<吉祥寺残日録>「アラブの春」から10年!「SNS革命」は人々を幸せにしたか? #210126

10年前の1月25日、アラブの盟主と言われたエジプトで大規模な反政府デモが発生した。

いわゆる「エジプト革命」の始まりである。

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約30年にわたり権力の座にあったムバラク大統領が政権移譲を発表したのは2月11日、わずか半月ほどで独裁政権が崩壊したのだ。

エジプトに先立ってチュニジアで始まった中東での民主化運動は「アラブの春」と呼ばれ、日本を含め西側諸国では好意的に伝えられた。

独裁政権vs民衆という図式で報道された「アラブの春」を特徴づけたのは当時往生したばかりだったSNSが民衆側の重要なツールとなり、政府による言論統制をすり抜けて群衆を一つにまとめる役目を果たしたことだった。

SNSが単なる友人とのコミュニケーションツールではなく、政治を動かし社会を変革する原動力になりうることを示した「SNS革命」として世界に衝撃を与えたのだ。

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あれから10年、「アラブの春」で政権を転覆した中東諸国はその後どんな道を辿ったのか?

日本ではあまり報じられることがないので、この機会に少し調べてみようと思った。

エジプト

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まずは2011年2月にムバラク政権を崩壊させたエジプトから。

エジプト革命後、2011年12月から人民議会選挙、2012年には大統領選挙が行われ、6月ムルシ新大統領が選出された。

しかし社会の混乱は一向に収まらず、各地で暴動が頻発した。

その結果、2013年7月3日に軍事クーデターが起きて、その指導者だったシシ国防相が大統領に就任する。

それでもエジプトはまだ幸せな方だっただろう。

シシ政権は社会秩序の回復と経済発展に重点を置き、エジプト社会はひとまず安定を取り戻した。

さらにシシ大統領は人口過密なカイロに替わる新しい首都をカイロの東部に建設する計画を立て、現在遂行中である。

コロナ前には経済成長率5〜6%を達成したシシ政権を支持する国民も増える一方で、憲法を改正し2030年までシシ大統領が続投可能となった。

しかし、革命前と同じ独裁政権復活も懸念する声もあるという。

昨夜見たNHKの番組によると、エジプト国内の言論統制は再び強化され、「アラブの春」を主導した民主派の活動家は国外に亡命するか、転向してシシ政権の下で議員になるなどバラバラの道を歩んでいるそうだ。

チュニジア

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北アフリカのチュニジアは「アラブの春」の発火点だった。

2010年12月17日、一人の露天商の青年が政府に抗議して焼身自殺したが、その映像を兄弟がFacebookに投稿したことをきっかけに、アルジャジーラにも取り上げられ、高い失業率に苦しむ若者たちの間で抗議運動が激化した。

地方で始まった抗議活動の様子はSNSで拡散され、翌1月に入ると反政府デモが首都にも飛び火、23年続いたベン・アリ政権は1月14日あっけなく崩壊した。

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チュニジアでの民衆による政変転覆劇は「ジャスミン革命」と呼ばれ、その興奮は瞬く間に中東各国に波及していく。

2011年10月、チュニジアでは史上初となる自由選挙が実施された。

しかし、その後も政局は安定しなかった。

野党議員が暗殺されたり、外国人を狙ったテロ事件が続発するなどして、ついには非常事態宣言が出される事態が今も続いている。

その一方で、ベン・アリ政権時代の言論統制は緩和され多くのメディアが誕生するなど改善された部分もあるようだ。

チュニジアの経済成長率はコロナ前で2.5%程度となっている。

リビア

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エジプトに続いて国際的な注目を集めたのは、リビアだった。

エジプトで盛り上がった「アラブの春」は、2011年2月には隣国のリビアに飛び火、リビアの独裁者カダフィはデモ隊を弾圧した。

海外のジャーナリストが入れないリビア各地からSNSに投稿された映像が国際世論に火をつけ、ついにNATOが反政府勢力を支援する形で内戦に突入する。

8月24日、首都トリポリは陥落、42年間続いたカダフィ政権は崩壊した。

その後も逃亡を続けたカダフィ大佐だが10月に故郷のシルトで殺害され、その血まみれの遺体の映像がSNSで世界に発信された。

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こうして民衆はカダフィ政権を崩壊させたが、その後のリビアは一段と混迷を極める。

