<きちたび>大連3泊4日の旅②  日露戦争最大の激戦地・二〇三高地はお花見スポットになっていた

大連旅行の目的の一つが旅順へ行くことだった。

ロシア極東艦隊主力の根拠地だった旅順軍港。遼東半島先端の旅順港は入り口の狭い天然の要塞だった。その旅順港を取り囲む周囲の山々にロシアは当時最先端の巨大要塞を構築した。

バルチック艦隊が到着する前に、旅順港に閉じこもる太平洋艦隊を壊滅することが不可欠とする海軍の要請を受けて、陸軍は乃木将軍を司令官とする第三軍を組織した。そして五ヶ月に及んだ旅順攻囲戦で日露合わせて3万人以上の死者を出した。

日露戦争の戦跡をめぐる旅順観光は、足の確保が課題だ。大連から旅順までは車で1時間半。バスはあるが、旅順の町からはタクシーで回るしかない。

時間もないので、ホテルのツアーデスクで旅順1日観光に申し込むことにした。李さんという日本語ガイドが案内してくれた。

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妻と二人、運転手付きの乗用車でめぐるプライベートツアーだ。

ツアー代は、2人で日本円で2万6000円。高いがその分、自由度は高い。それ以上に日本語でいろいろな質問ができることがプライベートツアーの良さだ。観光地の説明だけでなく、中国での生活や子育て、さらには政治の話まで本音が聞けるのはプライベートならではだ。

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最初に訪れたのが星海公園。大連郊外の海岸に建設された超高層ビル群だ。

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この辺りは、日露戦争後の1909年、満鉄によって総合リゾート地「星ケ浦」として開発された場所だった。清朝元皇族や日本人有力者が別荘を建て、人工の海水浴場やホテル、ゴルフ場などが整備されたという。

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沖合の海上には全長6.8kmの「大連星海跨海大橋」。2015年10月に完成した。

この橋を通れば大連から旅順に行くのも時間が短縮できる。そして橋の向こう岸には新たな超高層マンション群が現在建設中だ。

ものすごいスピードで開発が進む中国。ここも例外ではない。

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星海公園から車で走ること1時間。次なる目的地は、日露戦争時のロシア要塞跡が残る激戦地・東鶏冠山。正面突破を目指した日本兵8000人がこの堅牢な要塞の前に命を落とした。

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大量のコンクリートで築かれた要塞は、周囲496m、面積9900平方mとされる。

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堡塁の外壁には無数の銃痕が残り、戦闘の激しさを今に伝えている。

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そして日本軍は最終的にトンネルを掘りダイナマイトを爆破させることによって、この要塞を攻略した。

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日本人にとっては「勝利の地」だが、中国人から見れば「日帝侵略の地」である。

ガイドの李さんも子供の頃、反日教育のためこの要塞跡を見学したという。

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突然、李さんが「女性の顔に見えませんか?」と問う。

言われて見れば、確かに女性の横顔がそこにあった。

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それは日本軍が爆破した穴だという。うまい具合に花飾りを置いたものだ。

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再び車に乗り、次に案内されたのが「水師営会見所」。

二〇三高地の陥落を受け、乃木将軍とロシアのステッセル中将が会見を行った有名な場所だ。

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元々は農家だったというこの建物。屋根の部分は1996年に再建された。

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内部には当時の白黒写真が展示してあり、水師営専属のガイドさんが日本語で一枚ずつ説明してくれる。

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先ほど訪れた東鶏冠山の写真。当時は禿山だった。

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そしてロシア要塞を爆破するために坑道を掘る日本兵の写真もある。

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これから訪れる二〇三高地の戦闘シーン。

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二〇三高地で命を落とした日本兵の遺体の写真もある。

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二〇三高地攻略で威力を発揮した日本軍の280ミリ榴弾砲。当時からやはり最新兵器が戦いの帰趨を左右したということだ。

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そして二〇三高地を抑えた日本軍はここに大砲を運び上げ、旅順港に避難していたロシア艦艇をすべて撃沈させたとされる。

こうした勝利の物語は当時の日本人を熱狂させ、乃木将軍は一躍英雄となった。

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そして1905年1月5日。ロシアのステッセン中将は白馬に乗って水師営会見場にやってきた。

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そして会見後、日露の軍人たちは一緒に写真に収まった。

今から見ればちょっと違和感がある写真だが、そういう時代だったのだろう。戦争はある種のスポーツのような感じだったのかもしれない。

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このように歴史的な会見が行われたここ水師営は旅順観光の目玉で旅行者は必ず訪れるスポットだが、ちょっとがっかりな環境にある。

会見場の目の前は駐車場となっており・・・

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ツアー客は必ずこの奥の食堂で昼食を食べることになっているという。

会見場の向かいは土産物屋。中国ではよくあるがっかりな観光スポットに成り下がっているのだ。

私たちは前日ツアーを申し込む際、日本語を話す女性から「ツアーに食事は付いていないからパンと水を持っていた方がいい」とアドバイスされ、パンを持参していた。それを李さんに告げると、李さんはひどく落胆した。昼食のコースは1人160元ほど、その一部がガイドの収入になるのだろう。

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そして、いよいよ旅順観光のハイライト、二〇三高地へ。

北東に位置する東鶏冠山が旅順攻略の正面とすれば、北西にある二〇三高地は搦め手ということになる。正面攻撃で多大な被害を出した日本軍は、ロシア側の防衛体制も比較的弱い二〇三高地に狙いを定めた。

