ウクライナへの軍事侵攻から25日。
ロシア軍による集中攻撃にさらされているのが南部の要衝マリウポリだ。

アゾフ海に面し40万の人口を要するマリウポリは、ロシアが占領しているクリミア半島と今回の軍事侵攻の口実となった東部2州を結ぶ中間地点にあり、ロシアとしてはどんな手段を使っても手に入れたい港湾都市である。
マリウポリがロシア軍に包囲され、ライフラインが絶たれてからすでに3週間になる。
すでに8割の住宅が被害を受けたと伝えられているが、未だに20万人の住民が避難できないまま市内に留まっているという。
ロシア軍はウクライナ軍に対し武器を捨てて街を明け渡すよう最後通牒を突きつけたが、ウクライナ側はこれを拒否、すでに市街戦が始まっているとマリウポリの市長は語っている。

マリウポリの市長は19日、英BBCで「市中心部で市街戦が起きている」と述べ、16日に爆撃された劇場での救出作業が、絶え間ないロシア側の攻撃により阻害されていると指摘した。多くの住民が避難していた劇場からは130人が救出されたが、数百人がとじ込められているもようだ。マリウポリ市議会は、住民約400人が避難していた美術学校も19日にロシア軍の爆撃を受けたとSNS(交流サイト)上で発表した。多くの住民ががれきの下敷きになっているもようだ。
激しい市街戦のため市外へ安全に避難することも難しくなっている。ウクライナ当局によると19日には、一部の市民がいわゆる「人道回廊」を通ってマリウポリからザポロジエに避難したが、マリウポリにはなお30万人ほどの住民がとどまっている。ウクライナのゼレンスキー大統領は20日のビデオ声明で「包囲は戦争犯罪として歴史に刻まれる。何世紀にもわたり人々の記憶に残るテロだ」と非難した。
引用:日本経済新聞
「包囲戦」は古今東西、多くの戦いで採用された一般的な戦術だ。
戦力に勝る側が、味方の損害を最小限に抑えながら勝利を得る方法として、相手を包囲して補給を断って降伏を促す。
日本の戦国時代でも多くの武将が包囲戦を選択した。
降伏しなければ、包囲の中にいる人間たちは飢えに苦しむことになる。

さらに大砲やミサイル、空爆が登場してからは、相手を包囲したまま、外から街を破壊していく。
第二次大戦では、ロシアもナチスドイツによる長期間の包囲戦にさらされた。
代表的なのがレニングラード包囲戦である。
そして今、ロシアはマリウポリでまさにこの「包囲戦」を進めているのだ。
敵が降伏するまで包囲は解かれず、絶え間ない攻撃で相手の戦意を徹底的に挫いていく。
包囲の内側で何が起きているのか、昔はほとんど知ることができなかった。
しかしインターネットの発達により、包囲の内側にある悲惨な現実が映像として世界に発信されている。
これはまさに、人類史上初となる世界が見守る中で行われる「包囲戦」なのだ。

