<きちたび>北アイルランドの旅〜元政治犯がガイド!「ベルファスト政治的葛藤ツアー」

🇬🇧イギリス/ベルファスト 2019年8月6日

イギリスのEU離脱問題が混迷する中で、北アイルランドが再び注目を浴びています。

でも、私たちの世代には、北アイルランド=紛争・テロというイメージが付きまといます。

1960年代からおよそ30年に及んだ「北アイルランド紛争」。カトリック系住民とプロテスタント系住民の対立に、イギリス軍が介入して出口の見えない泥沼の紛争が続きました。

その現場は今、どうなっているのか?

私が参加した「ベルファスト政治的葛藤3時間ウォーキングツアー」は、北アイルランド問題を理解するうえで最高の、とてもユニークなツアーでした。

ウェスト・ベルファスト

アイルランドの首都ダブリンから北アリルランドの中心都市ベルファストへの日帰り旅。

初めて訪ねたベルファストの町には、不気味な雲が垂れ込めていました。

どうしてもベルファストに行きたいと思ったのは、私の若い頃、テレビニュースで頻繁に報道されていた「北アイルランド紛争」の現場を、自分の目で見てみたかったからです。

でも、有名な観光スポットではないエリアのどこに行けばいいのか?

出発前に日本で調べていて偶然見つけたのが、「ベルファスト政治的葛藤3時間ウォーキングツアー」でした。

ツアーの集合場所は街の西部「ウェスト・ベルファスト」と呼ばれるエリアの路上でした。

タクシーの運転手によくわからない地図を見せ、集合場所へと向かいます。

タクシーの運転手は、「ここだ」と言って、ド派手な壁画を示しました。

私は半信半疑のまま、6ポンド20シリングを払ってタクシーを降ります。

明らかに移民らしきお母さんたちが壁画の前を通り過ぎます。

集合時間は、お昼の12時。

まだ、30分近く時間があります。

壁画が描かれた建物をよく見ると、イギリスの治安当局と敵対するプレートが掲げられているのに気づきました。

「PSNI/MI5/BRITISH ARMY NOT WELCOME IN THIS AREA」

「PSNI」は北アイルランド警察、「MI5」は有名なイギリスの情報機関「秘密情報部」、そしてイギリス軍。彼らにこのエリアに来るなと警告しているのでしょう。

壁画の中にこんな絵を見つけました。

ガイドの話を聞く人々。

その上には、アイルランド語で「COISTE NA NIACHIMI」、弁護士会の意味のようです。

そして、「かつての政治犯によるユニークなウォーキングツアー」として、電話番号とウェブアドレスが記されていました。

どうやらこれが、私が参加するツアーのようです。

集合時間が近づくと、パラパラと人が集まってきました。

私と同じツアーに参加する人もいれば、別のツアーのお客さんもいるようです。

そして、正午になると、黒いウィンドブレーカーを着たスキンヘッドの男が私たちの前に現れました。

彼がこのツアーのガイド。

かつてはカトリック側の活動家として当局に逮捕された政治犯でした。

いよいよウォーキングツアー開始です。

「ベルファスト政治的葛藤3時間ウォーキングツアー」の料金は2479円。

GET YOUR GUIDE」というサイトで見つけ、日本から事前予約を入れました。

詳しくは、https://www.getyourguide.jp/belfast-l442/belfast-3-hour-political-conflict-walking-tour-t107107/

カトリック居住地区

ガイドの男性は、とても話術が達者でした。

早口の英語で説明するので、私には半分も理解できませんでしたが、参加者は全員白人、ヨーロッパのほかアメリカやオーストラリアからの観光客で、彼らにはとても受けていました。

雨が降る中、彼は傘もささずにイギリスがいかにカトリック系住民を迫害してきたが、その差別の実態を歴史的に説明します。

ツアーの最初にガイドが説明したのは、こちらの高層住宅でした。

「DAVIS TOWER」という名前のこのビルは20階建、1966年に建設されました。

北アイルランド紛争が発生すると、イギリス軍はこのビルの最上部の2フロアを占拠し監視ポストとして利用します。

これをきっかけにカトリック系住民が暮らすこの高層ビルは、紛争の象徴的な建物となり、紛争が激化した時期には、イギリス軍は兵士の出入りのためヘリコプターを使わざるを得ませんでした。

