<吉祥寺図書館>ジョン・ヘイウッド著「世界の民族・国家興亡歴史地図年表」(2011年/イギリス/日本語版2013年柊風舎)

快晴の日曜日、昨日たまたま図書館で見つけた大型本をぱらぱらとめくっている。

すごい本に巡り合ってしまった。

イギリスの歴史学者ジョン・ヘイウッド氏がまとめた壮大な年表「世界の民族・国家興亡歴史地図年表」。

定価19800円という大型本である。

この本になぜ目が止まったかというと、地域ごとで語られることが多い世界史を世界レベルで俯瞰してみたいと以前から思っていたからだ。

そしてこの本は、そんな私の願望にドンピシャで答えてくれる素晴らしい労作である。

地図と年表の組み合わせで、その時代の大まかな勢力分布を知ることができる。

例えば、紀元前500年ごろの世界。

世界の中心は中東で、ペルシャ帝国が巨大な版図を構築し、バビロンが世界最大の都市だった。

中国は春秋戦国時代で群雄割拠の戦乱が続き、孔子や老子ら諸子百家と呼ばれる思想家を輩出した。

この時代にすでに王国や都市国家を築いていたのは、インドやギリシア・ローマ、意外なところではナイル川の上流やイエメン、黒海の沿岸や中米も先進地域だった。

この時代、日本については「縄文時代の狩猟採集民、漁労民」と書かれ、色分けでは北米や南米南部、アフリカ南部、オーストラリア、シベリアなどと並んで、最も原始的な「狩猟採集民」に分類されている。縄文文化については文字を持たないことで低く評価されていると異議を申し立てたい気持ちもあるが、まとまった国家を作らず、それぞれさほど大きくないグループ単位で生活していたある意味平和な時代でもあった。

日本に初めて緑色、すなわち「定住農耕文化」が入ってくるのは、紀元前200年ごろ。「弥生時代の稲作文化」と記され、九州から中国四国あたりの西日本が緑に塗られている。

縄文人も定住農耕生活をしていたとみられているので、必ずしも正確ではないかもしれないが、イギリス人から見るとそのように分類されれらしい。

この時代、中国では漢王朝が成立し、朝鮮半島でも朝鮮族の「首長制社会」が成立している。

漢王朝の北には匈奴など遊牧民たちの広大な世界が広がり、南には今でいうベトナム人たちの越の国があった。

世界最大の都市はエジプト・プトレマイオス朝の都アレクサンドリア。人口はおよそ60万人とされている。

中東ではアレクサンドロス大王の後継者が築いたセレウコス朝シリア、インドはマウリヤ朝が支配し、ヨーロッパでは共和制ローマが徐々に存在感を増していた。

さらに時代が進んで紀元前1年ごろになると、日本の色が茶色に変わる。

茶色は「複合的農耕社会/首長制社会」に分類され、稲作が東日本まで広まって各地に小さな国ができ、邪馬台国が登場する前の時代となる。東北や北海道、さらにサハリンはアイヌの土地と記されている。

この時代、中国では漢王朝が版図を最大とし、朝鮮には高句麗や新羅といった国家が誕生する。

この時代の特徴は、ローマ帝国が地中海エリアを統一し、世界の中心に躍り出る。アレクサンドリア、ローマ、アンティオキアといったローマ帝国の都市が世界的な大都市だった。

一方で、中米にはマヤやテオティワカンといった文明が、南米ではモチェやナスカ、北アフリカにはガラマンテスやメロエ、アラビア半島にはハドラマウトやヒムヤルといったあまりなじみのない国家が成立している。

西暦400年ごろになると、「日本」という文字が初めて登場する。

近畿以西の西日本は「都市国家/王国」に当たる水色に塗られ、ヤマト王権が成立したことを示している。

東北までの東日本は定住農耕文化の緑、北海道は狩猟採集民のベージュで「アイヌ」と書かれている。

この時代の中国は、三国志で有名な三国時代が終わり、中国を統一した晋が華南に追い込められ、華北では様々な遊牧民国家が興亡を繰り返す五胡十六国時代。朝鮮半島には百済が成立し、高句麗、新羅との三国時代に入っていた。

この時代の世界の中心はローマ。人口は80万人ほどとみられている。すでに西ローマ帝国と東ローマ帝国に分裂し、東ローマ帝国の都コンスタンティノープルも世界有数の大都市に成長していた。

