<吉祥寺残日録>吉祥寺図書館⑦ 津田左右吉著「古事記及び日本書紀の研究 新書版」(2018年/日本/毎日ワンズ) #201219

自主的にステイホームを決めた今年の年末年始、私は図書館で古代史に関する本をいくつか借りてきた。

私が古代史に興味を持ったのは、邪馬台国の所在地が知りたいからではない。

天皇の名の下で行われた戦争の歴史を学ぶ中で、明治維新政府が意図的に生み出した「万世一系」の天皇という絶対的権威を持った存在について、私なりの考えをしっかり持っておきたいと考えたからだ。

そうしたテーマを学ぶ際に、津田左右吉の名前は避けて通れない。

戦前に発禁処分となった「古事記及び日本書紀の研究」の復刻版が図書館にあるのを知り、さっそく借りてきたのだ。

「古事記及び日本書紀の研究 新書版」

この新書版では、戦前の昭和15年に発禁処分を受けた同名の論文とともに、戦後の昭和21年に雑誌「世界」に掲載された「建国事情と万世一系の思想」という文章も一緒に読むことができる。

津田の学説は、戦前は軍部や右翼から攻撃され、戦後は天皇制を否定する左派からも糾弾された。

その理由は明確である。

津田の学説は、流行りのイデオロギーから離れて純粋に真理を追究するという姿勢に貫かれていたと考えられるからだ。

今、津田の描いた古代史を読んで、私自身は若干の違和感も感じるが、彼の研究姿勢については大いに学ぶところがあった。

右からも左からも批判されたという事実だけで、この人物は信頼に値する。

この本の中から、私が面白いと思った箇所をいくつか引用させていただこうと思う。

まず最初は、東京大学の総長も務めた南原繁氏が冒頭で記した「津田左右吉博士のこと」からの引用だ。

昭和15年2月、博士の主著『神代史の研究』ほか三冊(『古事記及び日本書紀の研究』『日本上代史研究』『上代日本の社会及び思想』)が発禁となった。起訴、予審を経て皇室の尊厳を冒涜するという罪名の下に公判になったのが昭和16年11月であった。昭和17年5月に下った判決(『古事記及び日本書紀の研究』のみが有罪)は禁固三カ月(執行猶予)であった。

博士の研究は、そもそも出版法などに触れるものではない。その研究方法は古典の本文批判である。文献を分析批判し、合理的解釈を与えるという立場である。

引用:南原繁『津田左右吉博士のこと』より

津田左右吉の著書が発禁となり、裁判にかけられたこの騒動は「津田事件」と呼ばれ、戦前の思想統制の一つの典型例とみなされている。

では、何が問題だったのか?

南原氏が言うところの「文献を分析批判し、合理的解釈を与える」という姿勢について、津田左右吉自身が『古事記及び日本書紀の研究』の総論で明確に次のように書いている。

記紀、とくにその神代の部は、その記載が普通の意義でいう歴史としては取り扱いがたいもの、実在の人間の行為または事蹟を記録したものとしては信用しがたいものだからである。われわれの日常経験から見れば、人の行為や事蹟賭しては不合理な物語が多いからである。なお神代ならぬ上代の部分にも、同じ性質の記事や物語が含まれているのみならず、一見したところでは別に不思議とも感じられないことながら、細かく考えると甚だ不合理な、事実らしからぬ記載が少なくない。これは一々例証などを挙げるまでもなく、周知のことである。

ところが、そういうものがいつのまにか歴史的事実の記載と認むべき記事に移ってゆき、あるいはまた事実らしいことと絡み合っている。だから記紀の記載については、どれだけが事実でありどれだけが事実出ないかの限界を定め、事実の記載と認むべき部分としからざる部分とをふるい分け、そうして事実の記載でない部分にいかなる意味があるか、何故に、またどうしてそういう記載ができているかを究め、それによって記紀の記載の性質と精神と価値とを明らかにしなければならぬ。ひと口にいえば、記紀の記載は批判を要する。そういう批判を厳密に加えた上でなければ、記紀というものは歴史的研究の材料とすることができない。ところがわが学界では、まだそれが充分に行われていないようである。この書が、もし幾分なりともその欠点を補う用に立つならば、著者のしごとはまったく無駄ではあるまい。