「DAVIS TOWER」の壁面には、小さなプレートが掲げられています。

1969年8月15日、9歳のパトリック・ルーニーが王立アルスター警察隊(R.U.C.)によって殺害された、と記されていました。

警察隊の装甲車から発射された機関銃の弾がタワーにいたパトリックの命を奪ったのです。一連の紛争での最初の犠牲者とされています。

今から50年前に起きた一つの事件。その後無数に繰り広げられる様々な事件の記憶が今も街のあちらこちらに記念碑として残され、民族の悲劇として語り継がれているのがわかります。

タワーの壁には、こんなパネルも貼られていました。

平和への希望は、若者たちに託されているということでしょう。

さらに進むと多くの壁画が描かれた一角が現れました。

ここ「フォールズ・ロード」は、カトリック地区の中央を貫く通りで、周辺にはこうした壁画がたくさん描かれています。

「BATTLE OF THE FALLS」と書かれたこちらの壁画。

1970年、カトリック地区の中心であるフォールズ・ロードで繰り広げられたカトリック住民と警察や軍との激しい衝突が白黒写真を使って描かれています。

この壁画は、1974年10月15日に起きた「ロングケシュ収容所」での政治犯たちの暴動とイギリス軍による鎮圧を描いたものです。

イギリス軍によって「CRガス」と呼ばれる新型の暴動鎮圧剤が使用されたと言われています。

この壁には、こうした北アイルランドでの闘争を記録したものだけでなく、世界各地での紛争への連帯が示されていました。

たとえば、南アフリカのマンデラ氏や・・・

キューバのカストロ議長。

パレスチナもあります。

トランプ大統領が描かれた壁画もありました。

「サウジアラビアへの武器の供与をやめろ」というイエメンとの連帯を表したもののようです。

このように世界の紛争地が描かれたこの壁は「インターナショナル・ウォール」と呼ばれています。

ガイドの男性は、抗議活動の弾圧に使われたというゴム弾を取り出し、ツアー参加者に渡しました。

デモの鎮圧に使われたもののようです。

私もゴム弾を見るのは初めてでしたが、想像していたより大きくて固いものでした。

フォールズ・ロードをさらに西に歩きます。

通りの南には、「セント・ピーターズ大聖堂」。

1860年代に建設されたカトリックの教会です。

「記憶の庭」と書かれた記念碑もフォールズ・ロード沿いにあります。

さらに進むと本やネットで見覚えのある壁画が現れました。

ウェスト・ベルファストを紹介する時、この壁画の写真がよく使われているのです。

中心に描かれているのはボビー・サンズという名前の男性です。

ボビー・サンズはIRA(アイルランド共和軍・正確にはIRA暫定派)の活動家でした。

イギリスは1977年、IRAの囚人に対し「政治犯」としての権利を奪い、単なる組織犯罪の従事者として扱う決定をします。これに抗議してIRAの囚人たちは、獄中でハンガー・ストライキを展開。

ボビー・サンズは、そのハンガー・ストライキの最中に獄中からイギリス下院議員選挙に出馬して当選を果たし、大きな話題となりました。しかし1981年、彼は獄中で死亡、彼の葬儀には10万人が集まり世界的なニュースとなったのです。