このウクライナでの戦禍を我々とは違う視点から見つめている人たちがいる。
それは同じくロシア軍によって街を木っ端微塵に破壊されたシリアの人たちである。
CNNが報じた素晴らしいリポートを今日は引用させてもらおうと思う。
「ウクライナを見守るシリアの人々、アレッポでの惨状が再び」
ウクライナの戦争に興味を持った日本人にぜひ読んでもらいたい記事である。
アブデル・カフィ・ハムドさん(36)はウクライナのことを考えずにはいられない。シリア人のハムドさんは日々ニュースを追い、団結のメッセージをツイートし、5歳の娘にウクライナ国旗の描き方を教えながら過ごしている。戦争、死、苦悩をとらえた想像を絶する光景が世界中に発信される中、ウクライナ人が味わっている状況を理解できる人はほぼ皆無だとハムドさんは言う。
ハムドさんはCNNに「誰もウクライナの人たちの気持ちを理解できない。世界で彼らのことをよく理解できるのはシリア人しかいません」と語った。
ウクライナとロシアの戦争を見つめる英語教師のハムドさんの脳裏に、人生で最も暗い記憶、2016年にアレッポの街が包囲された時のことがよみがえる。
今年2月末、ロシアはウクライナに侵攻した。戦争により子ども数十人を含む数百人の民間人の命が奪われ、300万人以上の人々が祖国を追われた。
だがウクライナでの戦争の6年前、ロシアは数千キロ離れたシリアでも容赦ない軍事作戦を展開した。アサド政権を支えるためだ。この時の戦争の被害者によれば、テレビの画面に映しだされるウクライナの惨状は自分たちの戦争と恐ろしいほど似通っているという。
ロシアの後ろ盾で、アサド大統領率いる政権と同盟国はアレッポ東部を戦闘地域にした。16年12月、包囲された30万人の住人は食糧供給手段を断たれ、爆撃により降伏を強いられた。こうした戦術は戦争の間ずっと国内のあちこちで展開された。化学兵器によるとみられる攻撃もそのひとつだが、シリアはこれを否定している。砲撃を逃れた人々は、跡形もなくなった家を後にする他なかった。
「彼らは私たちを破壊しました。精神状態はずたずたです」とハムドさん。ハムドさんは街を出る数日前に病院へ向かった時のことを振り返った。気づけば死体の山を越えて、友人の元へ向かっていた。
「ウクライナもいずれそうなるでしょう」とハムドさんは言う。「今ウクライナで起きていることはほんの始まりにすぎません」
シリア人の中には、自分たちの国が不吉な出来事を警告していたのに、世界はあえて目を背けたのだと言う者もいる。シリアはロシア軍兵器の実験場で、近隣地域に対するロシアの野望の前触れだった。
ハムドさんをはじめとするアレッポ住人の仲間は包囲下での生活を事細かに記録し、毎日ソーシャルメディアに動画を投稿して、国際社会に救済を訴えた。彼らの話では、呼びかけには何の返答もなかったという。
「私がとても気がかりなのは、世界が(ウクライナで)同じ過ちを繰り返していることです」。感極まるハムドさんはCNNにこう語った。ウクライナでのロシアの戦争行為に対する非難は、あたかも「これが(ロシアによる)初めての戦争で、初めての殺戮(さつりく)行為」であるかのようだと言う。
「なぜ人々は10年間も目を背けてきたのか、私には想像すらできません」(ハムドさん)
オバマ米政権は13年、自国民に化学兵器を使用したアサド政権が「越えてはならない一線」を踏み越えたと発言した。だが西欧諸国は、軍事介入はしないとの決定を下した。
15年に弱体化したアサド政権を立て直すためにロシア軍が軍事介入し、風向きが変わった。ロシア軍は現在もシリアに駐屯し、アサド大統領は国の大半を再び支配下に置いた。いくつかのアラブ諸国はすでにアサド政権との国交を回復している。
ロシアにとっても軍事介入は数々の利点があった。同盟国の勢力を強固にし、この地域での足掛かりを築くとともに、貴重な軍事経験を積むことができた。
ロシア国防相は、シリアを軍事的な実験場に使ったことを得意げに語りさえした。
「我々は(シリアで)320以上(の種類の兵器)を試用した。実際のところ、複雑ではない武器以外はすべて試した」という昨年8月のショイグ国防相の発言をロシアの国営メディアが報じている。
ボランティアの救助団体ホワイトヘルメッツの一員であるイズマイル・アブドゥラさんは、こうした兵器による民間人の被害を目の当たりにした。アブドゥラさんも16年にアレッポを追われた住民の一人で、シリア第2の都市の陥落を目撃した。アブドゥラさんはCNNに「アレッポは世界の終わりのような有様でした」と語った。
