<きちたび>ニュージーランドの旅2020🇳🇿 人類未踏の島は「鳥の楽園」だった!【オークランド博物館】の巨大鳥モア

🇳🇿ニュージーランド/オークランド 2020年1月1日

今回の旅で、ニュージーランドについて調べていて一番興味深かったことは、人間がこの島にやって来てからわずか800年ほどしか経っていないということです。

それまでニュージーランドには人間はもちろん、コウモリ以外の哺乳動物がいなかったというのです。

人間がやってくる以前のニュージーランドは「鳥の楽園」でした。

そのシンボルとされるのが、体高2〜3m、体重200kg以上の巨大鳥「モア」です。

天敵がいないため飛べなかったモアは人間の格好の獲物となり絶滅しました。

そんなモアに会いに、「オークランド戦争記念博物館」に行ってみました。

路線バス「インナー・リンク」に乗って、ダウンタウンから博物館へ

ダウンタウンの東にある博物館には、緑色の路線バス「インナー・リンク」で向かいます。

ブリトマート駅近くのバス停からインナー・リンクに乗ってしばらく走ると、右手少し離れたところに大きな建物が見えて来ます。これが博物館です。

私たちはよくわからないまま、「540 Parnell Rd」というバス停で降りました。

本当は一つ手前の「470 Parnell Rd」の方が近いようです。

先ほど見えた大きな建物の方に向かって住宅街を進むと、広々とした公園の中に建つ大きな建物が姿を現しました。

博物館がある一帯は、「オークランド・ドメイン」と呼ばれる広大な公園です。

「オークランド・ドメイン」は、公園が多いこの街でも最も古い公園だそうです。

火山活動によってできた小高い丘が丸ごと公園になっていて、博物館の前に立つとオークランドを取り囲む湾が一望できます。

そしてこちらが、「オークランド戦争記念博物館」。

堂々たる建物です。

1929年にオープンしたこの博物館は、ニュージーランド最大の規模です。

「戦争記念博物館」という名前ですが、その展示内容のほとんどは戦争とは関係なく、ニュージーランドの自然やマオリ文化など、この国独自の歴史を知るためには最高の場所なのです。

建物に入ると、柱が並ぶ吹き抜けのホール。

ここで入場券を買って中に入ると、まず荷物を預けます。

入場料は25NZドルですが、館内で行われるマオリショーを観覧できるセット券45NZドル(約3240円)を購入しました。

オークランド博物館① マオリはいつ、どこから、どうやってやって来たのか?

ニュージーランドを訪れる前、私には一つの疑問がありました。

だだっ広い太平洋でマオリの先祖たちは、いつ頃、どうやってこの島にやって来たのか?

朝鮮半島から日本列島に渡ってくるのとは、わけが違います。

博物館の1階は、マオリに関する展示が占めていますが、その一画に私の疑問に答えてくれる一枚のパネルがありました。

基本的に言えば、アジア大陸に住んでいた人間がフィリピンからニューギニア、ソロモン諸島、バヌアツ、フィジー、トンガという今では「メラネシア」と呼ばれる島々の連なりを経て、クック諸島あたりにたどり着き、そこから北にいった人たちはハワイへ、東に向かった人たちはイースター島へ、そして南に向かった人たちがアオテアロア(現在のニュージーランド)へ到達したというのが今有力な説です。

ハワイ、イースター島、ニュージーランドを結ぶ大きな三角形の広大なエリアは「ポリネシア」と呼ばれ、言語や習俗などがとても似ているそうです。

ニューギニアあたりに到達したのが5000年前、フィジーあたりへは3000年前、クック諸島へは1500年前、そしてニュージーランドに人類が到達したのは、今から800年前だと見られています。

800年前といえば、日本では鎌倉時代、チンギスハンがモンゴルを統一し、欧州では十字軍が活躍した頃です。

逆にいえば、鎌倉時代まではニュージーランドには人間が一人もいなかったのです。

博物館には、大きなカヌーも展示されていました。

果たして広大な太平洋の大海原をマオリの先祖たちはどのようにして乗り越えたのか?