ボビー・サンズの物語は、2008年に「ハンガー」というタイトルで映画化されました。

この壁画が描かれた建物の正面に進みます。

「SINN FEIN」の文字に目が止まります。

シン・フェイン党は、IRAの政治部門です。

1905年に結成されたシン・フェイン党は、北アイルランドをイギリスから離脱させ、アイルランドとの統一を主張しているナショナリスト政党です。

建物にはシン・フェインのショップも置かれ、関連グッズが売られていました。

街を分断する壁「ピースライン」

フォールズ・ロードを離れて、住宅街に入ります。

クロナード・ストリートを北に進んで行くと、人々の顔写真が描かれたフェンスのようなものが見えてきました。

ここは、「クロナード殉教者記念庭園」。

「トラブルズ」で命を落としたこの地区の人たちの慰霊碑ですが、ガイドがツアー客をここに案内する目的は、モニュメントの後ろに立つフェンスです。

このフェンスは、「ピースライン」または「ピースウォール」と呼ばれる壁です。

カトリック地区とプロテスタント地区を隔てるために築かれた壁で、北アイルランド紛争が激化した1970年代に建設が始まりました。

1998年のベルファスト合意によって、紛争が沈静化した後も、この壁が撤去されることはなく、今も北アイルランドの各地に「ピースライン」は残されています。

ピースラインの近くには、聖母らしき飾り付けをした住宅もありました。

いかにもカトリック教徒の家という感じです。

ところが、カトリック地区の街歩きは、唐突に終わります。

ラナーク・ウェイという通りに来ると、門のようなものが見えました。

ここまで私たちを案内してくれたガイドがその門を指差して、「あの門から先はプロテスタント地区だ。自分はここから先には行けないので、あなたたちだけで門のところまで行き、次のガイドが来るのを待つように」と言うのです。

カトリック教徒で、しかも元政治犯だった彼は、今もピースラインを越えて門の北側に行くことはできないのです。

途中でガイドが変わるとは知らなかったので、少し驚きましたが、逆にこのエリアから消えることのない分断の深さを思い知る出来事でした。

ピースラインの一部として設置されたラナーク・ウェイのゲート。

Googleマップのリンクはこちら

昼間は空いていますが、夜間は閉まるそうです。

仕方なく、ツアー参加者がゲートの先で待っていると、一人の中年男が静かに現れました。

あまりに気配もなく近づいてきたので、ツアー客たちの多くはしばらく彼に気づきません。

その痩せた男が、プロテスタント側のガイドでした。

饒舌だったカトリック側のガイドと違って、彼はとても静かでツアー客に一言声をかけると、いきなり一人で歩き出しました。

早足でスタスタ歩くガイドの後を追うと、延々と壁が続く通りに出ました。

「キューバー・ウェイ」、さっきカトリック側で訪れた「クロナード殉教者記念庭園」の真裏に当たります。

ガイドは、「ピースライン」が一番良く見える場所で止まり、ボソボソと説明を始めました。

壁に書かれた壁画は、カトリック側に比べて、落書きのような印象の強いものです。

プロテスタント居住地区

彼も、元活動家です。あの気配を消した静けさは、私が抱く「プロのテロリスト」といったイメージにぴったりです。

北アイルランドに暮らすプロテスタント系住民は、イギリスがアイルランドを植民地にしていた時代に、イングランドやスコットランドから移住した人たちの子孫です。

彼らの先祖には、カトリック教徒から取り上げた土地が与えられ、就職や教育などすべての面で優遇されてきました。

北アイルランドが独立したりアイルランドと統一すると少数派に転落するため、彼らは一貫してイギリスへの帰属を求めています。そのため、「ユニオニスト」とか「ロイヤリスト」と呼ばれ、「ナショナリスト」と呼ばれるカトリック系住民と長年敵対してきたのです。

ピースラインに近い住宅街は、カトリック側に比べて殺伐とした印象を受けました。

それでも、イギリス国旗を掲げた家が多く、ユニオニストが暮らすエリアであることを強く感じさせます。

そんなプロテスタント地区の中心となるのが、「シャンキル・ロード」。

カトリック地区の中心である「フィールズ・ロード」とは、500mほどしか離れておらず、その中間にピースラインが設定されているのです。

シャーキル・ロード沿いに描かれたこちらの壁画は、プロテスタント系のユニオニストによって結成された民兵組織「アルスター義勇軍(UVF)」を讃えるものです。

もともとUVFは1910年代、現在の北アイルランドとなっているアルスター地方で結成された民兵組織で、当初は10万人のユニオニストが参加しました。これに対抗してカトリック系が組織したのがアイルランド共和軍(IRA)で、プロテスタント側の武装化の方が早かったのです。

