イベントの下見のため、JR東海道線に乗って小田原駅へ。
駅を降りると、小田原と書かれた大きな提灯。
「小田原提灯」はこの地の名産品で、「お猿のかごや」という歌の歌詞にも登場する。確かに私が小さい頃、こんな歌が流行っていた。すっかり忘れていたが、曲名を聞くとなんとなく曲や歌詞を思い出す。
それにしても、ここでも外国人観光客の姿のなんと多いことか・・・。
東口に出て、お城に向かって街を歩く。
かまぼこや干物の店が多く、外国人が好みそうな古い日本家屋がまだたくさん残っている。
駅から歩くこと10分ほどで、お城の入り口に着く。
さすが、桜の名所。
お堀端は、桜並木で埋め尽くされている。それでも、平日の小田原城は東京から来た人間の目から見ると人が少ない。のんびりと散歩を楽しむことができる。
赤い欄干の学橋を渡ると、「明治天皇行幸所」と書かれた石碑が立っていた。
維新の際、明治天皇が京都から東京へ大行列を行なったことを記念したものかと思ったが、調べてみると、明治34年から昭和5年まで小田原城内に「小田原御用邸」という皇室の別荘があったことを知った。
今では、御用邸は3ヶ所だが、明治時代には13ヶ所もあったようだ。
かつて二の丸御殿があった場所には、見事な桜のトンネルがあった。
その南側には、「銅門(あかがねもん)」。
平成9年に復元された。
小田原城では、発掘調査に基づき少しずつお城の復元工事を進めている。こうした努力は、時が経つにつれ立派な観光資源となることだろう。
石段を登り、本丸へと向かう。
この辺りは無料で自由に散策することができる。
枝垂れ桜の鮮やかな色が、青空に一段と映える。
本丸の入り口、「常盤木門(ときわぎもん)」。
明治3年の小田原城廃城の際に撤去されていたが、昭和46年(1971年)に再建された。
そして、常盤木門を抜けると、天守閣が見えてくる。
本丸広場には、徳川将軍が宿泊するための本丸御殿が建っていたそうだ。
小田原城の天守閣は、寛永と元禄の大地震で2度も大きな被害を受け、その度に再建された。しかし、明治になり完全に取り壊されてしまったが、昭和35(1960)年に現在の姿で蘇った。
ただ、残念ながら現在の天守閣は鉄筋コンクリート造り。
外観は良いが、内部はただの展示スペースになっている。
元禄の大地震では天守閣が崩壊し、関東大震災でも大きな被害を受けた小田原城だけに、木造での復元には技術的な課題もいろいろあるのだろう。
さて、天守閣の中へ・・・。
入場料は大人500円。SAMURAI館との共通券は600円だった。
展示コーナーの最初に、全国のお城の天守閣比べというパネルがあった。
1位は大阪城、その後、名古屋城、島原城、熊本城、姫路城、小倉城と続き、小田原城はなんと全国7番目の高さだという。
これは、意外だった。
小田原城といえば、何となくちっちゃなお城というイメージを勝手に持っていたが、実は日本を代表する立派なお城なのだ。東日本最大の天守閣。東京から手軽に行けるお城といえば、ここ小田原城なのだということを初めて認識した。
小田原城といえば、北条早雲に始まる北条五代100年の城下町。
そのハイライトは、天下統一を目指す豊臣秀吉率いる20万の大軍が北条を包囲した小田原合戦だ。城下町全体を堀で囲んだ「総構え」を備え、難攻不落の城と呼ばれた小田原城も、圧倒的な軍勢と長期にわたる包囲戦の前に開城することとなった。
3年前にリニューアルされた展示は、ドラマ仕立てのシアターも使って小田原城の歴史をわかりやすく伝えてくれる。北条家に好意的な展示内容だが、完成度は高い。
ゆっくりパネルを読んでいると、閉館時間が迫っているとのアナウンスが流れてきた。
慌てて、階段を上がる。
天守閣の最上階は展望台になっている。
外の回り廊下に出ると、相模湾が目の前に広がっていた。
西側には、箱根の山。
江戸時代には、小田原は箱根越えの宿場町として栄えた。
小田原包囲戦の際、秀吉が一夜城を築いたのも箱根方面の山頂だった。
そして南に回ると、伊豆半島から遠く伊豆大島も一望できる。
手前の桜といい、それを取り囲む豊かな緑といい、文字通り絶景である。
天守閣を出て、閉館間際の「常盤木門SAMURAI館」に駆け込む。
こちらには、鎧兜が展示してあり、その奥ではこんな催しが・・・。
なかなかよくできたプロジェクションマッピングだ。
この秋、小田原城の天守閣を使ってプロジェクションマッピングのイベントが開かれる予定になっていて、本日はその下見にやってきたというわけだ。
今年は、北条早雲没後500年という小田原市にとっては節目の年だそうだ。
小田原城は、地元の人たちに愛され丁寧に復元されつつある。多くの外国人観光客がこの街にやってくるのは、ちゃんと理由があることであり、むしろ日本人がそれを知らないのだということを感じながらお城を後にした。
せっかくなので、お堀をぐるっと回って駅に戻ろうと思った。
夕日とお城と桜。贅沢な光景だ。
途中、落ち着いた感じの神社があった。
鳥居の脇には、巨木がそびえる。
そして傍らには、二宮金次郎の銅像。
そう、ここは「報徳二宮神社」。
小田原出身の偉人、二宮尊徳を祀る神社なのだ。
二宮尊徳はここ小田原を中心に農村の救済活動を行なったが、彼の死後、彼が設立した報徳社の人たちによって神社が建てられた。
明治27(1894)年のことだ。
成人した尊徳の銅像もあり、彼が残した言葉が書き添えられていた。
「経済なき道徳は戯言であり 道徳なき経済は犯罪である」
新たな1万円札の顔に選ばれた渋沢栄一も、ひょっとすると二宮尊徳に影響を受けたのかもしれない。
報徳二宮神社を出て、線路端の道を歩いて駅へと向かう。
途中、夕日を浴びる天守閣が木の間から見えた。
小田原っていい街だなあ、と思う。ここは、穴場かもしれない。
小田原市は、この秋、ラグビーでも盛り上がるかもしれない。
ラグビーW杯では、強豪オーストラリア代表が小田原をキャンプ地とする予定だ。
駅に戻ると、ここにも二宮金次郎が待っていた。
私たちの時代、小学校には必ず薪を背負ったこの少年が立っていた。
でも、二宮尊徳のことは正直あまり知らない。小田原を訪れた記念に、尊徳のことも少し知りたいと思った。
思ったよりずっと楽しかった小田原の街歩き。帰りは、JRではなく小田急線に乗る。
実は、とても便利な駅なのだ。