アブドゥラさんは「建物が家族連れや子どもたちの頭上に崩壊するのが見えました。爆撃で倒壊した建物の下敷きになって、34人が亡くなったこともありました」と述べた。アブドゥラさんの話では、その建物を攻撃したのは地中貫通爆弾バンカーバスターだったそうだ。
ロシアはシリアでの軍事介入で人口密集地を無差別に爆撃し、病院や市場、学校などを攻撃した。
国連のシリア独立国際調査委員会も、アサド軍とロシア軍は無差別に人口密集地域を爆撃し、民間人を標的にして殺したと述べている。
同委員会のパウロ・セルジオ・ピネイロ委員長は今月初めにジュネーブで発言し、戦争当事国によって基本的人権がことごとく侵害され、あらゆる戦争犯罪が繰り広げられてきたと述べた。ピネイロ委員長は「ウクライナが同じ運命をたどることのないよう、世界の指導者たちがあらゆる手を尽くしていると願うしかない」と語った。
様々な組織が証拠を集め、目撃者の証言もそろっているにもかかわらず、ロシアはシリアでの戦争犯罪を否定している。
ロシアのプーチン大統領がシリアでの行為に免罪符をもらったことに勢いを得て、クライナ侵攻に踏み切ったのではないかと感じているシリア人は多い。
「シリアでの出来事は世界に対する教訓です。最初から手を打ってシリアの人々を助け、ロシアを止めていれば、こんなことにはならなかったかもしれない」とアブドゥラさんは言う。「ロシアもシリアで足止めを食らって、ウクライナを侵攻する気も起こさなかったでしょう」
ロシアの手の内を十分すぎるほど知り尽くしたホワイトヘルメッツは、ウクライナの情勢に懸念を示すとともに、ウクライナの人々に助言を送っている。
「上空に戦闘機がいなくなるまで爆撃現場に向かってはいけません」とアブドゥラさんは言い、ロシアの「連続」爆撃に注意するようウクライナに警告を送る。
アブドゥラさんもこうした攻撃で同僚を失った。戦闘機は1度爆弾を投下してから数分後に同じ場所を攻撃し、しばしば第一対応者や最初の攻撃の負傷者が命を落としている。
「見晴らしのよい道路を歩かないこと」とアブドゥラさんは続けた。「スナイパーが狙っています。こちらが民間人だろうと、救助隊だろうと、救命士だろうとお構いなしです」
アブドゥラさんのチームが拠点とするイドリブはシリア反体制派の国内最後の拠点だ。彼らは常に警戒態勢をとっている。20年にロシアとトルコの仲介で結ばれた停戦は当てにならない。国連の記録によると、21年後半には少なくとも14回の親政府勢力による攻撃で子どもたちが殺された。その中には通学途中だった子どももいた。
近隣の難民キャンプにはそうしたロシアの空襲で故郷を追われたシリア人たちが次々押し寄せ、トルコの国境付近まで迫る勢いだ。彼らは欧州で繰り広げられている戦争を固唾(かたず)を飲んで見守っている。自分たちとウクライナを運命共同体と感じている人も多い。
「ウクライナのニュースをチェックしています。ウクライナの勝利を願っています。そうすればロシアもこれ以上手が出せませんから」と言うのはウンム・フセインさん(48)。「彼らはここシリアで私たちを殺し、破滅させ、街から追い払い、難民にしました。もし(ウクライナで)ロシアが勝てば、さらに勢いづいて私たちを攻撃するでしょう」
恐怖におびえつつも、難民キャンプの人々は遠く離れたウクライナでの戦争の苦しみに同情を寄せる。
フセインさんは「ウクライナでの状況にはとても胸が痛みますし、気がかりです。子どもたちが死んでいくのを見て泣いています。私たちも同じ苦しみを経験しましたから、ふびんでなりません」と言った。
引用:CNN

マリウポリの街中ではあちらこちらで墓穴が掘られているという。
しかし本格的な市街戦が始まると、そんなことすらできなくなってしまうのだ。
今日のマリウポリは6年前のアレッポ。
国際社会がシリアにおける人権侵害に目を向けなかったつけが、今ウクライナ危機として私たちの目の前に現れたのである。
ウクライナだけが特別ではない。
だがウクライナで止めなければ、ゼレンスキー大統領が警告するように、この戦争が第三次世界大戦に発展しても少しもおかしくないということを私たちは理解する必要があるのだ。
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