引用:津田左右吉『古事記及び日本書紀の研究』より

極めて真っ当な発言である。

しかし、神武天皇以来の「日本書紀」に書かれた物語をすべて真実とみなし意図的に天皇を神格化した軍部や右翼から見ると、記紀の記述を嘘と断じるような津田の言説は不敬の極みと映ったのだろう。

それこそが、私の問題意識と重なる点だ。

キリスト教の福音派やイスラム教原理主義にも通じる頑なさ。

いかに不合理であろうとも、「教典」に書かれた内容に一切の異議を認めない姿勢こそ、無益な戦争をもたらし無実の犠牲者を生み出すのだ。

津田は敗戦直後の昭和21年、雑誌「世界」に掲載された「建国の事情と万世一系の思想」の中で、我が国に戦禍をもたらした軍部について痛烈に批判している。

昭和に至って、いわゆる天皇制に関する論議が起こった。それは皇室のこの永久性に対する疑惑が国民の一部に生じたことを示すもののように見える。これは、軍部及びそれに付随した官僚が、国民の皇室に対する敬愛の情と憲法上の規定とを利用し、また国史の曲解によってそれを裏づけ、そうすることによって、政治は天皇の親政であるべきことを主張し、もしくは現にそうであることを宣伝するのみならず、天皇は専制君主としての権威をもたれねばならぬとし、あるいは現にもっていられる如く言いなし、それによって、軍部のほしいままなしわざを天皇の命によったもののように見せかけようとしたところに、主なる由来がある。

アメリカ及びイギリスに対する戦争を起こそうとしてからのちは、軍部のこの態度はますます甚だしくなり、戦争及びそれに関するあらゆることはみな天皇の御意志から出たものであり、国民がその生命をも財産をも捨てるのはすべて天皇の御為である、ということを、ことばを替え方法を替えて絶え間なく宣伝した。そしてこの宣伝には、天皇を神としてそれを神秘化するとともに、そこに国体の本質があるように考える頑冥固陋にして現代人の知性に適合しない思想が伴っていた。

しかるに戦争の結果は、現に国民が遭遇したようなありさまとなったので、軍部の宣伝が宣伝であって事実ではなく、その宣伝は彼らの私意を覆うためであったことを明らかに見破ることのできない人々の間に、この敗戦もそれに伴うさまざまの恥辱も国家が窮境に陥ったことも社会の混乱も、また国民が多くその生命を失ったことも一般の生活の困苦も、すべてが天皇の故である、という考えがそこから生まれてきたのである。昔からの歴史的事実として天皇の親政ということがほとんどなかったこと、皇室の永久性の観念の発達がこの事実と深い関係のあったことを考えると、軍部の、上にいったような宣伝が戦争の責任を天皇に嫁することになるのは、自然の成り行きともいわれよう。

引用:津田左右吉『建国の事情と万世一系の思想』より

津田は、この論文の大半を使って、神代からの日本の成り立ちと天皇誕生に関する見立てを書いた上で、2000年の長き歴史を見ても、天皇が実際に政治を行う「親政」はほとんどなかったにも関わらず、明治維新が天皇親政の形を取り、昭和に入ると軍部によって歴史を曲解した宣伝が行われたことを糾弾したのだ。

