<吉祥寺残日録>ウクライナ危機🇺🇦 原発も攻撃された!人命優先で降伏かそれとも国家の威信をかけたゲリラ戦か? #220304

ロシア軍がウクライナ最大の原子力発電所を攻撃した。

攻撃を受けたのはウクライナ南東部にある「ザポリージャ原発」、世界でも3番目の規模となる大きな原発だそうだ。

原発の敷地内で火災が発生したというニュースに、日経平均も一時800円以上急落した。

ただ、放射線レベルが上昇するような異変はないようなので原子炉が損傷するような事態にはなっていないようで、どうやらロシア軍が本格的にライフラインを制圧し電力を止めるなどウクライナの戦意を削ぐ戦術に乗り出したようだ。

このところのロシア軍の動きを見ていると、ウクライナの状況が1990年代、私が取材していたボスニア紛争に似てきたようにも感じる。

ロシア軍の支配地域が次第に広がり、南部では親ロシア派が支配していた東部2州とロシアが武力で占領したクリミア半島をつなぐ「回廊」が完成したようだ。

これにより、これまで一本の橋だけで繋がれていたクリミア半島にロシア領内から自由に物資や人を送り込むことが可能になる。

この回廊設置は、プーチン大統領が軍事侵攻を始めた大きな目的だったと思われる。

そして3日にベラルーシとポーランドとの国境近くで行われた2回目の停戦交渉でも「回廊」という言葉が登場した。

戦闘地域の民間人が避難できるよう「人道回廊」を作ることでロシアとウクライナが合意したという。

人種のモザイクと言われるボスニア・ヘルツェゴビナでの内戦でも、サラエボなどイスラム教徒が支配する地域とセルビア系住民が支配する地域が複雑に入り組んでいて、国連が仲介してお互いの支配地域の中に細い「回廊」が作られ、支援物資の輸送や民間人の救出といったオペレーションが行われた。

ロシア側の攻勢はますます勢いを増してきて、キエフ周辺でも多くの住宅が破壊され民間人の犠牲者が増え続けている。

それでも、ウクライナ側は徹底抗戦の構えを崩していない。

キエフには、東側からもロシア軍が迫っていて、ベラルーシから南下する大部隊は街の西側に回り込み、首都を包囲する態勢が整いつつある。

圧倒的な軍事力を誇るロシア軍に対し、これまで善戦してきたウクライナ軍も、後から後から増強されるロシアの勢いを押しとどめることはそろそろ限界かもしれない。

このまま行けば近い将来、首都キエフをロシアが占拠することは避けられないだろう。

ウクライナ人の戦意は依然として高い、と伝えられている。

しかしどこまで国民に犠牲を強いるのか?

90%を超える高い支持を集めているゼレンスキー大統領の決断が鍵を握っている。

本土決戦を前に昭和天皇と鈴木貫太郎首相が、国民のこれ以上の犠牲を防ぐために無条件降伏を決断したように、ゼレンスキー氏には自らの命を投げ出してロシアに屈服するという選択もある。

同時に、ベトナムのホーチミンのように、国土を破壊され尽くされようが国を守り抜くために強大な敵に対して長期のゲリラ戦を挑むという選択もある。

どちらが正しいのか、人によって考え方が分かれるだろう。

だから、リーダーの決断にすべてがかかってくるのだ。

ゼレンスキー大統領自身、取材に対して「人命を守るための妥協」について触れつつ「妥協できないこともある」と苦しい胸の内をのぞかせた。

そしてプーチン大統領との直接交渉を再び呼びかけた。

「我々の土地から去れ。去るのが嫌なら私との交渉の席に着け。何を怖がっているんだ。」

そのプーチン大統領は、安全保障会議の常任委員たちとのオンライン会議で、「ウクライナで実行している特殊軍事作戦については全て計画どおりで、指定した課題をロシア軍は全て順調に遂行している」と述べた。