中東地域にはササン朝ペルシャ、インドにはグプタ朝が強大な帝国を築いていて、中国から地中海エリアにかけての広大なエリアを大国が分割する構図が出来上がってきた。

西暦800年ごろになると、京都が世界第5位の大都市として浮上する。794年に平安京に都を移し、当時の人口は20万人と推定されている。

この時代の世界の中心は中国。唐王朝が全土を統一し、都である長安の人口は80万人で世界一の大都市だった。朝鮮半島は新羅が統一し、その北には渤海国が誕生している。

チベットには吐蕃国という統一国家が誕生し、雲南地方の南詔と手を組んで唐やウイグル族の回鶻に対抗した。

ヨーロッパでは476年に西ローマ帝国が滅亡、カロリング朝フランク王国が現在のフランス・ドイツ・イタリアを支配し、その東方にはスラブ人の勢力が広がってきた。

中東では7世紀からムハンマドのイスラムが台頭し、その後継者であるカリフが支配するウマイヤ朝が巨大帝国を築き、その都であるバグダードは世界第2の大都市でした。

西暦1300年。日本は鎌倉幕府の武家政権に変わり、京都が世界の大都市から姿を消します。

そしてこの時代は特徴は何と言ってもモンゴルの巨大帝国がユーラシア大陸を席巻したことだ。

中国から朝鮮半島全域は元王朝の支配下に入り、中央アジアから中東にかけてモンゴル国家が樹立される。しかし、この中で、チベットやカシミール、インドや東南アジアは日本同様、それぞれの独立国を維持していることには注目したい。

ヨーロッパでは、東ローマの流れをくむビザンツ帝国もかろうじて生き残る一方、ドイツを中心とした神聖ローマ帝国が台頭し、フランス、イングランド、ハンガリー、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、ポーランド、リトアニア、セルビア、ブルガリア、ポルトガルなど現在につながる国家群がこの時代までに誕生している。

スペインではスペインの前身となるカスティリャ王国が誕生する一方で、カタルーニャやバスク地方には別々の王国が長く続いていて、それが今日の独立運動の背景にあることがよくわかる。

イタリアでは、北部が神聖ローマ帝国の一部になっていたが、都市国家のヴェネツィアやローマ周辺の教皇領などそれぞれ異なる歴史を歩んでいた。

急成長しキリスト教徒の十字軍と戦ってきたイスラム勢力は、この時代カイロを中心にしたマムルーク朝を中心に存続した。また、西アフリカでは金鉱を握るマリ帝国が繁栄していたことは今回初めて知った。マリ帝国もイスラム教を受け入れていたそうだ。

アフリカ大陸には、そのほかにも複数の国家が生まれていて、その中にはエチオピアやジンバブエ、ベニンなど現代にその名を残す国家もあった。

さらに、最後まで無人の島だったニュージーランドにも、この頃までにはマオリ人が到達している。

そして人類史に大きな変化をもたらすのが、1492年。コロンブスによる「新大陸発見」である。

コロンブスがアメリカ大陸を発見した背景には、ムスリム仲買人を通さず東洋の香辛料や中国の絹を手に入れたいというヨーロッパ人の願望があった。1453年にはオスマン帝国によってキリスト教徒の都コンスタンティノープルが制服され、イスラム勢力が再び力を増していることもポルトガル・スペイン人を海へと駆り立てた。

この時代のアメリカ大陸は、南米でインカ帝国が、中米ではアステカ帝国が繁栄していた。その一方で北米ではアメリカ・インディアンによるミシシッピ川流域で神殿塚文化が続いていて、有力な国家はまだ存在しなかった。

この時代の先進国といえば中国の明王朝であり、北京が世界一の大都市だった。しかし明の北方には依然としてモンゴルの脅威があり、ヨーロッパのように外に勢力を向ける余裕はなかったのだ。

モンゴルから解放された朝鮮半島には李氏朝鮮が誕生し、その北方には後に清王朝を築くことになる女真族が力をつけ始めていた。

関ヶ原の戦いが行われた西暦1600年。豊臣氏の本拠地・大阪が世界4位の大都市と記されている。人口は36万人だ。

世界最大の都市は依然として明王朝の都・北京で人口70万人。第2位はオスマン帝国の都イスタンブールで人口65万人とされる。

ビザンツ帝国を滅ぼしたオスマン・トルコはその版図を広げ、ヨーロッパを東から圧迫した。その無敵のオスマン帝国をレパントの海戦で破ったのがスペインだった。

スペインはインカ帝国を征服し、大量の金のほか世界最大の銀鉱山を支配下に置き、中南米カリブ海に領土を広げていく。さらに進出はアジアにも延び、マレー人が暮らしていたフィリピンをその領土に加えた。

