しいし、おればおったでだんだん親を邪魔にしよる。二つええことはないもんじゃ」

この映画が公開されたのは1953年、終戦からまだ8年しか経っていない。

日本中できっと、こんな会話が交わされていたのだろう。

しかし、戦争を感じさせるのはこのシーンだけ。

それ以外の大半は、時代を越え、国境も越えて、誰にでも理解できる、どこにでもある家族の日常が描かれている。

若い頃はあれほど退屈に感じた「東京物語」を、しみじみと味わえる歳に私もなった。

それが何より、嬉しかった。

この映画の中には、還暦をすぎた私の心に染みいる何気ないセリフがたくさん登場する。

特に、主演の笠智衆さんが何ともいえず良い。

東京から帰った直後、東山千恵子さん演じる妻とみが危篤となり、亡くなる前夜のシーン。

東京から駆けつけた医者でもある長男の幸一から「明日の朝まで持てばいいと思う」と、とみの死を宣告される。

その時の周吉の反応は最高だった。

周吉「そうか、いけんのか」

幸一「お母さん、68でしたね?」

周吉「ああ。そうか、いけんのか」

幸一「僕はそう思います」

周吉「そうか、おしまいかのお」

そう言って、周吉は深いため息を漏らす。

もし、私の妻が先に亡くなることになった時、私はどんな反応をするだろう?

そんなことを思いながら、このシーンを見た。

自分も、泣いたり喚いたりすることなく、静かに妻の死を受け入れたいと思うし、きっとそうするだろうと思っている。

しかし、その喪失感は大きいだろう。

それは、周吉の表情からもはっきりと読み取れた。

そして夜中に妻を失った次の朝、周吉は一人で部屋を抜け出し海を見ていた。

戦死した次男の嫁である原節子演じる紀子が迎えに行くと、周吉はポツリとこう言ったのだ。

「きれいな夜明けだった。ああ、今日も暑うなるぞ」

いいシーンだ。

理屈ではない。

若い時には、このセリフの味わいをまったく感じることができなかった。

尾道に帰る車内で体調が悪くなり、三男・敬三の家に立ち寄った周吉ととみの間で交わされた最後の会話も忘れられない。

周吉「よう昔から、子供より孫の方がかわいい言うけえど、お前どうじゃった?」

とみ「お父さんは?」

周吉「やっぱり、子供の方がええの」

とみ「そおですなあ」

周吉「でも、子供も大きゅうなると、変わるもんじゃのお。志げ(長女)も子供の時分はもっと優しい子だったじゃねえか」

とみ「そうでしたなあ」

周吉「女の子は嫁にやったらおしまいじゃあ」

とみ「幸一(長男)も変わりゃんしたよ。あの子ももっと優しい子でしたがのお」

周吉「なかなか、親の思うようにゃいかんもんじゃ」

10日間の上京で、子供たちの世話になった老夫婦が抱いた一抹の寂しさ。

しかし、その後のセリフが珠玉だ。

周吉「欲言やあきりがねえが、まあええ方じゃよ」

とみ「ええ方ですとも。よっぽど、ええ方でっさ。私らあ、幸せでさあ」

周吉「そうじゃのお。まあ、幸せな方じゃのお」

とみ「そおでさあ。幸せな方でさあ」

この夫婦の会話こそ、私にとって、「東京物語」のハイライトである。

実は最近、私と妻も似たような会話をしているからかもしれない。

子育てを終え、こうした会話を交わせる夫婦は、どんな権力者よりも幸せだと私は思う。

周吉ととみは、本人たちが言う通り「幸せな方」であり、私も「幸せな方」だと自分では感じている。

そして、孫もかわいいが、やっぱり子供の方がいい。

数え切れないほどの思い出が、子供との間には存在するからだ。

しかし、面白いのは、こんなに深く家族を描いた小津安二郎が生涯独身で家族を持たなかったということだ。

小津に家族というものを教えたのは、共に脚本を担当した野田高梧とその家族だったという。

小津は、信州にある野田の家に寝泊りしながら、脚本を練り上げた。

その時に寝食を共にした野田の妻や娘こそ、小津作品に家族のリアリティーを与えた立役者だったそうだ。

そうした裏話を知ると、この名作が一段と興味深く感じられるようになる。

これも、私が歳をとったせいなのか?

それならそれで、歳を取るのも決して悪くはない。

そして、ラストシーン。

葬儀が終わり子供たちが帰って、一人家に残った周吉に隣の家の奥さんが声をかける。

「みなさんお帰りになってお寂しゅうなられましたなあ。ほんに急なこってしたなあ」

周吉はにこやかに言葉を返す。

「いやあ、気の利かん奴でしたが、こんなことなら生きとるうちにもっと優しゅうしといてやりゃ良かったと思いますよ。一人になると、急に日が長ごうなりますわい」

そして、また深いため息をつく。

寂しげに団扇を使う周吉の横顔で映画は終わる。

笠智衆さんの表情や喋り方を見ながら、昔の日本人、そして亡くなった私の父を思い出した。

晩年の父も、とても柔和な表情をしていた気がする。

きっと、自分も「幸せな方じゃ」と思いながら静かな隠居暮らしをしていたのだろう。

周吉ととみが暮らす尾道は、父が生まれ育った岡山と近く、言葉も似ているために、何となく周吉と父とが重なって見えるのかもしれない。

当時の私は周吉の子供たち同様とても忙しく、父とゆっくりと話すこともできなかったが、もし父が「幸せな方じゃ」と思いながら最期を迎えたのなら、それが何よりの親孝行だったと思う。

小津安二郎監督の「東京物語」。

人生の後半戦に、しみじみと見直したい珠玉の映画である。

1件のコメント 追加

  1. dalichoko より:

    グッド・チョイス!
    最高の映画ですね。
    私最近『浮草』という映画見ましたよ。小津安二郎のカラー映画。
    しびれますよ。
    (=^・^=)

コメントを残す