そのうえで、次のように語ったという。

ロシア人とウクライナ人は一つの民族であり、この確信を放棄することは決してない。ウクライナ住民の一部は脅迫され、ナチのナショナリズムに溢れたプロパガンダに翻弄され、また一部のものは意識的にバンデーラ主義者や、第二次世界大戦ではヒトラー側で戦ったナチストの手先を真似ているに過ぎない。

引用:スプートニク日本

「ロシア人とウクライナ人は一つの民族」というフレーズは、ウクライナへの軍事侵攻を始める際の演説でもプーチン大統領が使った言葉であり、去年7月にはそれを歴史的に検証した自ら論文まで発表している。

「バンデーラ主義者」とは何か?

調べてみると、かつてのウクライナ民族運動のリーダーだったステパーン・バンデーラ氏が、今回の軍事侵攻の謎を読み解く重要な人物であることを知った。

ウクライナ民族主義運動のリーダーであり、その生涯をウクライナ独立に捧げたバンデーラは、1991年のソビエト連邦の崩壊より前は、ソ連の公式史観の中で「ファシスト」「ソ連の最悪の敵」として扱われており、ソ連時代のウクライナの歴史教育でもこのように教えられていた。ソ連崩壊に伴ってウクライナは1991年に独立を果たしたが、ソ連時代の歴史教育の影響は強く残り、ウクライナにおけるバンデーラへの評価・ウクライナ民族主義者組織への評価・ウクライナ蜂起軍への評価は、否定的なものと肯定的なものが半ばする状況であった。

2014年ウクライナ騒乱により親露派のヴィクトル・ヤヌコーヴィチ大統領が失脚し、代わって反露派のペトロ・ポロシェンコ大統領が就任した。ポロシェンコ政権はソ連・ロシアの「残滓」を除去する政策を数多く打ち出した。これに伴い、バンデーラやウクライナ民族主義者組織、ウクライナ蜂起軍についても「ウクライナ独立のために戦っていた英雄たち」として讃えられるようになり、ウクライナの法律でも同様に定められた。2016年、ウクライナの首都であるキエフの「モスクワ通り」は、キエフ市議会の決議により、バンデーラを顕彰して「ステパーン・バンデーラ通り」に改名された。しかしこれらの動きは、バンデーラをファシストとみなしているロシアを刺激し、ウクライナ危機の要因の1つになったとする指摘もある。

2022年ロシアのウクライナ侵攻においては、市民らが作った火炎瓶を「バンデーラ・スムージー」と呼ぶ者もいた。

出典:ウィキペディア

すなわち、バンデーラとはかつての「ウクライナ民族主義運動」の象徴である。

この運動が始まった当初はウクライナ西部はポーランドの支配下にあり、ポーランドからの独立を目指す運動だった。

ところがそのポーランドがドイツによって滅亡し今度はドイツの支配下に入ると、バンデーラらは共通の敵であるロシアに対抗するために一時的に手を結ぶ。

プーチンさんが言う「ウクライナ民族主義=ナチズム」というロジックはこうした歴史から来ているらしい。

ただ、バンデーラは1941年、ナチス占領下でウクライナ国の独立を宣言して逮捕され、強制収容所に送られる。

つまりナチスに協力したのではなく、あくまでウクライナの独立を目指した指導者だったわけで、民主主義体制を志向する人たちには高く、親ロシア派からはナチスと同義語と見做されているのだ。

私たち日本人には馴染みのないロシアとウクライナの歴史。

少しでも理解しようと図書館で簡単な歴史書を借りてきた。

関眞興著『一冊でわかるロシア史』。

これによれば、確かにロシア人のルーツである「ルーシ民族」が最初に築いた国が9世紀に成立した「キエフ・ルーシ(キエフ大公国)」、プーチンさんが主張する通り、ロシア人のルーツはキエフにあるというのも事実ではある。