スペインに先駆けてインド航路を開拓したポルトガル人は、アフリカ大陸やインド各地に点々と勢力圏を構築し、マラッカやティモール、マカオにも足場を築いていった。さらに南米大陸の東海岸にも領土を広げ、それが現在のブラジルにつながる。

ヨーロッパ人が持ち込んだ病原菌で中南米地域の人口が急減したため、スペインとポルトガルはアフリカから労働力を運ぶ奴隷貿易を始めた。

一方この時代は、インドのムガル帝国の最盛期であり、有名がタージマハルがあるアーグラはその都として世界第3位の大都市だったという。

ヨーロッパの東では、ロシアがイヴァン雷帝らが皇帝ツァーリによる専制政治によって急速にその勢力を伸ばしていた。1613年にはロマノフ朝が成立し、第貴族と農奴制を基本とした強大なロシア帝国へと発展していく。

西暦1715年には、江戸が世界第2位の大都市として登場する。江戸の人口は68万人、元禄を過ぎた頃で日本は太平の真っ只中にあった。細かくてよく見えないが、沖縄や南西諸島がそれまでの緑色から水色に変わり、薩摩藩による琉球侵攻によって日本の勢力下に置かれたことが示されている。

この時代に世界最大の大都市はイスタンブールだったが、オスマン帝国はすでにそのピークを過ぎており、インドのムガル帝国も同様でイスラムの衰退が始まっていた。

一方中国では、女真族の帝国、清王朝が全土を支配し、北方のモンゴルも征服していた。有史以来中央アジアの広大なエリアで栄枯盛衰を繰り広げてきた遊牧民族たちは、清王朝とシベリア進出を進めるロシア帝国によって追い詰められ草原の支配権を失った。

ヨーロッパでは、ルイ14世のフランスやハプスブルグ家のオーストリア帝国など列強の争いが続き、その中から急速に台頭してきたのがイングランドとスコットランドが合併してできたイギリスだった。

経済力と海軍力で列強のトップに立ったイギリスは、北米大陸の東海岸に植民地を広げていき、フランスもそれに対抗した。ケベックやルイジアナはその時代のフランス植民地だった。一方で、先行していたスペインは中米や南米大陸の西海岸から内陸に植民地を広げ、ポルトガルは南米大陸の東海岸から領土を広げていった。

しかしこの時代で注目すべきはアフリカ大陸で、奴隷貿易は行われていたものの、まだ本格的な植民地獲得の動きは進んでいない。

モロッコやコンゴなど数多くの国家が誕生している。ヨーロッパ人の足跡といえば、アンゴラやモザンビーク、モンバサなどに点々と築かれた小さなポルトガル領ぐらいで、イギリスやフランスが西アフリカ沿岸にいくつかの拠点を獲得し始めた段階だった。

続いて西暦1783年。北米大陸にアメリカ合衆国が登場する。

1776年、13のイギリス植民地が独立を宣言、イギリスは独立戦争でこれを抑え込もうとしたがこの年に独立を承認した。

この頃までにはフランスの植民地はイギリスに奪われ、ルイジアナはスペインに譲渡していたので、北米大陸の大部分は、イギリスとスペイン、そして新たに誕生したアメリカ合衆国によって分割される形になった。

一方で、南米大陸はスペインとポルトガルで二分する形がほど出来上がった。さらに、カリブ海の島々や南米北部の一部をスペイン、イギリス、フランス、オランダ、デンマークが取り合って、現在の小国乱立の原因を作った。

アジアでは清王朝がチベットを飲み込んで領土を拡張。ムガル帝国が衰退したインドでは小国が乱立し、イスラム教徒とヒンズー教徒が主導権を争う間隙をついて、イギリス東インド会社がベンガル地方などを征服しインド植民地化の足場を築いた。

新興国のオランダもマレー人の小国が乱立する現在のインドネシアに進出し、カトリックとプロテスタントの争いも絡みながら、先を争ってアジア進出を進めていった。

ちなみにこの時代の世界の大都市は、1位が北京で110万人、2位はロンドン、3位が江戸で、4位イスタンブール、5位パリという順位になっている。

明治維新直前の西暦1861年。幕末の江戸は依然として世界第5位の大都市である。北海道も水色に塗られ、江戸幕府の権力が北海道にまで及んだことが示されている。アイヌの反乱を鎮圧し、南下するロシアへの防備のため間宮林蔵らが蝦夷地を探検するなど、北海道支配を本格化させたのは江戸時代のことだった。

この時代、世界最大の都市は産業革命の中心地であるロンドンで人口280万人。パリがそれに続き、ニューヨークが世界4位に浮上している。

そのアメリカでは、1861年に南北戦争が起きる。一方で、スペインやポルトガルの植民地だった中南米諸国は、ナポレオンによるスペイン占領を機に独立運動が高まり、現在の地図にある国々が誕生している。