天皇制を学問的に研究した人間から見ると、天皇を現人神とした戦前の思想はこのように見えるのかと大変興味深く拝読した。

こうした津田の軍部批判は戦後、左派の人たちからもてはやされる。

しかし、津田の面白いのは、天皇制廃止を唱える左派の思想も一刀両断し、天皇制と民主主義は両立すると断じるのである。

こういう情勢の下において、特殊の思想的傾向をもっている一部の人々は、その思想の一つの展開として、いわゆる天皇制を論じ、その廃止を主張するものがその間に生ずるようにもなったのであるが、これには、神秘的な国体論に対する知性の反抗も手伝っているようである。また、これからのちの日本の政治の方向として一般に承認せられ、国民がその実現のために努力している民主主義の主張も、それを助け、またはそれと混合せられてもいるので、天皇の存在は民主主義の政治と相容れぬものであるということが、こういう方面で論ぜられてもいる。このような天皇制廃止論の主張には、その根拠にも、その立論の道筋にも、幾多の肯いがたきところがあるが、それに反対して天皇制の維持を主張するものの言議にもまた、何故に皇室の永久性の観念が生じまた発達したかの真の理由を理解せず、なおその根拠として説かれていることが歴史的事実に背いている点もある上に、天皇制維持の名の下に民主主義の政治の実現を阻止しようとする思想的傾向の隠されているが如き感じを人に与えることさえもないではない。もしそうならば、その根底にはやはり民主主義の政治と天皇の存在とは一致しないという考え方が存在する。が、これは実は民主主義をも天皇の本質をも理解せざるものである。

国民が国家のすべてを主宰することになれば、皇室はおのずから国民のうちにあって国民と一体であられることになる。具体的にいうと、国民的結合の中心であり国民的精神の生きた象徴であられるところに、皇室の存在の意義があることになる。そして、国民の内部にあられるが故に、皇室は国民とともに永久であり、国民が父祖子孫相承けて無窮に継続すると同じく、その国民とともに万世一系なのである。民族の内部から起こって民族を統一せられた国家形成の情勢と、事実において民衆と対立的関係に立たれなかった皇室の地位とは、おのずからかくの如き考え方に適応するところのあるものである。

また過去の歴史において、時勢の変化に順応してその時々の政治形態に適合した地位にいられた皇室の態度は、やがて現代においては現代の国家の精神としての民主政治を体現せられることになるのである。

引用:津田左右吉『建国の事情と万世一系の思想』より

皇室は「国民的結合の中心であり国民的精神の生きた象徴」として「民主政治を体現する」という津田の予言は、日本がまだ米軍の占領下にあり日本国憲法が成立する前になされている。

そして現代の皇室は、まさに津田の予言通りの存在となったのだ。

こうした天皇制を擁護するような津田の態度に、左派の人たちは「津田は変節した」と批判を強める。

しかし、津田の主張は戦前と何も変わっていないのだ。

誰でも自分の考えに沿う意見は心地よく聞くが、意に反する意見は聞こうともしない。

今日SNSの普及によって、自分と違う意見をフェイクと呼んで排除する風潮が強まる中で、津田の天皇論は傾聴に値するだろう。

津田左右吉が考えた日本の古代史は、その後の考古学調査や科学的な研究によって大きく変わりつつある。

しかし、右からも左からも批判されたその研究姿勢は、難しい時代の激動機にあって、時代の潮流に流されず真実を探求しようとした証として大いに尊敬すべきだろう。

「中庸」であることは、極論を唱えるよりはるかに難しい。

「中庸」あるいは「中道」と呼ばれる説は、だいたいにおいて面白みに欠け、大衆受けしない。

第一大戦後のドイツで、大衆の人気を二分したのが、ナチスと共産党だったという事実は、そうした「大衆」の習性をよく表しているように見える。

しかし、真実というものはほとんどの場合、「中庸」の中にあるのだ。

そして津田左右吉は晩年、この武蔵野市で暮らした。

尊敬できる郷土の先輩なのである。

1件のコメント 追加

  1. wildsum より:

    どちらか、一方に偏った方向に導くフェイクニュースは怖いですね。また、それを拡散する大衆も問題です。津田左右吉氏の考え方はとてもいいと思います。

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