一年の計2018

あけましておめでとうございます。

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2018年の初日の出。吉祥寺で2度目の元日の朝です。

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七井橋の上は初日の出を待つ人たちで今年もごった返していた。快晴、風も弱く穏やかなお正月の朝だ。

年末3日間、岡山に帰省し昨夜吉祥寺に戻った。三男が来ていて、我が家で一緒に年を越した。

今年の紅白はウッチャン演出らしく、面白くない。かと言って他に見たい番組があるわけでもなく、適当にザッピングしながら安室奈美恵の意外にあっさりとしたテレビ出演を特別な感慨もなく眺めた。そして、年越しの瞬間はなぜか三男がEテレを見ていた。私も付き合って生まれて初めてEテレの年越し番組をぼんやり眺めている間に新年を迎えた。

大昔、レコ大を見て、紅白を見て、ゆく年くる年で新年を迎えた時代の方が年越しの実感があった。昔のテレビが特に面白かったわけではないが、テレビを見る側に年を越えるぞという覚悟のようなものがあった。大晦日の夜はそういう感じという日本社会全体に広がる暗黙の約束事があった。

時代なのか、単に私が年をとったのか、そういう「年を越える覚悟」を感じなくなってしまった。何となく年を越える。そんなことでいいのか?

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井の頭公園内にある弁財天に3人で初詣。去年より少し多くの人が列をなしている。

並んでいても凍えることはない。

おみくじは、三男が大吉、私が吉、妻が末小吉だった。三男は2年連続の大吉を引き当てた。何と去年のおみくじを財布の中にまだ持っている。そんな信心深い男だとは知らなかった。

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裏の銭洗い弁財天で今年もお金を洗う。

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私と妻が1万円、そして三男が500円。

昨年ここでお札を洗ったご利益か、去年は少しお金がたまった気がする。まあ、三男が就職して学費や仕送りが必要なくなったからその分が貯まったということなのだが、年金生活が近づいて来たこともありお正月にはお金を洗うのが我が家の習慣となりそうだ。

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さて、何となく年を越えてしまったので、新しい年を迎えるにあたっての意思表明を書いておこうと思う。

「一年の計は元旦にあり」ということだ。

この言葉、実は明の「月令広義」という本が出典とされる。

一日の計は晨(あした)にあり

一年の計は春にあり

一生の計は勤にあり

一家の計は身にあり

というのが正しいらしい。

単に何事も早めに計画せよというだけでなく、一生の計は働くこと、一家の計は家長によることなど、生き方を指南したちょっと説教くさい本のようだ。

これとは別に戦国武将、毛利元就の言葉に由来するという有力説もあるという。

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さて、2018年私の一年の計は・・・

やはり旅だ。1ヶ月に1度のペースで国内外を旅して、自らの無知を埋めていく作業をしていく。そして旅で知った知識やその時感じた心情をこのブログに記録していくこと。それこそが私の余生のリズムとなり、目的となり、生きがいとなる。

そして、最終的にライフワークと言えるような何かが生み出されれば望外の喜びである。

1月はソウル、2月は沖縄、3月は那須。そして夏休みはヨーロッパの予約を入れている。

そのほか、大連、モンゴル、サハリン、対馬、平戸、高野山、函館などが現段階での候補地である。

人が一生で訪れることのできる場所は限られている。その限られたチャンスをどのように使うか。それがその人の理解力、世界観に決定的な影響を与える。

まずは1月6日からソウルに行くので、「韓国の歴史を知るための66章」という本を読んでいる。日本による韓国併合について知っているようで知らないことが多かった。私を含む日本人が加害の歴史を知らないことこそが、慰安婦問題など歴史認識を巡る日中韓の対立の根底にある。時が経てば経つほど、歴史解釈の難しさはより大きくなるのだ。

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今年のお雑煮には金井米穀店で買ったのし餅が入っていた。スーパーで売られている市販の切り餅に比べて柔らかくて伸びがいい。

今年一年、私ももっと頭を柔らかくし、好奇心のおもむくままに伸びやかにしなやかに生きていければと思っている。

 

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