注目すべきはアラスカで、ベーリング海を渡ってロシアが北米大陸まで領土を広げていた。アメリカは1867年、アラスカをロシアから購入している。現在の値段でおよそ9000万ドル程度とされる。

ロシア帝国は南下政策を進め、中央アジアの遊牧民エリアを完全に飲み込み、極東では沿海州を獲得して李氏朝鮮に迫った。これが後の日清・日露戦争へと繋がっていくのだ。

一方、アジアにおける植民地化は進み、イギリスはインド亜大陸とセイロン島を完全に支配し、ビルマに進出した。アヘン戦争に勝利して香港を手に入れ、アジアの超大国・清へも触手を伸ばす。さらに、オーストラリアとニュージーランドを流刑地や入植地として開拓を進め、ペルシャ湾でも現在のアラブ首長国連邦やバーレーンを手に入れた。

さらにアフリカ大陸にも手を伸ばし、南アフリカにオランダ東インド会社が作ったケープ植民地を奪い取った。イギリスの支配を受け入れないオランダ移民たちは内陸部に移ってトランスヴァール共和国やオレンジ自由国を建国し、彼らの子孫は自らを「アフリカーナー」と呼び、アパルトヘイトの中核となった。

西アフリカの沿岸部には列強がそれぞれ拠点を確保して、いよいよ本格的な植民地化の動きが始まった。その一方で、エチオピア、ルワンダ、ブルンジなどアフリカ内陸部には小さな国家がたくさん生まれていたのだ。

西暦1900年。いよいよアフリカの分割が本格化する。

エジプトから南アフリカへの縦のラインはイギリス、西アフリカやマダガスカルはフランス、そのほかアンゴラやモザンビークをポルトガル、カメルーンやトーゴはドイツ、ソマリアはイタリア、コンゴはベルギー・・・。

本国のヨーロッパでは、イギリス、フランスに対してドイツやオーストリア・ハンガリー帝国が台頭し、その東にロシアが君臨する列強間の緊張関係が続いていた。

その時代、日本は日清戦争に勝利して台湾を獲得、朝鮮半島への権益を巡ってロシアとの対立が深まる。アジアの盟主である清王朝には列強の租界ができ、様々な権益を切り売りする形で内部から崩壊が始まっていた。

インドを抑えたイギリスは、現在のパキスタンやビルマ、マレー半島とシンガポール、さらにボルネオ北部までその支配エリアを広げ、アラビア半島でもオマーン、イエメン、クウェートを植民地に加えた。それに対してフランスもベトナム、カンボジア、ラオスを占領し、フランス領インドシナを獲得した。

一方、新大陸では大量の移民を受け入れたアメリカが急成長し、ニューヨークが世界第2位、シカゴが5位の大都市に発展した。遅ればせながら海外の植民地獲得にも進出し、フィリピンやハワイ、グアムなどを領土に加えた。南太平洋の島々でも列強の陣取りゲームが始まり、フィジーやトンガ、ソロモン諸島はイギリス、ニューカレドニアやタヒチはフランス、ニューギニア北東部やパラオ諸島はドイツの支配下に入り、現在のインドネシアの大半は早くからオランダの植民地になっていた。

この時代の地図を改めて見てみると、アジアで独立国として存続していたのは、シャム、ネパール、ブータン、アフガニスタン、ペルシア。ちょっと意外な顔ぶれだ。

そんな中で、日露戦争に勝利し朝鮮を併合し列強の仲間入りした日本は、アジアの人々から特別の存在に映ったことは理解できる。

こうした状況の中で起きた第一次世界大戦。

1917年時点での勢力図を色分けすると、赤が英仏露を中心とした連合国側、紫がドイツ・オーストリアを中心とした同盟国側、水色が中立国である。

イギリスとフランスの植民地が多いため、世界地図は真っ赤だが、戦争が始まった当初は日本もアメリカも水色だった。第一次大戦はアメリカが参戦したことで連合国側の勝利で終わり、近世のスーパーパワーだったハプスブルク家とオスマン帝国がドイツとともに敗者となった。

第一次大戦の結果、いくつかの変化があった。

連合国側として参戦した日本はアジアにおけるドイツの領地を獲得し、さらに満州から中国へと侵略を始めた。この当時、東京は世界第3の大都市に成長している。

中国では中華民国が誕生し、清朝に飲み込まれていたチベットやモンゴルは主権を取り戻す。

戦争中に起きたロシア革命によってロシア帝国はソビエト連邦に変わり、フィンランド、ポーランド、バルト三国が独立を果たす。

さらに敗戦国となったドイツ、オーストリア、オスマン帝国の領土が分割され、チェコスロヴァキア、ユーゴスラビア、アルバニア、イラク、サウジアラビアなどが誕生した。

さらにイギリスの入植地のうち、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、エジプトが独立を果たした。

