🇯🇵北海道/函館 2022年10月21~24日
函館に住む友人の家を訪ね、3泊して昨夜遅く吉祥寺に戻ってきた。
学生時代の悪友たち9人で押しかけたので、連日連夜の酒盛りでブログを更新する余裕が全くなかった。
忘れないうちに旅の記録などを残しておこうと思う。
私の友人は勤めていた大手新聞社を辞め、8年前から北海道で大学の先生をしている。
函館に家を買い、学生や地元の人たちと深く交流して楽しく暮らしていたが、来年の春で任期も終わり東京に戻ることになった。
函館を訪れるラストチャンスということで、紅葉の季節を選んで久しぶりにみんなで集まることになったのだ。

全日空機で羽田から1時間20分。
機窓から津軽海峡に浮かぶ函館山が見えてきた。
「100万ドルの夜景」で知られる函館山だが、私はまだ登ったことがない。
函館に来るのは学生時代にヒッチハイクで北海道を一周して以来、あの時は早朝の青函連絡船で到着し、そのままトラックに乗せてもらって街を通過しただけだった。
だから実質的には今回が初の函館旅行と言ってもいいだろう。

同じ時刻に函館空港に降り立った2人とロビーで待ち合わせ、タクシーで一路友人の家に向かう。
函館空港は市街地の東端にあって中心部から近くとても便利だ。
友人が函館で買った家は、五稜郭のすぐ目の前にあるとよく自慢していたが、まさに玄関を出てもう目の前が公園の入り口になっていた。

授業を終えて帰宅した友人を待って、まず訪れたのは函館山の麓にある「谷地頭(やちがしら)温泉」。
このエリアでは明治時代から温泉開発が行われていたが、1953年函館市水道局によって本格的なボーリングが行われ「市営谷地頭温泉」として開業した。
2013年に民間に経営が移り、看板から「市営」の文字が消えたそうだ。
とても庶民的な温泉施設で、入浴料は430円。
函館には湯の川温泉などたくさんの温泉があるが透明な湯が多いそうで、「温泉はやっぱり濁りがなくちゃ」と友人はここ谷地頭の湯をこよなく愛している。
館内は天井の高いスーパー銭湯のような作りになっていて、露天風呂やサウナもあり、多くの地元の人たちで賑わっていた。
私たちは夕方に訪れたが夜が深くなるほど混雑が激しくなるそうだ。
「谷地頭温泉」 営業時間:6:00~22:00 定休日:第2火曜日 https://www.hakobura.jp/db/db-onsen/2010/07/post-1.html

風呂上がりの夕食は、五稜郭近くの回転寿司「函太郎 五稜郭公園店」へ。
近海の魚貝を取り揃えた友人オススメのお店だと言う。
自ら「函館グルメ回転ずし」を名乗り、函館市内には本店を含めて3店舗、さらに北海道、東北を中心に22店舗を展開するローカルチェーンだ。

北海道らしくほっき貝やつぶ貝、ホタテにアワビと私の好きな貝類も揃い、地元函館のお酒「臥牛山」も飲める。
函館名物といえばイカなのだそうだが、私が一番美味いと感じたのは「エンガワ塩だれ炙り」(250円)。
トロトロに溶けたようなエンガワは初めて食べた。

余談になるが、最終日のランチには海沿いにある「函太郎 宇賀浦本店」にも行き、ここで食べた「えんがわ焦がし醤油炙り」もとても美味かった。
もちろん他の魚も新鮮でみんな大満足、出発の時間が迫っている仲間もいたが、本店は空港からも近く慌てることなく食事が楽しめた。
「函館グルメ回転ずし 函太郎」、東京にも1店舗あるようなので一度妻を誘って行ってみよう。
「函太郎 五稜郭公園店」 電話:050-5593-4696 営業時間:11:00~21:00 定休日:無休 https://www.hk-r.jp/shop/s_kantaro/

最初の夜は12時ごろまで友人の家で酒を飲み、久しぶりにメディア論や社会問題などについても大いに語りあったが、二日酔いになることもなく翌朝は6時に目が覚めた。
まだ寝ている仲間を残してひとり外に出て、五稜郭公園を一周してみる。
この日の函館は快晴、気温もこの季節としては暖かかった。
朝日に照らされた「五稜郭タワー」が鏡のようなお堀の水面に映っていた。

