井の頭公園の桜も満開となった。

井の頭池に流れ込むように、枝先まで桜の花で埋め尽くされている。
戦後植えられた井の頭の桜も戦後77年を迎えて古木となり、かつてほど花の密度が高くないようにも見えるが、それはそれ、コロナのために3年連続で花見の自粛が呼びかけられているものの、桜の下をそぞろ歩きするだけでも楽しい。
私の好きな新緑も一斉に芽を吹き始め、一年で一番美しい季節がやってきた。

日本人が花見を楽しむようになったのは、豊臣秀吉が晩年開いた「醍醐の花見」が先駆けとも言われる。
私も2017年、桜の季節に京都・醍醐寺を訪ねたことがあり、その時の様子をこのブログにも書き残している。
戦乱で荒廃していた醍醐寺を復興した秀吉が、「ここで花見をしたい」と言い出したことから、近隣諸国から700本もの桜の木を移植した。その秀吉最後の大イベント「醍醐の花見」に合わせて整備されたのがこの三宝院なのだ。
桜を見ながらドンチャン騒ぎをする花見のスタイルは秀吉が作ったと伝えられている。
引用:吉祥寺@ブログ『醍醐寺』
しかし、「醍醐の花見」を催した頃の秀吉は、若い頃の知恵者からすっかり「暴君」に変貌していた。

NHKのBSで日曜日の朝に再放送されたいた大河ドラマ「黄金の日日」。
録画するだけで見ていなかったものをここ数日まとめて見ている。
このドラマは私がまだ大学生だった頃の1978年に放送されたもので、城山三郎原作、戦国時代に活躍した堺の豪商・呂宋助左衛門を主人公にした物語だ。
名優・緒形拳が演じる秀吉は、人間味のある魅力的な人物として描かれるが、織田信長に代わって天下を取り関白の座についてからは徐々に周囲の意見を聞かない「暴君」へと変貌していく。
南蛮貿易の中心だった堺の堀を埋め、当代きっての文化人だった千利休に切腹を命じ、キリスト教を禁止する「伴天連追放令」を発する。
しかし秀吉が決して狂ったわけではないと思う。
暴君には暴君なりの理屈があったのあろう。
作者は、ドラマの中で秀吉に、千利休を罰する理由についてこう語らせている。
『余が利休を罰するのはただの懲らしめのためではないのじゃ。罪状は死を与えるための口実に過ぎぬ。利休には死んでもらわねばらなぬのじゃ。いや、死んでもらわねばならぬ時期が来てしまったのじゃ。
天下を統一するとは、物の価値を不動のものとすることじゃ。金は金、銀は銀、土塊は土塊でなければならん。土塊が黄金になってはならんのじゃ。人も同じ。大名は大名、百姓は終生百姓でなければならん。百姓が大名になってはならんのじゃ。利休が生きておる限りこの鉄則を確立することはできん。利休が手を触れると土塊が黄金になる。官位も身分も越えて天子の頭上に己が木像を掲げてしまう。利休一人のために物の価値が乱れ、人の世の上下秩序がないがしろになる。邪魔なのだ。こういうものが。
かわらけが目利き一つで黄金となり得た時代、一介の船乗りが一夜にして大徳人となり得た時代、そして百姓の小倅がたちまち関白にまでのしあがった時代。かくのごとき時代は終わりだ。終わりにせねばならぬ。』
群雄割拠の戦乱の時代を終わらせるために、秀吉は刀狩や太閤検地によって全国一律の価値観を植え付けようとしていた。
そのためには、自分以外の「権威」をすべて取り除く必要があると考えたとしても不思議ではない。
たとえそれが政治的な権威ではなく、文化的な権威だったとしても、それを野放しにしていては不満の受け皿になってしまうからだ。

そして秀吉は、全国の大名を動員して悪名高き「朝鮮征伐」に乗り出す。
ドラマでは、主人公の助左衛門が、秀吉の側近である石田三成や小西行長に働きかけてなんとか戦争をやめさせようと画策するが、結局誰も秀吉を止めることはできなかった。
秀吉が朝鮮に大軍を送った理由は、中国の王朝「明」を征服してアジアの覇者となることだったが、同時にスペインが支配するルソンへの出兵も画策していたことが描かれる。
当時の世界は大航海時代。
ポルトガルやスペインがキリスト教宣教師を先兵としてアジアに植民地を拡大していた時代だ。
中でもスペインは日本の征服も計画していたとされ、秀吉が突如キリスト教を禁止した理由はそれを恐れたためとも言われる。
暴君には暴君なりの考えがある。
日本が内戦に明け暮れている間に、南蛮人が日本に入り込み、宗教と武力によって日本人の心を奪い、国を乗っ取ろうとしているのではないか。
そんな危機感が秀吉を対外的な膨張主義に駆り立てたのかもしれない。