ただ1960年代になると、UVFはテロ組織として復活します。カトリック系との紛争が激化する中で、IRAに対抗する形で殺人やテロを繰り返していきます。

シャンキル・ロードの中心部まで来ると、ユニオンジャックが一段と目立ちます。

イギリスらしい賭け屋の外壁にも、UVFの活躍の歴史が刻まれています。

エリザベス女王の写真を全面に飾った家もあります。

こういうイギリス王室を尊ぶ人たちは、「ロイヤリスト」と呼ばれ、ユニオニストの中でも強硬派とされるそうです。

こんなパネルも掲げられていました。

「WE WILL NOT HAVE HOME RULE」

ここでいう「HOME RULE」とは、自治政府のこと。

1912年、北アイルランドに自治政府が成立させようというイギリス政府に反発して、プロテスタント住民の不安を煽り50万の反対署名を集めたユニオニストの運動を讃えるものです。

プロテスタント地区で一番の見所は、シャンキル・ロードの交差点にあるこの慰霊碑です。

慰霊碑には「BAYARDO」の文字。

1975年8月13日、IRAのメンバーが「バヤルド・バー」というパブを襲撃し、爆発物と銃撃によって5人が死亡、およそ50人が負傷しました。

壁には犠牲者の写真が貼られていました。

「IRA・シンフェインは、イスラム国と変わらない」

IRAのテロの写真をバックに、そんな言葉も書かれています。

ただ、「バヤルド」の事件は2週間前にプロテスタント側のUVFが起こしたアイルランドの人気バンド殺害事件の報復でした。

当時、IRAとイギリスの治安部隊の間で休戦が成立し和平交渉が始まった時期でしたが、それを望まない勢力が事件を起こし再び紛争が激化したのです。

IRAのテロはロンドンなどイギリス本土にも広がり、北アイルランド紛争は30年にわたって続いたのです。

元を正せば、イギリスによるアイルランドの植民地化とカトリック教徒への差別政策が原因でした。

1998年のベルファスト合意によって、30年続いた紛争に終止符が打たれましたが、ピースラインが象徴するように、北アイルランドには合意から20年経っても癒えない傷が残っていることを、今回のウォーキングツアーで知ることができました。

プロテスタント地区の中心、シャンキル・ロードには、「ACT INITIATIVE」という看板を掲げたオフィスがありました。

ここは、ベルファスト合意を受けて、UVFなどで活動していた元メンバーの社会復帰を支援する組織だそうです。

わずか数百メートルの距離に暮らす隣人を「敵」として攻撃し合ってきた住民たち。

多くの身内をその「敵」に殺された痛みは消えることはありません。

ここでツアーは終了。

プロテスタント側のガイドは、ここで姿を消し、路上での流れ解散となりました。

ブレグジットと北アイルランド

北アイルランド問題は、歴代のイギリス首相にとって最優先の内政問題でした。

サッチャー首相・・・メージャー首相・・・

そして、ブレア首相の時代に、ようやくベルファスト合意を達成したのです。

イギリス政府とアイルランド政府、ユニオニストとナショナリスト。すべての当事者がギリギリのところで合意した和平、あれからすでに21年が経ちました。

そして今、イギリスはブレグジットで大揺れ、「合意なき離脱も辞さず」とするジョンソン首相が登場しました。

果たして、アイルランドと北アイルランドの国境管理をどうするのか?

新たな難題に答えが見えない中で、かろうじて和平を保っている北アイルランド情勢が再び不安定化することが心配されています。

国際平和を願う「イマジン」の壁画。

シャンキル・ロードで解散した後、ノーサンバーランド・ストリートを南に下ると、プロテスタント地区とカトリック地区のゲートの間に、この「平和の壁画」がありました。

Googleマップのリンクはこちら

しかし、壁画の下には、「EUには降伏しない」との落書きが・・・。

私には、北アイルランドの前途を示すような落書きに見えました。

カトリックとプロテスタント、対立する両者の居住エリアを、元政治犯が案内するユニークなウォーキングツアー。違う視点から見ると、同じ紛争も違う理解ができることが非常によくわかる大変示唆に富んだツアーでした。

ベルファストに行くことがあれば、ぜひ参加していただきたい絶対オススメの現地ツアーです。

北アイルランド日帰り旅

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