こうして植民地時代に乗り遅れた日本が中国への侵略を進めたのと同じように、同盟関係にあったイタリアはエチオピアを侵略、さらにナチスドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦に突入した。

第二次大戦突入後の1942年の勢力図。

赤が連合国、紫が枢軸国、そして水色がその他の国だ。フランスはこの時期すでにドイツに占領され、傀儡のヴィシー政権になっていたためフランスの植民地は紫色に変わっている。ロシアとアメリカがいるので赤が優勢に見えるが、主戦場のヨーロッパだけを見ると、イギリスが孤立しているようにも見えてくる。

日本は緒戦の快進撃により線で囲まれたところまで勢力圏を広げた。

満州国、朝鮮、中国沿岸部、台湾、インドシナ、ビルマ、マラヤ、フィリピン、オランダ領東インド、ニューギニア、そして太平洋の島々・・・。

そして・・・

日本の敗戦。

1945年の地図では、米軍に占領統治された日本は、連合国占領地のピンクに塗られていた。それでも、東京の人口は世界第4位。アジア最大の都市だった。

日本が占領した東南アジアの国々は戦争前の宗主国の植民地に戻され、満州国など中国での日本の占領地域は共産中国の支配下に入ったことに色分けされていた。

1950年になると、東西冷戦が地図の上にはっきりと現れる。

中国では共産党が国民党を台湾に追い出し、さらにチベットを併合する。朝鮮半島では朝鮮戦争が始まり、日本の植民地から解放されたばかりの朝鮮半島は南北に分断されてしまった。

イギリスの植民地だったインドやビルマが独立し、イスラム教徒の国パキスタンと分離された。ただし、イギリスの植民地時代にビルマに流れ込んだイスラム教徒たちが今日のロヒンギャ問題の原因となった。

さらに、インドネシアがオランダから、フィリピンがアメリカから独立したが、フランスはインドシナを手放そうとせず、インドシナ戦争へと発展する。

こうした中で日本は、1951年にサンフランシスコ講和条約に調印し国際社会に復帰。朝鮮戦争の特需で経済も潤い、東京は人口1100万人の世界第2の大都市になった。

世界最大の都市はニューヨーク。疲弊したヨーロッパに対し無傷のアメリカが世界の超大国となった。

このアメリカに対抗する社会主義陣営の盟主であるソビエトは、東欧諸国を衛星国としてその影響下に置き、東西ヨーロッパの間に鉄のカーテンが降ろされた。

そして最後は西暦2010年。今から10年前の地図だ。

世界中から植民地は消え、東西の冷戦も終わり、水色の国が増えている。

アメリカやヨーロッパにあるピンクに塗られた国々はNATO諸国。

そして中国など数カ国が茶色で色分けされている。茶色は「共産主義国ないし名目上の共産主義国」だという。確かに中国はいまだに中国共産党の一党独裁だから共産主義国ということになるが、ある意味世界でも有数の資本主義国のようにも見える。

そしてロシア。いつの間にか社会主義国ではなくなっていたのだ。確かにプーチン大統領の与党は共産党ではなく「統一ロシア」。かつての社会主義国の盟主が社会主義を捨てていることに迂闊にも気づいていなかった。

そういう意味では、現在共産主義国と分類される国は、中国のほかに、北朝鮮、ベトナム、ラオス、キューバ。たったそれだけなのだ。

そんな資本主義と世俗主義に支配された世界で、最も人口の多い都市は3500万人の東京、2位はメキシコシティ、3位ムンバイ、4位サンパウロ、5位ニューヨーク。グローバル化した世界の中で、人口も世界に分散していることに気づく。

これは都市圏としての人口比較だと思うが、最新の2019年のデータによると、1位は依然として東京で、2位はジャカルタ、3位デリー、4位マニラ、5位ソウルとなっていた。ちなみに市域人口で比較すると、1位重慶、2位上海、3位北京、4位デリー、5位成都と中国勢が上位を独占する。

こうして人類の歴史を世界レベルで俯瞰すると、平和な時代というのはほどんどなく、日本ほど民族の入れ替えのなかった土地というのもほとんどないということがよくわかる。

日本人はそうした特殊事情をよく理解した上で、今後も平和な世界実現のために努力しなければと改めて感じた。

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