だとすれば、秀吉の決断は今のプーチン大統領とそっくりではないか。
軍事侵攻後、西側の報道ではプーチン氏が病を抱え常軌を逸してしまったのではないかとの分析が流れた。
しかし、暴君には暴君なりの理屈があるのだと私は思う。
長年権力の座に君臨すると、権力者に対して直言できる側近はいなくなるというのは古今東西よく聞く話だ。
プーチンさんが嫌がるような情報を側近たちは伝えなくなる。
一方で、自らが目指す強いロシアの復活は見通せず、逆に敵であるNATOの勢力範囲がどんどん自国の近くに迫ってきた。
ここが勝負どころだとプーチン大統領が考えたとしてもおかしくはない。
ウクライナの政権基盤は脆弱で、数日で降伏すると読んだのだろう。
秀吉が朝鮮を甘くみたのと同じ過ちを犯したのだ。
緒戦での快進撃が止まり、やがて戦況は膠着する。
明が朝鮮に援軍を派遣したように、西側諸国が結束してウクライナ支援に回った。
首都キエフ近郊でウクライナ側が反撃に転じる中、そろそろ和睦のタイミングだとロシアの側近たちは考えているのだろう。
ようやくウクライナにおける戦争でも、停戦交渉が進展を見せ始めたようだ。

29日からトルコのイスタンブールで始まったロシアとウクライナの対面による停戦交渉。
ウクライナ側が「中立化」を受け入れる考えを表明し、ロシア側もキエフ周辺での軍事作戦を縮小すると応じ、双方がそれぞれ譲歩の姿勢を示した。
両国の交渉団はこの日、イスタンブールで約3時間にわたり協議を続けた。その後、ロシアのアレクサンドル・フォミン国防次官は記者団に対して、「相互の信用を増幅」するため、ロシア軍は首都キーウおよび北部チェルニヒウの周辺での軍事活動を大幅に縮小することにしたと述べた。
フォミン次官は、「ウクライナの中立性と非核化、そして(ウクライナのための)安全の保証について、合意に向けた交渉が実務的段階へ移行していることを踏まえ、今日の協議で話し合われた原理原則を考慮に入れ、ロシア連邦の国防省は、相互の信用を増幅するため、そして交渉継続および前述の合意署名のために必要な条件を作り出すため、キエフとチェルニヒウにおける戦闘作戦を大幅に縮小する決定をした」と述べた。
これに対してウクライナの交渉団は、ロシアが特に強く要求していた中立化を受け入れる考えを示した。
中立化とはこの場合、ウクライナが北大西洋条約機構(NATO)などの軍事同盟に一切参加せず、他国軍の駐留基地を国内に置かないことなどを意味する。
ウクライナの安全を保証する国の候補として、ポーランド、イスラエル、トルコ、カナダなどが浮上している。
ウクライナ代表団によると、両国が検討している和平案には、ロシアが2014年に併合したクリミアの地位について15年間の協議期間を設けることなどが含まれる。ただし、完全な停戦が実現しない限り和平合意は履行されないと、ウクライナ側は説明している。
ウクライナの代表団は、自分たちが提案した和平案には具体的内容が十分含まれており、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領とロシアのウラジーミル・プーチン大統領の直接会談を実施するに足りるものだと主張。ロシア側の回答を待っているところだと話した。
引用:BBC
問題は、「暴君」がこの妥協案を認めるかどうかにかかっている。
その反応は誰にも予想がつかない。

ここにきて、ロシア軍はキエフ周辺から部隊を撤退させ、東部での軍事作戦に兵力を集中させる動きが見られるという。
もともと親ロシア派からの支援要請を受けて東部ドンバス地方2州の解放を口実に始めた戦争だ。
キエフなどへの攻撃はもともと政権転覆を狙ったものではなく、ウクライナ軍の戦闘能力を削ぐのが目的だったと後付けの理由はいくらでも考えられる。
すなわち、ようやく着地点が見えてきたということだ。
激戦が続いていた南東部の要衝マリウポリでは、徐々にロシア軍が勢力範囲を広げ、陥落の日が迫っているように見える。
マリウポリを落とせば、実効支配するクリミア半島と東部地域が地続きとなりロシア本国とつながる。
アゾフ海も完全にロシアの領土となって、ロシア黒海艦隊が自由に使える内海となるのだ。
軍事侵攻の成果としてロシア国民にアピールできる獲物はほぼ手中にしたとも言えるかもしれない。

焦点は、ウクライナ国民がこの停戦をどのように受け止めるかだ。
クリミアに加えて東部2州も奪われた形での停戦は事実上の敗北である。
しかし、その帰属問題を棚上げにしない限り、いつまで経ってもロシア軍の攻撃は止まない。
期待したNATOの支援が得られないことがはっきりした以上、どこまで国民に犠牲を強いるのか、リーダーとしては大いに悩むところだ。
ゼレンスキー大統領は、「中立化」などについて国民投票を行う方針を打ち出している。
いつの時代もロシアやポーランドに領土を奪われてきたウクライナの人たちがどのような決断をするのか?
プーチン大統領の反応と合わせて、私にはまったく予想がつかない。