この点も大いに興味が湧くテーマです。

マオリの伝承では、祖先は「ハワイキ」と呼ばれる太平洋上の島からワカ(カヌー)に乗って海を渡ってきたとされています。

ハワイキは、クック諸島、ソシエテ諸島、マルケサス諸島のどこかと考えられていますが、まだ特定されていません。

ハワイキでは人口過剰のため、土地や食べ物を巡って争いが起き、移住を余儀なくされたと考えられています。

マオリに伝わるカヌー伝承では、すべてのマオリは7〜8艘のカヌー船団で到達した人たちの子孫であり、どのカヌーに乗っていたかでルーツ分けがなされているといいます。

ニュージーランドへの移住は大規模で計画的なもので、マオリの先祖たちはカヌーに動植物や女性、子供も乗せて移住したと考えられています。

それにしても、クック諸島からニュージーランドまでは2000km以上あります。

それを、このような木のオールで漕いで荒波の海を超えるのです。

途中には島らしい島もないことを考えると、カヌーでの大航海は、のちの西洋人たちのそれとは比較にならないほどの壮絶な旅だったと想像できます。

オークランド博物館② マオリの文化と歴史、ヨーロッパ人の到来

昨年開かれたラグビーワールドカップ日本大会で、ニュージーランド代表オールブラックスが試合前に行うハカが日本人の間でも有名になりました。

ハカはもともと、マオリ族の戦士が戦いの前に相手を威嚇するための舞踏です。

博物館のマオリショーでもハカが披露されます。

一般にマオリの男性は勇猛な戦士で、親族集団同士の間で戦争は行われました。

領地の拡大よりも捕虜を獲得し、奴隷とすることが目的だったようです。

博物館にも様々な武器が展示されていました。

さらに一族を守るため、このような砦を築き暮らしていたようです。

でも、こうした好戦的な面だけでなく、独特のおおらかなアートも残しています。

いずれも宗教的な儀式で使われたものだと思いますが、なかなかユニークで、今日のニュージーランドデザインにも活用されています。

あと、マオリに特徴的なのが、この入れ墨です。

タトゥーの語源は、ポリネシア語のタタウからきているそうですが、マオリの男性は顔面全てに、女性は主に唇の周辺に入れ墨を施しました。

マオリの村には必ず「マラエ」と呼ばれる建物があります。

村の中心の広場に面し、念入りな彫刻が施されていて、村の会議場や娯楽場であり、戦士を送り出したり、死者を弔ったり、子供たちに教育を授けたりする場所だったようです。

こうしたマオリの生活も、ヨーロッパ人の到来とともに終りを告げます。

ヨーロッパ人で初めてニュージーランドを発見したのは17世紀オランダのタスマン、初めて上陸したのは18世紀イギリスのクックでした。

19世紀に入ると、捕鯨やアザラシ猟を目的としたヨーロッパ人たちがニュージーランド沿岸に住み着きます。そして彼らがマオリとの交易に利用したのがマスケット銃でした。戦争好きなマオリに瞬く間に銃が広まったのは、戦国時代の日本とよく似た構図です。