2012年7月には60年ぶりとなる議会選挙が行われたものの、その直後にアメリカ領事館襲撃事件が発生し大使ら4人が死亡した。

この事件は、『13時間 ベンガジの秘密の兵士』というタイトルで映画化もされるほど欧米に衝撃を与える。

さらには、新政権が安定しない間に、カダフィ派の残党やイスラム系武装勢力が各地で攻勢を強め、リビアは2014年に本格的な内戦に突入した。

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リビアでは現在も、首都トリポリの暫定政府と第二の都市ベンガジを拠点とする反政府組織「リビア国民軍(LNA)」による戦闘が続いている。

暫定政府をトルコや西側諸国が支援し、LNAをエジプトやロシアが支援する複雑な構図となっていて、多くの人が地中海を渡ってヨーロッパに押し寄せ深刻な難民問題も引き起こした。

シリア

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「アラブの春」が最後に波及したのがシリア。

他国の動きに刺激されSNSで盛り上がり始めた民主化運動が大規模な暴動に発展したのは2011年4月になってからだった。

アサド政権はデモ隊を厳しく取り締まったがこれに欧米諸国が反発、当時のオバマ政権はシリア政府に圧力をかける。

こうした国際世論の後押しを受ける形で、政府に批判的な勢力は「自由シリア軍」と「シリア国民評議会」を立ち上げ、アサド大統領の退陣を求めた。

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こうして始まったシリア内戦は、アメリカ・ロシア・トルコなどの思惑が入り乱れて全土を戦場に変え、多くの犠牲者と難民を生み出したことは周知の事実である。

この内戦の過程で、過激な「イスラム国」がシリアの一部を支配する異常事態も発生し、日本人ジャーナリストも残忍な形で命を奪われた。

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「アラブの春」というSNSによって生み出された革命は、シリアでは誰も望んでいなかった悲劇を産み、国中を廃墟にし、人々の心に消しがたい傷を残した。

しかも、7年以上に及ぶ泥沼の内戦の末、結局アサド政権は生き残った。

「アラブの春」を主導した人たちは、10年後の状況をどのように見ているのだろう?

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「アラブの春」から10年とは言っても、NHK以外にあまり報道はされていない。

あの革命は、何だったのか?

テレビニュースを見ながら、私は考えさせられた。

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Facebookが一般に開放されたのは2006年9月、そして世界最大の8億人の利用者を持つSNSに成長したのは「アラブの春」が起きた2011年9月のことである。

当時はFacebookは、新たな希望として世界中の人たちに受け入れられた。

メディアが入れない独裁国家からも映像や情報を世界中に発信することができ、政府に批判的な見ず知らずの人たちをつなぐことも可能にした。

より良い社会がそこから生まれてくるとみんなが素直に期待したのだ。

しかし、10年が経って独裁政権と戦った国々のその後を見ていくと、民主主義が成熟していない社会において、政権を転覆させることは必ずしも国民を幸せにしないことが見えてくる。

自由と民主主義は確かに大切だが、その前提となるのは何よりもまず安全に生活ができる社会である。

治安が保たれ、社会の秩序が維持されていてこそ初めて、自由や民主主義が意味を持つ。

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「アラブの春」から10年。

民衆の武器だったSNSは、中国式の監視システムに組み込まれつつある。

国家に都合の悪い情報は直ちに削除され、逆に危険思想を持つ人物を洗い出すために威力を発揮する、SNSはそんな権力側のツールに作り変えられようとしているのだ。

IT先進国のアメリカでもトランプ政権によってSNSの政治利用が進む中で、中国式の監視システムは世界中の独裁国家に採用され、ますます言論の自由を妨害する方向に進んでいくだろう。

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SNSが魔法のツールだった時代は終わった。

それでも一度手にしたSNSは、多くの人にとってもはや手放すことはできないだろう。

それならせめて、将来私たちの国がそんな監視社会にならないように、表現の自由をみんなで守ろうではないか。

ネットで意図的にフェイクニュースを流すことは、今手にしている自由すら手放す危険性がある「自殺行為」と認識すべきである。

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