横浜や横須賀で続いている異臭騒ぎが気になっている。
これだけ広範囲で繰り返し起きる異臭騒ぎというのは、素直に大地震の前兆ということも考えておくべきだろう。
1923年に起きた関東大震災。
あれからもう100年が経とうとしている。
実は、吉祥寺も関東大震災と無縁ではない。

と言っても、大きな被害を受けたのではなく、壊滅的な被害を受けた都心から多くの人が移り住み、吉祥寺発展のきっかけとなったのが関東大震災だった。
武蔵野市のホームページに掲載されている「むさしの百年物語」によると、焼け野原となった都心部とは違い、当時の武蔵野村の被害は極めて軽微だったことがわかる。
- 倒壊家屋軒数 3軒
- 家屋壁落ち 800軒
- 屋根瓦墜落 約100軒
- 振子時計全停止 全部
- 井戸水濁水となる
そのため、多くの被災者が武蔵野に移住し、村の人口が一気に倍増したという。

今では武蔵野市のシンボルともなっている成蹊学園のケヤキ並木。
東京都の「新東京百選」や環境省「残したい日本の音風景100選」にも選ばれたこのケヤキの大木が植えられたのは、関東大震災の翌年、1924年のことだ。

この年、新宿から東京女子大学が移転。

池袋からは成蹊学園が吉祥寺に移転してきた。
成蹊学園の場合、初代理事長だった三菱財閥の総帥・岩崎小弥太が吉祥寺に広大な農園や別荘を所有していたのが理由らしい。
それまで東京郊外の農村に過ぎなかった吉祥寺は、関東大震災を機に、サラリーマンや学生の街へと変貌していくのだ。

今日、首都直下地震のことを書くにあたり、関東大震災直後に移転してきた成蹊学園まで自転車を走らせてみた。
安倍前総理の出身校でもある成蹊大学は、コロナの影響で今もオンライン授業が続いている。
ところが偶然、下校する大勢の高校生たちに出会った。
成蹊高校の生徒たちのようだ。

あの樹齢100年になろうというケヤキ並木を抜けて、友達と楽しそうに話しながら学校から帰っていく。
そんな高校生を眺めながら、100年前、この辺りはどんな景色だったのだろうと想像を巡らす。
五日市街道に面したこの辺りの土地は、江戸時代に明暦の大火で焼け出された人たちが移り住み、切り開いた農地だった。
そうだ、せっかく来たので、成蹊学園の周囲をぐるりと回ってみることにしよう。

ケヤキ並木を進むと、立派なグラウンドがあった。
中心には400mトラックがあり、周囲にはいろんなスポーツ施設が整えられているようだ。

私は初めて見たのだが、大きな馬術場まである。
こうした広々とした敷地を確保できたのも、当時の吉祥寺が田舎だったからだ。
でも、大学生の姿はなく、広いキャンパスはがらんとしていた。

成蹊学園の周辺には、住宅がびっしりと立ち並んでいる。
中でも目を引くのは、ケヤキ並木に隣接した住宅街。
かなり歴史を刻んだ高級住宅街のようで、街路樹の桜の木が大木に育っている。
ひょっとすると、関東大震災直後に移住した人たちの子孫が住んでいるかもしれない。

成蹊学園の北側、広大なキャンパスの裏手に回ると、今も農地が残っていた。
ここ吉祥寺北町は、結婚直後、私たち夫婦がアパートを借りてしばらく暮らした場所だ。
アパートの大家さんは農家で、いつも野菜をもらったことを思い出す。

関東大震災が起きた大正時代、吉祥寺周辺は見渡す限り、こうした農地と雑木林に覆われていたのだと想像される。
吉祥寺あたりは武蔵野台地と呼ばれ、東京の中では、太古の昔から地盤がしっかりしているエリアだとされる。
来たる首都直下地震に備えるならば、首都圏の中では比較的安心なエリアだと私は考えているのだが、果たしてどうだろう?

地盤について調べてみると、都道府県ごとの「いい地盤ランキング」というものが存在することを知った。
地盤ネット総合研究所というところが、2016年に発表したものだそうで、上の地図は東京都の地盤を示したものだそうだ。
緑が最も地盤が良いエリアで、赤が一番危険なエリアということになる。
それによると、東京都内で最も地盤が良いとされる自治体は、国分寺市。
その後、瑞穂町、小平市、小金井市、立川市と続き、私が住む武蔵野市は6番目、さらに西東京市、清瀬市、武蔵村山市、東久留米市、羽村市、東大和市、東村山市、日の出町、国立市、三鷹市とここまでが緑のエリアである。
すべて多摩地区の自治体だということがわかる。
23区の中で最も地盤が良いとされるのは、杉並区だそうで、続いて豊島区、世田谷区、中野区、新宿区、いずれも黄色のエリアだ。
再開発が進む渋谷区は34位、人気の港区は42位、皇居のある千代田区は43位となり、こちらも黄色エリアということになる。
逆に地盤が弱いとされる赤のエリアは、葛飾区、足立区、台東区、江戸川区、荒川区、墨田区、中央区と来て、最下位は江東区だった。
下町だけでなく、銀座のある中央区も結構ヤバイわけだ。
現在の通説では、南関東を震源とするマグニチュード7クラスの直下型地震は70〜80年周期で起きるとされているが、関東大震災から100年近く経ってもまだ発生していないということは、常に備えておく必要があるということを意味している。
関東大震災の前、やはり三浦半島で異臭がしたという記録が残っているそうだし、もともとあのエリアはフィリピン海プレートが沈み込んでいる上に、活断層が無数に走っているため予兆が現れやすいと考えられるからだ。
南関東の地下には、日本最大級のガス田も存在するらしい。
横浜市は、今回発生したガスの採取に成功したと発表したが、発生源については不明としている。
今年6月ごろから異臭騒ぎが続いているのに未だにその原因がわからないというのは、単なるイタズラではなさそうだ。

とりあえず首都直下地震を想定して最低限の備えはしておこうと思い、アマゾンのプライムデーに合わせてミネラルウォーターを1箱注文した。
妻には、お風呂のお湯を抜いたら、すぐに新しいお湯をはっておくように頼んだ。
保存食や卓上コンロのガスは、コロナ騒動の際に多めに買い置きしたものがまだ残っているのでそれで賄えるだろう。
一番懸念されるのは、今住んでいるマンションが地震に持ち堪えることができるかどうか、如何せん築50年の老朽マンションだ。
万一の時には、最低限の非常持ち出し袋だけでなんとか凌ぐ以外に方法はない。
政府もメディアも迂闊なことは言えないので、異臭騒ぎと地震の関係はパニックを防ぐ観点からオープンに議論しにくいだろう。
ここは、自らの判断で行動し、できる備えをするしかない。
未来永劫、首都直下地震が来ないなどということは絶対にありえないのだ。
何か異変が起きるたびに、いざという時に備える。
それが、日本人として生まれた私たちに求められる生き方なのだ。
冷静に、しかし敏感に・・・情報をウォッチしなければならない。