五稜郭といえば桜が有名だ。
ゴールデンウィークの頃には公園全体がピンク色に染まり、5年ほど前には五稜郭の桜を見るための函館花見ツアーも仲間内で実施されたがその時には残念ながら私は参加できなかった。
もちろん今は桜の季節ではないので華やかな印象はない。
それでも外周に植えられた松の並木も見事で、それを眺めながら爽やかな早朝の散歩を楽しんだ。

まだ朝6時過ぎにもかかわらず、お堀の外周コースを多くの人が歩いていた。
全員が反時計回りに歩く、これがここでのルールのようだ。
お堀を一周すると1815メートル、井の頭公園の池をひと回りするより少し長い程度である。
五稜郭は案外小さいんだなあと感じた瞬間だ。

睡蓮の浮かぶお堀には2本の橋がかかっている。
五稜郭の北側にも一本の橋がかかっていて、私の前をウォーキングしていた人たちがみんなその橋を渡って城の中へと入っていく。
私も釣られるように橋を渡り、五稜郭の中に入ってみることにした。

五稜郭が築かれたのは、列強の要求に屈した幕府が函館の開港に応じた幕末のこと。
外国船の艦砲射撃が届かない場所ということでやや内陸に入ったこの場所が選ばれたそうだ。
設計は緒方洪庵の適塾などで学び函館の「諸術調所」の教授を務めていた武田斐三郎(あやさぶろう)、フランス軍艦の副艦長の指導も仰ぎながら西洋式の城郭技術を取り入れた。
開港決定の3年後1857年から工事が始まり1866年に完成したものの、その翌年には大政奉還により江戸幕府は崩壊した。
その独特の形状と函館戦争の歴史で有名ではあるが、五稜郭は幕末の動乱が生んだ仇花のようなお城なのである。

明治時代には練兵場などとして使用されていたが、大正時代になると五稜郭公園として一般に公開され市民の憩いの場所となる。
函館を代表する観光地として城内はきれいに整備されているが、それほど見るべきものがあるわけでもない。
砂利が敷き詰められたこの区画はかつての牢屋があった場所。
しかしここから戊辰戦争の最後の戦いとなった箱館戦争を感じとることは難しい。

五稜郭の中心には建っている建物は「函館奉行所」だ。
五稜郭観光の要となるこの奉行所は、函館開港に伴って幕府が設置した役所だったが、大きな役目を果たすことなく明治4年には新政府によって解体された。
現在私たちが見ることのできるこの建物は2010年に復元されたものだ。

奉行所の前には、箱館戦争の主役である榎本武揚や土方歳三らを紹介するパネルが置かれている。
その中には、永井玄蕃や荒井郁之助ら新政府に投降し明治政府で活躍した人物たちもいる。
さらに、幕府軍の残党と共に箱館戦争に加わったフランス人の軍事顧問ジュール・ブリュネの名前もあった。
フランス人たちは城が陥落する直前、船で函館を離れ母国に帰国したと書かれていた。
ちょうどNHKで世界史的な視点から明治維新を捉え直す番組が放送されているが、まさに幕末の日本はイギリス、ロシア、フランス、アメリカなどが自らの勢力圏に組み込もうと激しく争った世界のホットスポットだったのである。

奉行所の前には箱館戦争で使われた大砲も置かれていた。
奥がイギリス製の「ブラッケリー砲」。
旧幕府軍が、函館港内における砲撃のために築島台場に設置していたもので、全長2m55cm、重量は2500kgで、推定射程距離は1000メートルである。
一方手前にあるのがドイツ製の「クラップ砲」。
全長は2m85cm、重量は1000kgで、推定射程距離は3000メートルで、函館湾海戦で撃沈された新政府軍軍艦「朝陽」に搭載されていた大砲だそうだ。

でも、一番私の興味をひいたのは箱館戦争とは関係のない「函館氷」だった。
五稜郭を建設する際に併せて整備された上水道の水質の良いことに目をつけた一人の商人が、明治になって奉行所が取り壊され後、この水を使って製氷業を始めたという。
商人の名は中川嘉兵衛。
明治4年に670トンに氷を切り出し「函館氷」と名づけて売り出したところ、アメリカの輸入氷より品質が良いと東京でも評判を呼び、大正期まで生産が続いたのだそうだ。
城としてはほとんど活躍しなかった五稜郭も思わぬところで函館の発展に貢献したということのようである。