キリスト教の布教も始まります。

3つの宗派が入り乱れて、信者獲得競争が激化します。

それと同時に、植物の種や家畜など島外から様々なものを持ち込むようになります。

その結果、インフルエンザなどこの島にはなかった病気も持ち込まれ、マスケット銃を使った戦争の激化も相まって、マオリの人口は目に見えて減少していったのです。

オークランド博物館③ 体長3メートル!絶滅した巨大鳥【モア】

こうして人間たちがやって来る前のニュージーランドは、鳥の王国でした。

天敵となる哺乳類がいなかったのです。

博物館には、人間到来以前のニュージーランドを象徴する鳥の模型が展示されていました。

18世紀半ばに絶滅したとされる幻の鳥「モア」です。

マオリの伝承によると、モアは人間の背丈よりも大きく、空を飛べない鳥だったと伝えられています。

残された化石骨の分析から、モアには七面鳥くらいの「コモア」から巨大な「オオモア」まで11種が存在していたとされます。

オオモアは体高が2〜3m、体重は200kgを超えていたと考えられています。

その卵も長径が20cmを超える巨大なものでした。

脚の骨はまるで哺乳類のような頑丈なもので、鳥の骨とは思えないようなものが発掘されています。

この脚を見ていると、鳥類が恐竜の進化形であると言われている意味がわかる気がします。

モアはニュージーランド島で最大の生物であり、低木の若葉を食べていました。

まるで草食恐竜のようです。

実際に博物館では、モアと同じスペースに恐竜の骨格標本が展示されていました。

しかし、ポリネシア人がこの島にやって来ると、空を飛べないモアは格好の食料資源となりました。

さらにポリネシア人が持ち込んだネズミや犬がモアの卵を襲ったため、その数は急速に減っていったのです。

オークランド博物館④ 飛べない鳥たち国鳥【キーウィ】と【フクロウオウム】

ニュージーランドには、モアの他にも「飛べない鳥」がいます。

最も代表的なのが、ニュージーランドの国鳥にも指定されている「キーウィ」。

飛べない鳥であるキーウィは、ニュージーランドの固有生物で、200年前には数百万羽が全土に棲息してしていたとみられていますが、今世紀には森林開発や外来の哺乳類によって7万羽まで減少してしまい、現在懸命な保護活動が行われています。

私は南島のクイーンズタウンに行った際、観光施設で生きたキーウィを見ることができました。

夜行性のキーウィは真っ暗な小屋の中で飼育されていて、観光客は赤外線の明かりだけで茂みの中にいるキーウィを探します。

ただ飼育員が餌を与える時間だけは、ガラスを隔てたすぐ近くまで出て来るので、私も運良く見ることができました。

その時の写真が、こちらです。

暗いですが、嘴の長いキーウィの姿をはっきりと見ることができました。

でも小屋の中でこれだけ見るのが大変なのですから、野生のキーウィを保護する活動はどれほど困難なものか容易に想像がつきます。

このほか、こちらの「ウェカ」や・・・

「タカヘ」も、ニュージーランド固有の飛べない鳥です。

そして、今回の旅で私がどうしても見てみたいと思っていたのが、こちら・・・

「カカポ」、通称フクロウオウムです。

この鳥も飛べないニュージーランド固有生物ですが、この鳥を守るためにニュージーランド政府は壮大なプロジェクトを行なっているそうです。

そのことを知ったのは、旅の準備のためにアマゾンプライムビデオで英BBCテレビのドキュメンタリーを見たためです。

「ワイルド・ニュージーランド〜美しき野生の楽園」というタイトルの3本シリーズの最終回「招かれざる客」の中で、原始の森に1羽だけ残ったフクロウオウムの物語を紹介していたのです。

大変興味深いドキュメンタリーなので、多くの人に見ていただきたいと思います。

ニュージーランドでは、1980年代から本格的にカカポの保護繁殖活動を始めました。

野生のカカポを全て捕獲して、南島の最南端、絶海の孤島であるコッドフィッシュ島に移して保護しています。

この島にいたネズミはすべて駆除され、天敵となる動物は人間の手で排除する。メスが産み落とした卵は、親鳥が踏みつぶさないようすべて人工保育するという徹底ぶりです。

こうした努力によって、1〜数羽にまで減少し絶滅寸前だったカカポ、フクロウオウムは徐々にその数を増やしつつあるといいます。

残念ながら、一般の観光客が生きたフクロウオウムに会うことはできないようですが、固有の生態系を守るために多大な努力を払うニュージーランドという国の姿勢を象徴しているのが、キーウィとフクロウオウムだと言えるかもしれません。

「戦争をしたことがない国」が大切にする先住民マオリの文化と独自の生態系

博物館の3階に上がると、展示内容がガラリと変わります。

吹き抜けの天井にはめられたステンドグラス。

この部屋の壁には、各地の戦争で命を落としたニュージーランド人の名前が刻まれています。

戦争にまつわる展示が3階のメインで、第二次大戦で使われた戦闘機も置かれています。

日本による攻撃というコーナーもありますが、展示内容は大したことはありません。

いつの時代も戦争の中心は北半球。

南半球にあってどの国からも遠いニュージーランドには、国家としての戦争の記憶がないというのが、私がこの博物館から感じたことです。

戦争をしたことがない国。

それがニュージーランドの個性でもあるのでしょう。

そして戦争展示の奥にマオリショーが披露される、結構立派なシアターがあります。

ショー自体は期待したほどのものではありませんでしたが、ニュージーランドを訪れた記念に一度見てみるといいと思います。

先住民マオリのことだけでなく、マオリが来る前のこの島の歴史、世界に類を見ない生態系などにも想いを馳せてみると、ニュージーランドの本当の面白さがわかってくるかもしれません。

オークランド戦争記念博物館は、知れば知るほど興味が尽きない不思議な博物館でした。

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