ただし、「キエフ・ルーシ」は13世紀、モンゴルの侵攻によって滅亡してしまう。

そして北に落ち延びたルーシの人たちが興した国が「モスクワ大公国」であり、それが現在のロシアへと繋がっていく。

その一方で、現在ウクライナに暮らす人たちは、ちょっと違う。

ウクライナ人の起源は、古代よりウクライナに居住していたコーカソイドのイラン系のスキタイ人やサルマタイ人、東進したゲルマン系の東ゴート人やノルマン人、西進したモンゴロイドの一派テュルク系諸部族のブルガール人、ハザール人、クマン人が、コーカソイドの東スラヴ系などと混血を重ねたことによって形成されたと考えられている。

出典:ウィキペディア

ルーシ民族が主に北方のノルマン人の血を引くのに対し、ウクライナ人には南方系の多様な要素が入り混じっているようだ。

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『一冊でわかるロシア史』では、「ウクライナは誰のもの?」という項目でこう書かれていた。

(ウクライナは)ロシア人やベラルーシ人と同じ東スラブ系民族ではあるものの、ウクライナ人は言語や宗教が異なりました。

ウクライナ地域はかつてキエフ・ルーシ時代の政治・経済の中心地でした。しかし、ロシアの中心がモスクワに移ってからはすたれてしまい、14世紀になると西のポーランド、北のリトアニアなどから軍事的な圧迫を受けていました。

ポーランドとリトアニアは16世紀のなかばに連合王国となり、バルト海から黒海沿岸のオスマン帝国に迫るまでの広い領土を支配します。ウクライナも連合王国に組み込まれていました。

ウクライナの中心部には、ドニエプル川が流れています。14世紀ころから、この川の中流域にポーランドやリトアニアから逃げてきた農民が住み着き、コサックとなって生活していました。

17世紀に入ると、この地のコサックの指導者が、都市として低迷していたキエフの復活をめざして教会を再建し、キエフ神学校が設立されます。やがてキエフは、東ヨーロッパの国々と盛んに交流し、進んだ文化を取り入れていきました。

さらに17世紀の後半になると、ウクライナのコサックは、ロシアと結んでポーランドから独立をめざして立ち上がります。ところがロシアは、ポーランドとの共通の敵であるオスマン帝国と戦うため、ウクライナのコサックを裏切りました。ロシアとポーランドはドニエプル川の右岸をポーランド領、左岸をモスクワ領として分割する協定を結びます。この結果、ウクライナの半分はロシアの領土となりました。

引用:「一冊でわかるロシア史」より

要するに、ウクライナの歴史とは、周辺国に翻弄され常にどこかの国に支配されてきた歴史なのだ。

ヨーロッパの小国は、どこもが味わってきた複雑で苦渋に満ちた歴史である。

キエフに迫るロシアの大軍は郊外25キロの地点で動きを止めているという。

おそらく総攻撃の陣形を整えながら、「人道回廊」を設けてキエフ市民に対して脱出を呼びかけを行い、プレッシャーをかける狙いなのだろう。

ロシア軍が一斉攻撃を始めれば、首都は文字通り壊滅し激しい市街戦の舞台になることが予想される。

まさに本土決戦を前にした日本の状況に追い込まれるのだ。

その時、ゼレンスキー政権がどのような決断を下すのか、侵略戦争の行方はそこが焦点となってきた。

ウクライナがどちらの選択をするとしても、それを批判することはできない。

私たち国際社会にとって大切なことは、ウクライナで起きたことを忘れないこと。

どんなに時間がかかっても、どれほど返り血を浴びようとも、プーチン大統領を追い詰めて政権を瓦解させることが寛容である。

ウクライナを忘れないように、ミャンマーも香港もシリアもウイグルもチベットも忘れてはいけない。

武力で制圧され望まない体制に組み込まれたすべての民族の無念を知り、新たな「民族自決」の戦いを応援する姿勢が求められているのだと思う。

<きちたび>3泊4日ソウルの旅 2019 ① 「3.1独立運動」100周年を自ら体感するためにソウルに飛んだ

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