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日露戦争の激戦地、二〇三高地は思いもせぬ変貌を遂げていた。

案内されたのは、ログハウス風の真新しい入場ゲート。

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さらに「二〇三桜花園」の文字。

そう、二〇三高地は今や、中国人の間では桜の名所になっていたのだ。

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桜といってもピンクの八重桜が中心。樹齢も若い。

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それでも桜はちょうど満開。中国でも最近は花見が人気だという。

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少し坂を登ると全体像が見えてくる。桜並木ではなく、文字通り桜の園である。

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「中日友好桜花林」と書かれたモニュメント。

ネット情報によると、旅順が外国人に開放された2009年、ジャルパックと日本航空が2000本の桜を寄贈し、この桜の園が作られたという。

こうした桜を通した日中友好活動は中国の各地で行われているが、この二〇三高地はその中でも最大級のようだ。

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そして桜の向こうに見える小高い丘が、日露戦争最大の激戦地・二〇三高地である。

当時はハゲ山だったが、今は木に覆われている。どこにでもある普通の山だ。

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新緑の山道をゆっくりと登っていくと、桜の喧騒が嘘のように静かになった。

以前は年老いた日本人が訪れるだけの山道だったという。

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山頂で待っているのは、乃木将軍が建立したとされる「爾霊山記念碑」。「爾霊山(にれいさん)」とは「二〇三」の当て字である。

記念碑の脇には次のような紹介文が中国語、英語、日本語で書かれている。

『203高地は1904年の日露戦争の主要戦場の一つである。日露両軍はこの高地を争奪するため、激しい強い争いをし、結果、ロシア軍側では死傷者は5000名余り、日本軍側では死傷者は10000名余りに達した。戦後、日本第三軍司令官である乃木希典は戦争で命をなくした兵士たちを記念するため、砲弾の破片でこの高さ10.3メートルの砲弾状の慰霊塔を建て、爾霊山という三文字を揮毫した。今は、この爾霊山はすでに日本軍国主義による対外侵略の罪の証拠と恥の柱となった。』

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そして山頂から望む旅順港。

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思ったよりも距離があり、ここからロシア艦船を砲撃するのはなかなか大変だと思った。

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二〇三高地の山頂からロシア軍艦を攻撃した280ミリ榴弾砲のレプリカが港に向けて設置されていた。

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砲身の前では、中国人の若者たちが無邪気に談笑している。

日露戦争など、彼らには遠い昔の物語でしかないのだろう。確かに、歴史に興味がなければこの山はまったく面白くない観光地だろう。

中国政府の反日教育も一時の激しさはなくなったようだ。

歴史を知ることはもちろん大事だが、忘れることも同様に重要だと私は思う。

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ツアーはその後、旅順博物館へ。勝手に見るから、「ご飯を食べてきていいよ」と李さんに告げて50分ほどの自由行動となった。

大谷探検隊が発見したミイラが一番人気だが、撮影は禁止だった。

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このエリアは、日本統治時代には日本人街だったらしく、関東軍司令部の建物も旅順博物館の前に建っていた。

満州事変のきっかけとなった柳条湖事件の際、その首謀者である石原莞爾参謀はこの司令部で本庄繁関東軍司令官に対して中国軍への攻撃を要請した。自作自演の稚拙な事件をでっち上げて満州の支配を進めたのだ。

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ちょっと早めに見学を終え、道端に腰掛けて李さんたちを待つ。

新緑と青空と古い建物。吹き抜ける風も心地いい。

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幼い女の子が、母親に支えられて歩きの訓練。

何だか操り人形のような、犬の散歩のような、ちょっと変わった光景。でも平和な光景だ。

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ツアーの最後は港周辺を車で走る。

旅順軍港は現在、中国海軍の基地になっていて、車を止めるとトラブルになる可能性があるという。別に中国の軍艦を撮るのが目的ではないので、軍港の撮影は控えた。

上の写真に写る緑の屋根の建物はかつての旅順駅。

その背後の山上に立つのが白玉山塔。東郷平八郎と乃木希典が日本兵の慰霊のために建てた塔で、旅順の街のどこからでも見えるという。

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帰路、新しい大連星海跨海大橋を渡って大連に戻った。

橋からは星海公園周辺の高層ビル群やディズニーのような大型ホテルが見える。

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ついでながら、大連で2軒の土産屋に強制的に連れていかれ、真珠クリームとお茶を買うことになった。

ガイドさんはこうして客の購入代金からキックバックを受け取る。だから私も妻もツアーが嫌いなのだが、李さんは「申し訳ない」と言いながら、カラクリを教えてくれた。

私たちが連れて行かれた土産物屋はどちらも旅遊局という役所の直営で、ツアーは必ず立ち寄らなければならない決まりなのだという。

私が、「習近平さんは役人の不正を摘発しているんじゃないの?」と聞くと、李さんは「敵の不正は厳しく取り締まるけど、自分たちは関係ない」と醒めた解説をしてくれた。こういう話が聞けるのが、プライベートツアーの醍醐味だ。

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予想したよりも見所が少ない旅順ツアーだったが、楽しむためには事前の勉強と歴史を遡る想像力が必要なようだ。

それにしても、二〇三高地がお花見スポットになっているとは、私にとってはちょっとした発見だった。

 

 

 

 

 

 

 

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