対馬での宿泊先である「西山寺宿坊」にチェックインしてすぐに、厳原の町歩きに出かけた。

厳原は鎌倉時代から対馬の中心地として日本と朝鮮半島を繋いできた歴史ある町である。
2022年開館予定「対馬博物館」
今回対馬を訪れた目的の一つは、対馬の歴史民俗資料館を訪ねることだった。
ところが、この資料館が現在建て替え工事で2017年から閉館していることを西山寺で初めて知った。

対馬市役所近くの現場に行ってみると、確かに工事が行われていた。
対馬には珍しい近代的な建物が姿を表している。
2022年4月ごろの開館を目指しているという。

新しく建設される「対馬博物館」には、ツシマヤマネコなど対馬の自然や独特の文化などとともにこの島独自の歴史についても展示される予定だ。
金田城、防人、宗家、元寇、朝鮮通信使、明治以降の国防の歴史など、対馬には古代から現代に至る様々な歴史が詰まっている。
果たしてどんな博物館ができるのか、オープンしたらぜひもう一度対馬を訪れるつもりだ。

ちなみに、博物館の背後にある清水山には、豊臣秀吉が朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の際、兵站基地として建設された「清水山城」の跡が残っている。
時間の関係で今回は山に登ることはしなかったが、石垣の跡などは厳原の街中からも見ることができる。
「対馬博物館(仮称)」 現在建設中(2022年4月開館予定) https://tsushimamuseum.jp/?fbclid=IwAR3S8p5hKIKIbWoWRQeBunR-kjlyfqU29qODb3ISQv_7sLTYO9CXD_rRl6Y
対馬の領主宗氏の館「金石城跡」
そんな近代的な対馬博物館の隣には、歴史を感じさせる城門が建っている。

「史跡 金石城跡」。
17世紀後半に整備された対馬宗家の城館で、案内板にはこう書かれている。
『金石城は中世末から近世にかけて、宗氏の居館が置かれた城である。東流する金石川に沿って、高低差のある細長い平坦地に造られ、東西約400mの敷地が石垣で区画構成されている。東端から120mほどにある櫓門を抜け、枡形部を過ぎて対馬宗家関係資料など複数の絵図に描かれた大階段を上がると、館があった平地に出る。』
宗氏=宗家は、鎌倉時代から江戸時代まで一度の国替えをされることなく対馬を治めてきた一族である。
当初は島の北部に拠点を置いていたが、ここ厳原に館を構えてから、時の権力者と朝鮮半島をつなぐ特異な存在として、中央の激動を乗り越えて600年以上対馬の実権を握ってきた。

今は公園として整備された金石城跡を歩くと「朝鮮通信使幕府接遇の地」という真新しい石碑が立っている。
ここは1811年、朝鮮通信使を迎えるため幕府から派遣された小倉藩藩主・小笠原大膳の宿所がここにあったらしい。

もう一つ、興味深い石碑が立っていた。
こちらの石碑は、宗氏の末裔と朝鮮の王女の結婚を祝って昭和に立てられたもので、こう書いてある。
『1931(昭和6)年、新婚の宗武志公と徳恵姫はそろって対馬を訪れ、冬眠の盛んな歓迎を受けた。徳恵姫は朝鮮王朝第26代高宗の王女(翁主)である。この碑は結婚を祝って当時対馬に住む韓国(朝鮮)の人々によって建てられた。その結婚は25年にわたり、多くの困難にもかかわらず、一女正恵姫と共に信頼と愛情の絆で結ばれていた。しかし両民族の関係はまことに厳しく、時代の激流の中で1955年やむなく離別に至り、武志公は1985年、徳恵翁主はここくにおいて1989年、逝去された。ここに歴史に埋もれていたこの碑を再建し、お二人の苦難の生涯を想い起こしつつ、双方の民族の真の和解と永遠の平和を希うものである。』

この2人のことを少し調べてみると、明治時代以降の宗氏のことが見えてくる。
明治になって対馬藩がなくなると、藩主だった宗家は東京で華族となる。
宗家の37代当主となった宗武志も東京で生まれた伯爵で東京帝国大学文学部で学び英語学者となった。
妻の李徳恵は李氏朝鮮最後の国王・高宗の娘であり、日韓併合後のソウルで育ち、東京の女子学習院で学んだ。
1931年、宗武志と結婚したが持病だった統合失調症が進み、戦後は松沢病院に入院していたといい、彼女の物語は2016年「ラスト・プリンセス 大韓帝国最後の皇女」というタイトルで韓国で映画化された。

金石城跡の西端には、「旧金石城庭園」がある。
宗氏全盛期の17世紀に対馬独特の風土を活かした庭園として整備されたと考えられるが、長い歴史の中で埋め立てられ、平成に入ってから発掘調査と庭園の再建が行われた。
中央には「心字池」が置かれ、国の名勝にも指定されたが、今は訪れる人もなくちょっと荒れた印象を受ける。

そして庭園の先にあるのが「搦手門」の石垣。
平成の発掘調査で見つかったものだが、昭和期に行われた学校建設によって金石城の遺構の大半は破壊されてしまったという。
「金石城跡」 電話:0920-52-1566 https://www.nagasaki-tabinet.com/islands/spot/815
宗氏の菩提寺「万松院」

