早いもので4月も1週間が過ぎてしまった。
今年の春はどうも天気が今ひとつで、花粉の飛散もピークなので、岡山から戻ってからはほとんどの時間を家で過ごしている。

今日は朝から晴れ間がのぞいていたので、久しぶりに井の頭公園を散歩することにする。
お茶の水橋に立つと、池の上には花筏。
今年はきちんと花見をせぬうちに、桜の季節が過ぎ去ろうとしていることを知る。
2022年の桜は残念ながら、あまり天気には恵まれなかった。

池に沿って歩いていくと、大きなカメラを構える人たちに出会った。
望遠レンズの先を見ると、水面から伸び始めた葦原に、カイツブリが巣を作り子育てを始めているようだ。
よく確認できなかったが、お母さん鳥のお腹の下には小さな雛がいるらしい。

去年の今頃は、毎日のように公園を歩き回り、井の頭公園に咲く植物たちの名前を一生懸命覚えたものだ。
でもその甲斐あって、今年は見覚えのある花々に出会うと自然に名前が出てくるようになった。
もちろん、全部覚えているわけではないが、去年の春にはまったくわからなかったことを思えば、格段の進歩だと感じられる。

桜の木の根元に黄色い花を咲かせているのは「ヤマブキ」。
今の季節、池の周囲はあちらこちらで山吹色に染まっている。

紫色の「ハナダイコン」もこの季節の公園では目立つ存在だ。
青い花で言うと、「セリバヒエンソウ」「ヒメオドリコソウ」「タチツボスミレ」「ムラサキケマン」などの野草が、公園のところどころに群生しているのを見かける。
春を待ちかねたように一斉に花を咲かせ、いつの間にか消えていく小さな花々。
立派なバラやキクなどよりも、私はこうした野草が好きだ。

御殿山の雑木林に足を向けると、まさに新緑の真っ最中。
今日の日差しは弱いので輝くような新緑とは言えないが、それでも気持ちがいい。
これで花粉さえなければ、思いっきり深呼吸をするところだ。

ジブリ美術館の前まで来ると、そびえ立つ「クヌギ」の大木も花を咲かせていた。
去年、新緑の主役である木々に注目して記録したのだが、「クヌギ」がこの季節に花をつけることをすっかり忘れている。

これが「クヌギ」の雄花。
長い穂となってぶら下がる。
雌花は葉の付け根に非常に小さな赤い花をつけるというがよくわからない。

人間たちがバカな戦争をしていても、季節が来れば花が咲き、植物たちは自然のリズムに合わせてただ粛々と生きている。
そういう姿を見ると、人間も己がやるべきことをやって、季節の中で生きるのが一番いいと思えてくる。
過去の栄光にしがみつき、無理をすれば悲劇が生まれ、自然にも悪い影響を与えてしまう。
もうそろそろ、ウクライナにも芽吹きの季節が来るだろうか。
生命が溢れる新緑の季節は、打ちのめされた人間にも新たな一歩を踏み出す勇気を与えてくれる。
1日も早く戦火が止んで、ウクライナの人々が花を、新緑を愛でながら新たな人生を歩み始めることを祈るばかりだ。

西園を回ると、咲き誇った「オオシマザクラ」の下にシートを敷いてくつろぐ母子の姿があった。
本当に平和な光景だ。
子育てをする女性は大変だろうが、今にして思えば、どんな職業よりも子育ては偉大な仕事だと感じる。
私の妻も3人の息子を育て上げ、思春期には口を聞かない息子たちに心を痛めたりもしたが、3人の男子を世に送り出してしまうと、まさに「空の巣症候群」、このところ不眠症や頭痛に悩まされている。

こちらの白い桜は「シズカ」だろうか。
美しい八重の桜だが、桜に個性があるように人にもそれぞれ与えられた役目がある。
自分の周囲を見回して、自分がやった方がみんなが助かることをすればいい。
とりあえず今は何も見つからなければ、自分の心と向き合って、その時やりたいと思ったことをやればいいのだ。
自分のやりたいことができる時間ほどありがたいものはない。
会社を辞めて自分の時間を手に入れるということは、そういうことだ。

本来ならばもうそろそろ岡山に行って、親たちや畑の様子を見守った方がいいのだが、ちょうど今伯母の古民家が工事中なのだ。
シロアリに食われてしまった床を基礎から作り直してもらうちょっと大掛かりな工事なので、私たちの留守中にやりたいという大工さんたちの要望があり、岡山行きを遅らせている。
その間に東京で、フランスの年金をもらうための生存証明の手続きをやっているのだが、ウクライナ危機やコロナの影響もありこれがなかなか手間取っている。
私はテレビ局のパリ特派員を3年半勤めたが、その時現地での納税が義務付けられていて、おかげでわずかながらフランスからも年金を受け取る権利を得たのだ。
金額的にはわずかでも死ぬまでもらえるのだから、言われた通りに年に1回手続きをしてもらえるものならもらった方がいい。

とはいえ、私の心はすでに岡山に飛んでいる。
家がうまく修理してもらっているか、畑の雑草は大丈夫か、今度岡山に行ったらやることがいっぱいあるからだ。
4月中に、枝豆(大豆)を撒きたいと思っている。
5月にはブドウやモモの芽かきをしたり、トマトやキュウリの苗を植えたり・・・やるべきことはいくらでもあるのだ。

誰にも強制されず、自分の意思で行動できる自由。
日本が平和で自由があることのなんとありがたいことか。
歴史を振り返れば、こうした平和な時代が壊れる時にはあまりにあっけない。
平和な時代に生まれ育ったことに感謝しつつ、せいぜいこの自由を最大限に楽しみたいものだと新緑の井の頭公園を歩きながら考えた。