<きちたび>1泊2日北海道胆振の旅② 「鉄の町」室蘭の絶景スポットを巡る

室蘭という町に始めて行った。

「鉄の町」というイメージがあり、昔私の友人がこの町に赴任していたことはあるが、それ以外には何の知識もない。

地元のB級グルメ「室蘭カレーラーメン」を味わった後、室蘭の街をレンタカーでぐるりと回ってみる。

意外と言っては失礼だが、絶景スポットがたくさんある街なのだ。

ドライブのスタートはまず、市の中心部に残る旧室蘭駅舎から。

明治45年、北海道炭礦鉄道の3代目駅舎として建てられたもので、近代国家へと邁進する当時の日本を感じられる場所だ。

そこから海沿いの防波堤に向かうと、入江に面して広がる製鉄所が見える。

室蘭港が開港したのは明治5年。

明治40年に日本製鋼所、明治42年には現在の日本製鉄が相次いで製鉄所を開き、室蘭は日本を代表する重工業の一大拠点となった。

かつては「鉄は国家なり」と言われ花形産業だった製鉄所。

しかし、IT全盛の今の時代には、妙に古ぼけて感じられる。

一方、室蘭港の入江を跨ぐように架かる白鳥大橋は、1998年に完成した室蘭の新しいシンボルである。

全長は1380m、東日本最長の吊橋だ。

白鳥大橋の向こう岸には、たくさんの風力発電機。

大英帝国の紀行作家イザベラ・バードは、室蘭を訪れ「とても麗しい湾の急峻な岸辺という絵のように美しい所にある小さな町」と評したとされるが、絵鞆(えとも)半島にいくつも設けられている展望台を回るとそれを体感できるのだ。

最初に登ったのは絵鞆半島の先端にある「絵鞆岬展望台」。

絵鞆(えとも)は、アイヌ語のエンルム(「突き出ている頭」・「岬」)を語源とし、アイヌの人たちとの交易の場「絵鞆場所」が開かれた所で、室蘭発祥の地とされる。

室蘭はもともと太平洋に突き出したこの絵鞆半島に囲まれた天然の良港なのた。

絵鞆岬展望台からは、内浦湾に浮かぶ大黒島が望める。

その奥に見えるのは、有珠山と羊蹄山。

「室蘭八景」に選ばれた絶景スポットだが、私の関心はこの岬にポツンと立つ一つの石碑の方にあった。

1964年に建てられた「先住民慰霊碑」。

室蘭地方に先住民が住み始めたのはこの絵鞆半島が最初とされ、7~6千年前のものみられる「エンルム・チャシ」と呼ばれる先住民の砦跡がこの近くで発掘されている。

碑文には、こう書かれていた。

『この地域は、室蘭発祥の地として永く記録されるべき土地であって、先住民は、ここを拠点として漁撈に耕作に従事し営々として文化の礎を作り今日まで幾多の挿話と伝説が伝えられ伝えられている。ここに眠る先住民の多くの霊に対し永久に安住の地たらんことを祈念し、あわせて開拓の歴史をたたえる次第である。』

そもそも、室蘭の地名もアイヌ語の「モ・ルエラニ」(小さな・下り路)に由来するらしい。

江戸時代、蝦夷地の支配を強化する松前藩に対し、1669年にアイヌ諸部族が「シャクシャインの戦い」を起こすと、絵鞆のアイヌもそれに巻き込まれる。

松前藩は幕府の援軍も得て反乱を鎮圧し、その後アイヌに対する絶対的な支配権を確立した。

「先住民慰霊碑」には詳しい歴史は書かれていないが、江戸時代以降、アイヌの人たちが味わった過酷な歴史を偲ぶ視線が、戦後になって昭和の日本人に芽生えたことを示すものと言えるだろう。

絵鞆岬を離れ、紅葉に彩られた山道を進む。

私のほかには、一台の車も走っていない山道の先に、突然白い断崖が現れた。

「名勝ピリカノカ 絵鞆半島外海岸 ハルカラモイ」

そう書かれた案内板がポツンと立っているだけで、観光地としては整備されていない。

「ピリカノカ」とは、アイヌ語で「美しい・形」を意味し、アイヌの物語や伝承、祈りの場、言語に彩られた優秀な景勝地群を総称するものだそうだ。

案内板には、こんな説明が書いてあった。

『アイヌ文化では現地の風景や産物、あるいはアイヌの人たちがそれらをどのように捉えていたのかを、そのまま地名として名づける特徴があります。北海道内にはアイヌ語の地名は数多く残されていますが、地名の指し示す地形や自然環境がそのまま保存されている土地は必ずしも多くなく、地名に示されたアイヌ文化の精神性を今もよく感じ取れる景勝地、いわば「生きた地名」の土地として、ここが道内7番目の名勝ビリカノカに指定されました。』

そして、この場所は「ハルカラモイ」と呼ばれる。

これはアイヌ語で「食料・とる・入江」という意味であり、この崖の下の入江が海産物を取る場所だったことがうかがえる。

こうして北海道をアイヌの視点で見直してみると、大自然と共生した先住民の姿が目に浮かんでくるようだ。

「ハルカラモイ」から、坂をどんどん登っていくと「測量山」の展望台に着く。

ここにはテレビ局などの鉄塔が立ち並び、いきなり現実に引き戻されるような風景が広がっていた。

明治5年に札幌への道路建設を主導したアメリカ人技師がこの山で測量したため「見当山」と呼ばれ、後に陸軍による三角測量が行われたことから「測量山」と改称されたという。