早朝から五稜郭に集まってきた人たちにある目的があることがすぐにわかった。
みんな真っ直ぐ奉行所前の広場に集まり、6時半になるとラジオ体操を始めるのだ。
スピーカーからはかなりの大音量でNHKラジオが流され、時間になるとおのおの音楽に合わせて体を動かし始める。
井の頭公園でも毎朝西園でラジオ体操をやっているがスピーカーの音が小さすぎてよく聞こえない。
きっと近隣の苦情を恐れて小さな音にしているのだろうが、都会と地方都市では騒音に対する住民の意識の差がることを感じながら、私も久しぶりにラジオ体操の輪に加わることにした。
子供の頃散々やらされたので、ラジオ体操第1はなんとかついていけたが、2番はそうとう怪しかった。

ラジオ体操が終わると、嘘のように奉行所前から人がいなくなった。
まるでフラッシュモブのような人々の動きである。
私も再び、五稜郭観光に戻る。

こちらは建造当時の建物で唯一現存するという「兵糧庫」。

五角形の西洋式の城を守るお堀と石垣や土塁。

そして、正面の入り口を守るために築かれた真田丸のように突き出した三角形の出塁「半月堡」。
設計では5か所作られる計画だったが、工事規模の縮小のため正面1か所となった。
「半月堡」の先端に立ってみると、石垣が90度ではなく70〜80度の鋭角に組まれていることがわかる。
五角形という特殊な形だけに、石積みにも高度が技術が求められただろう。

五稜郭の正面の橋を渡ると、ちょうど石垣の工事が行われていた。
外堀排水口の石垣を解体し積み直す工事のようだ。
解体された石が番号順に並べられていて、どのような石が使われているかを間近から見ることができる。

こうして五稜郭をひと回りして、朝食の時間に間に合うように友人宅に戻った。
五稜郭観光の目玉である「五稜郭タワー」の営業は朝9時からなので、この日は登る時間がなく、星形に折れ曲がったお堀を巡りながら五角形を想像するしかなかった。

友人からは絶対に五稜郭タワーには登った方がいいと言われたが、団体行動なのでなかなか時間が取れないまま最終日を迎えた。
そして最終日の昨日の午後、初めて単独行動をする時間があり、夕方のワンチャンスを捉えてタワーに駆け上がったのだった。
入場料900円を払って、わずか10分で展望室に上がり素早く写真を撮影してすぐに降りるという慌ただしい訪問だったが、それでも想像した以上に登る価値のあるタワーであった。

展望室でエレベーターから降りると、目の前に五稜郭のあの威容が広がっていた。
写真でよく見る姿なので新たな発見があるわけではないが、展望室のガラスの傾斜がちょうど五稜郭を美しく眺められるように工夫されている。
日没直前、夕暮れの五稜郭は想像以上に魅力的に見えた。
やっぱりこの城は、地上からではなくこうして上空から見なければ人々が魅了される理由は理解できないだろう。

函館戦争で死んだ新撰組の英雄・土方歳三の像が五稜郭をバックに座っていた。
どうして多くの人がこの男に惹かれるのだろう。
多摩の農民から身を起こし、自らの剣によって動乱の時代を駆け抜けた。
そのカミソリのような生き様と和洋折衷の出立ち、そしてなんと言ってもイケメンで格好いいイメージが小説家や映画人たちの想像力を掻き立てるのだろう。
実際の土方歳三がどんな人物だったのか私にはわからないが、誰から作り上げた無数の土方歳三が多くの人たちを今も魅了し続けている。

五稜郭タワーからは黄昏時の函館の街も一望できる。
もっと時間があればゆっくりと写真も撮れただろうが、もう出発の時間が迫っていた。
また来ることがあるとは思えないが、わずか10分でもタワーに登って正解だったと思う。
城の専門家ではない武田斐三郎が初めて設計した五稜郭が日本有数の人気の城として愛されている理由は、函館戦争の物語と共にまさにこの圧倒的な造形美にあるのだ。
美は歴史を超えて人の心を打つ。
これを機に、武田斐三郎の名前を覚えておきたいと思った。
「五稜郭タワー」 営業時間:9:00~18:00 定休日:無休 https://www.goryokaku-tower.co.jp/