金石城の搦手門を出ると、その先に古びた山門が現れる。
ここは対馬藩主だった宗家一族の菩提寺である「万松院」である。

この山門は江戸時代初期に造られ、左右の仁王堂は1737年に造営されたと案内板には記されていた。

万松院の拝観料は大人300円。
宗家の墓所である「御霊屋」も見られるので決して高くはないと思う。

本堂の中も自由に見ることができる。
決して手入れが行き届いているとは言えない建物だが、ここには他のお寺には見られない珍しい部屋があった。

「徳川歴代将軍御位牌安置所」。
部屋の中をガラス越しに覗くと・・・

仏壇が並び、中に徳川歴代将軍の位牌が収められている。
これは朝鮮通信使を招いた際、江戸幕府に代わって国事を対馬藩が執り行っていたためだとされる。

本堂内に無造作に置かれたこちらの置き物は、朝鮮国王から宗家に贈られた「三具足」という仏具だそうだ。
亀の上に鶴が立っているのが燭台・・・

そして獅子があしらわれたこの青銅器は、香をたく香炉である。
結構価値がありそうな贈り物、もう少し大切そうに展示して方がありがたみが湧くのではと思った。

境内の一画には「諫鼓(かんこ)」と書かれた木の囲いがある。
説明書にはこうある。
『領主に対し諫言しようとする人民に打ち鳴らさせるために設けた鼓』
つまり、領主に文句がある者はこの太鼓を叩けということのようで、この「諫鼓」が使われないことが善政の証とされた。
下下の者が藩主に文句を言える民主的な藩だったと解釈できるのかもしれないが、太鼓を鳴らせと言われても相当な覚悟がなければそれを実行できる者は以下なっただろう。

私が訪れたのは平日の夕方だったので、参拝者はほどんどいなかった。
観光化が遅れている対馬だが、実は見所がたくさんある。

この万松院最大の見所は、さらにこの先、石段の上に待っていた。
歴代対馬藩主の墓所「御霊屋」

万松院から裏山へと伸びる石段には、「百雁木(ひゃくがんぎ)」という名が付けられている。

両脇に石灯籠が並ぶ132段の石段の先にあるのが、対馬藩を治めた宗家代々の墓「史跡 対馬藩主宗家墓所」、通称「万松院墓地」である。

百雁木の途中、一本の大きな杉の木が根元から倒れていた。
おそらく今夏、対馬を相次いで直撃した台風による被害だと思うが、人手が足りないのか復旧工事は進んでいないように見えた。

百雁木の途中にあるのが「中御霊屋(なかおたまや)」。
藩主の側室や童子の墓が祀られる墓域だが、ここ厳原に館を移した宗氏10代貞国の墓もこの中御霊屋にあるという。

石段を登るにつれ、杉の巨木が立ち並び、神聖な場所に足を踏み入れるという印象を強く受ける。

石段を登りきった先に広がるのが、「上御霊屋」。
沢を挟んで東西に分かれ、宗家19代から32代までの藩主とその夫人や子の墓が建てられている。

こちらが宗家19代義智、通称「万松院」のお墓だ。
万松院は、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、朝鮮との交渉や戦の先陣に立ち、関ヶ原の戦いでは西軍に与したが、朝鮮との関係修復を望む家康に許され、対馬府中藩の初代藩主となる。
江戸時代、朝鮮半島との外交・交易を一手に握り宗家繁栄の礎を築いた英雄なのだが、なぜかその墓はその子孫たちのものよりかなり小さい。

その隣に立つのが、万松院の子である宗家20代義成の墓。
対馬藩の2代目藩主として大坂夏の陣にも参陣し、朝鮮通信使を5度受け入れ、藩内の銀山開発などで藩の基礎を築いた。
この義成が父を弔うため菩提寺としての「万松院」を建立し、自らの墓は父よりも大きくなった。

そして3代目藩主義真の墓はさらに立派となり、正室と並んで眠っていた。
義真は、朝鮮貿易の拡大や新田開発などで藩政を改革し、宗家の全盛期を演出した。
綱渡り人生だった19代義智に比べれば安定した時代だったろうが、この宗家三代の物語は調べればきっと面白いだろう。
日本人が知らない朝鮮との歴史がたくさん詰まっていそうである。

これら宗家の基礎を築いた藩主たちの墓を守るのが「万松院の大スギ」と呼ばれる3本の大木である。
高さは35〜40mあり、樹齢は万松院創建以前と言われている。

ここから時代が下っていくに従って、藩主たちの墓は小さく窮屈になっていく。
対馬の位置づけが相対的に低下し、宗家の勢いが衰えていったことの反映なのだろう。
「万松院&御霊屋」 電話:0920-52-1566 営業時間:8:00~17:00 定休日:無休 https://www.nagasaki-tabinet.com/guide/801
クーポンが使える「ふれあい処つしま」