この展望台は360度の視界が開ける絶景スポットで、室蘭港の全貌がとてもよく見える。

日本を開国させたペリーもこの入江を測量したという記録が残っているようだが、絵鞆半島に囲まれたこの地形は船乗りたちにとって非常に魅力的だったことは一眼で理解できた。

そして、町の中心に広大な敷地を構える製鉄所。

太平洋戦争時には、重工業の中心都市だった室蘭は、アメリカ艦隊による艦砲射撃の重点目標となり、甚大な被害を受けた。

戦後の高度成長期には復活し日本経済の牽引役となったものの、鉄鋼不況とともに激しい人口流出に見舞われている。

測量山展望台には、与謝野鉄幹・晶子夫妻の歌も残っていて、室蘭の歴史に想いを馳せるには良い場所かもしれない。

絶景スポット巡りの最後は、北海道の自然100選で1位に選ばれたという「地球岬」。

風光明媚な絶景スポットあふれる北海道で1位に選ばれる景勝地という触れ込みに自ずと期待は高まるが・・・

岬の先に白い灯台が立っているだけ。

個人的には、いささかがっかり感が強かった。

水平線の円さを見られるので「地球岬」なのかなあと想像したのだが、実はアイヌ語が名前の由来だと書いてあった。

語源はアイヌ語の「ポロ・チケップ」(親である断崖)。

これが、チケウエ→チキウと変化して、「地球岬」という当て字が使われるようになったという。

かなり強引が命名だが、この名前があったればこそ100選の1位にも選ばれたのだろう。

観光地もやはり、名前が大切だということだ。

それでも、私のようなへそ曲がりは、他の観光客とは別の方向に絶景を見つけて楽しむこともできる。

運が良ければ、この岬から沖を泳ぐクジラやイルカが見えることもあるそうだ。

「地球岬」から山を下ると、JR室蘭本線の「母恋駅」。

「母恋」と書いて「ぼこい」と読むようだが、この駅の切符は母の日のプレゼントとして人気があるらしい。

室蘭の絶景スポットを巡るドライブの最後は、日本の渚百選にも選ばれている「イタンキ浜」だ。

「イタンキ」とはアイヌ語で「お椀」のこと。

ウィキペディアには、この名前に因んだ悲しい伝説が紹介されていた。

『かつて日高沿岸の村々が飢饉に襲われた際、村を捨てた人々がこの浜へ流れてきたが、そこで沖にある長い岩盤を「寄り鯨」と見間違え、焚火をしながら波打ち際に打ち上げられるのを待っていた。しかし岩盤が打ち上げられるはずも無く、数日後には薪も底をついたために大切な椀(イタンキ)までも燃やしてしまい、結局全員が餓死したという。』

この地はまた、アイヌ語で「フムシオタ」(音・する・砂浜)とも呼ばれていたことから調査をすると、鳴き砂海岸であることも確認されたという。

海水浴場としても最近まで親しまれていたが、離岸流が強いという理由で2018年から遊泳禁止となったそうだ。

さらに、1.7キロに及ぶこのイタンキ浜は心霊スポットとしても知られている。

それは、「イタンキ浜事件」の影響だ。

1954年10月、戦時中に強制労働に従事させられた中国人犠牲者の遺骨発掘調査がイタンキ浜で行われ、125柱もの遺骨が見つかったという。

イタンキ浜近くの丘には、「中国人殉難烈士慰霊碑」がひっそりと立つ。

戦時中、室蘭には1800名もの中国人が連行され、そのうち560名以上が命を落としたと伝えられている。

大部分の遺骨は中国に返還されたが、一部の遺骨は今も近くのお寺に預けられたままだそうだ。

慰霊碑に添えられた碑文には、こう刻まれていた。

『この碑は第二次世界大戦中室蘭地方で殉難した中国人烈士の慰霊碑で1972年9月の日中国交回復を記念し日中両国の永久的友好と世界の永遠の平和への願いをこめて市民の手により再建立されたものであります』

戦争への反省から、戦後には日中友好ムードが日本列島を包んだ時代があった。

しかし令和の今、中国への警戒心は再び日本人の間に強まっていて、碑文に込められた想いは忘れ去られようとしている。

そして、韓国との間では、日本製鉄などを被告とする徴用工裁判が重大な外交問題に発展した。

室蘭の絶景スポットを巡ると、自然と共に生きたアイヌの姿と同時に、近代国家を目指して邁進した日本人の姿が見えてくる。

地味ではあるが、実に味わい深い町だと感じた。

<きちたび>1泊2日北海道胆振の旅

①室蘭カレーラーメンを食べに「味の大王 室蘭本店」へ

②「鉄の町」室蘭の絶景スポットを巡る

③登別温泉の老舗旅館「第一滝本館」に泊まる

④地獄谷から大湯沼へ登別温泉を歩く

⑤新千歳空港「ラーメン道場」で味わう「えびそば一幻」

⑥白老町に完成した国立施設「ウポポイ」でアイヌの歴史に触れる

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