夕暮れが迫ってきたので、歴史観光を打ち切り厳原の中心部に行ってみた。
日本人観光客よりも韓国からの旅行者が多かった対馬では、ハングル表記が街に溢れている。
宿でもらった3000円分の「GO TO トラベルクーポン」をどこかで消費する必要があった私が向かったのは・・・

メインストリートに面した江戸時代風の建造物。
「観光情報館 ふれあい処つしま」。
観光化が遅れている対馬では「GO TO クーポン」が使える店がほとんどなく、宿で教えてもらったのがこちらの施設だったのだ。
対馬藩の家老・古川家の「長屋門」を再現したというこの施設は、観光案内所や展示スペースなど対馬観光の拠点として2015年にオープンした。

建物内には対馬の特産品を販売する「特産品の間」も置かれていて、ここでクーポンを使えるらしい。
せっかくならクーポンを全部対馬に還元したいと思い、お土産を探すことにした。

まず目についたのは、こちらの「対馬名物 かすまき」。
「かすまき」とは初めて聞く名前だが、江戸時代から伝わる対馬伝統のお菓子だそうだ。
『江戸時代に参勤交代から帰ってきた藩主の無事を家中で喜び、長旅の疲れを癒すために考案されたと言われています。』

買って帰って切ってみると、カステラの中にあんこが詰まった素朴なお菓子だった。
そのほか、なるべく対馬らしい物をと思い、物色したのが以下の品々。

対馬の名産品「原木しいたけ どんこ」は妻へのお土産。
『対馬のしいたけは、冬の厳しい季節風に晒され時間をかけて育つことで、肉厚で身が締まった食感が特徴的です。』
江戸幕府にも献上されたほか、今も全国の品評会で高い評価を受けているという。

そのほか、「対馬直送」と書かれた穴子やカワハギのおつまみを自分用に買い、まだ3000円に届かないので、ツシマヤマネコのステッカーまで購入した。
夕食の店でクーポンが使えれば、無理してここで使わなくてもよかったのだが、残念ながら私が訪れた段階ではクーポンが使える飲食店は一つもなかった。
「ふれあい処つしま」 電話:0920-52-1566 営業時間:9:00~18:00 定休日:年末年始 https://www.tsushima-net.org/fureaidokoro-tsushima/
ヅケ丼が美味い「居酒屋かめちゃん」

買い物を終えて店を出るとすでにあたりは暗くなっていた。
スマホをいじって、夕食を食べられそうな店を検索する。
いくつか目ぼしいお店を見つけ順番に行ってみるが、ことごとく閉まっている。
月曜の午後6時すぎ。
平日だからか、時間が早すぎるのか?

厳原は狭い街なので歩くのは苦にならないが、営業している店は驚くほど少ない。
ネットで調べるのもいい加減面倒になり、暖簾の出ていた居酒屋に入ることにした。

「居酒屋かめちゃん」。
去年オープンしたばかりのまだ新しいお店のようだ。

店内はカウンターとテーブル席がいくつか、東京にありそうな小綺麗な居酒屋だ。
私はカウンター席に座る。
隣の客は、地元の人らしい。

まずは「生ビール 中」(600円)を注文し、メニューをじっくりと見る。

おすすめ料理を見ると、小洒落た料理が並んでいていささかがっかりする。
対馬まで来たら、もっとどん臭い料理が食べたいと思った。
そんな中で目についたのが、一番上に赤文字で書かれていた「対馬の金あなご」(1500円)。
「要予約」と書いてあるが聞くと予約なしでも食べられるというので、それを一つもらうことにする。

こちらが「対馬の金あなご」。
「ふぐ刺し」のような白身の薄造りである。

対馬は全国でも有数の穴子の産地、水揚げ量は日本一なのだそうだ。
強い海流が穴子の身を引き締め、年間を通じて水温が低いので脂ののりが良いという。
煮あなごとして出すお店が多い中、この居酒屋ではフグ刺しのように分葱と一緒にポン酢で食べさせる。
これはこれで、高級感があって美味しい。

ご飯類もいくつか用意があって、その中から「ヅケ丼」(900円)を選択。
すると・・・

マグロの「ヅケ丼」とは似ても似つかぬ不思議な「ヅケ丼」が登場した。
魚は確か対馬産の金目鯛だったと思う。

時間が経って詳細は忘れてしまったが、確かごまだれの中に金目鯛の切り身が漬け込んであり、これをよくかき混ぜてご飯に載せると・・・

こんな「ヅケ丼」になる。
これが予想外にめちゃくちゃ美味い。
個人的には、金あなごより断然こちらの「ヅケ丼」推しだ。

まだ食べログの点数もないようなお店だが、期待したよりずっと満足できる居酒屋さんだった。
食べログ評価なし、私の評価は3.50。
「居酒屋かめちゃん」 電話:0920-52-4833 営業時間・定休日:不明 https://tabelog.com/nagasaki/A4205/A420503/42011705/

フェリーから降りて、わずか数時間歩いただけだが、対馬の中心・厳原はとてもユニークな街だ。
歩いて回れる小さな街の中に、私たちが知らない国境の物語がたくさん詰まっている。
<きちたび>2泊3日福岡&対馬の旅
① 博多駅直結「博多めん街道」で味わう「元祖博多だるま」の「博多セット」