『ペンジケント7つの湖とサラズム遺跡 日帰りツアー』
ウズベキスタンの現地旅行会社が主催するこのツアーを見つけたのは、旅行に出発する数日前だった。
たまたま中央アジアの地図を見直していて、ウズベキスタンのサマルカンドから隣国タジキスタンが結構近いことに気づいたのだ。
そこで、「サマルカンドからタジキスタン」というワードで検索してみたら、このツアーが目に止まったわけだ。
ペンジケントとは、サマルカンドからタジキスタンの国境を越えたところにある昔ソグド人の拠点があった🌇である。
つまり、このツアーに参加すれば、もう一つ未踏の国に足を踏み入れることができる。
ということで、ほぼ即決でタジキスタンへの日帰りツアーに参加することになったのだ。

27日の朝7時。
ウズベキスタン人のドライバーさんがホテルに迎えに来てくれた。
白タクの運転手たちとは明らかに違う穏やかそうだ男性だ。
ただ、言葉はあまり通じない。

約束通り、ドライバーさんにツアーの代金を支払う。
ドルかユーロでの支払いが希望だったので、303ユーロとを支払うことにして、100ユーロ札を3枚、不足分を500円玉で支払った。
ツアーと言っても参加者は私一人、運転手さんと2人でタジキスタン国境を目指す。

南東方向に車を走らせることおよそ50分、ウズベキスタン側の国境に到達した。
運転手さんはここまでで、一人で国境を越えて、タジキスタン側のガイドさんと落ち合って案内してもらうということらしい。

陸路での国境越えはカザフスタンとキルギスの国境以来2回目だが、さほど混んでもおらず、係官もほとんどやる気がないため、文句を言わずにおとなしく従っている分には何も問題がない。
とにかく歩いてのどかな国境を越えるのである。

ところが、タジキスタン側の国境で予想外のことが起きた。
道に沿ってタジキスタン側の建物に入ると、荷物検査のX線の機械が置かれているだけ、普通パスポートのチェックが先だと思うけどと疑問が浮かぶ。
それでも何も言われないので、建物を出ると、もうその先には何もない。
これは流石におかしいでしょうと思い、係官にこちらから話しかけて「スタンプは?」と聞いてみた。
係官は私のパスポートをパラパラめくり、「スタンプは?」と聞き返した来た。
「誰もいなかった」と答えると、あっちだと私が来た方向を指差すのだ。
来た道をトボトボ戻ると、川を渡ってタジキスタン側に入ったすぐのところに小屋が立っていた。
その小屋は道の脇に立っていて、誰も並んでいる人がいなかったので、まさかあれがパスポートコントロールだとは思わず通り過ぎてしまったのだ。
国境なら、嫌でも通らざるを得ないような動線にしておいてくれよ。

こうして無駄に歩かされてしまったが、入国審査は何も聞かれることもなく無事に終了。
ゲートの外でガイドさんが私の名前が書かれた紙を持って待っていた。
こうしたあたり、さすがにツアーだと楽である。
国境の周辺には何もなく、まわりには牛が草をはむのどかな風景が広がっていた。
私にとって95番目となるタジキスタンに入国したのだ。

ガイドさんが運転する車はトヨタのSUV。
どこに行くのかも知らないドライブの始まりである。

ウズベキスタン側と比べて、走行する車の数がめっきり少なくなった。
人影もまばらで家畜の姿ばかりが目立つ。

ロバの背中に乗って道端を歩く人。
NHKの「シルクロード」ではよく登場するシーンだが、中央アジアを旅していて案外これまでは見なかった。
しかし、タジキスタンではいくらでもこういうシーンに出会えるのだ。

小高い丘の上に建つ家々。
案外立派そうではある。

少し走ると、国境の街ペンジケントが見えてきた。
人口は3万3000人、サマルカンドからは50キロほどしか離れていない。
かつてシルクロードの商人として活躍したソグド人が築いた古代国家「ソグディアナ」時代の主要都市の一つである。

街の中心部には道路脇に露天が立ち並び、シルクロードの面影を今もどこか残している。
しかしその繁栄は8世紀、アラビア人の侵略によって終わった。

今も街の周辺にはソグド人の痕跡が残っていた。
こちらはペンジケントの街を見下ろす高台に残る「ペンジケント遺跡」。
ソグド人は中国では「胡」と呼ばれ、唐の時代の文献にはペンジケントのことと思われる街の記述も残されているという。

この遺跡からは多くの素晴らしい壁画が発見されたが、その大半はロシアのエルミタージュ美術館に持って行かれてしまい残ったものは首都ドゥシャンベの博物館に展示されているそうだ。
私が遺跡に付属する小さな博物館を覗くと、ちょうど中国からの団体観光客が説明を受けていて、一帯一路の政策のもと、シルクロードへの関心が高まっているんだなあと感じた。

また、ウズベキスタンとの国境近くでさらに古いおよそ5000年前のものとされる原始遺跡も発掘された。
この遺跡は「サラズム遺跡」と呼ばれ、2010年にタジキスタン初の世界遺産に認定され、屋根付きの遺跡公園として整備されている。

この遺跡からは「サラズムの王妃」と名づけられた女性の墓が見つかった。
多くのビーズと金製品で飾られた彼女は胎児のような姿勢で葬られていたが、その身長は2m近く手足が異常に長かったという。

ただ私の興味は古代の遺跡ではなく、タジキスタンという未知の国にあった。
車はペンジケントの街を離れて、どんどん山の中に入っていく。
舗装道路もなくなり、SUVでなければ走りにくい道が続く。

集落の中に入ると、向こうから大きな袋を頭に乗せた親子がやってきた。
アフリカあたりではよく見かけるが、中央アジアでは初めて見た光景だ。

しばらく進むと、大きなサイロのようなものが見えてきた。
金鉱山だという。
イギリス資本で開発が行われていたが、今は中国企業が高山の運営を行なっている。

金の鉱脈はこの山の頂上付近にあり、掘り出した金がこのサイロに降ろされる。
大型トラックが砂埃を舞い上げながら何台もやってくる。
中央アジアでは予想したほどは感じなかった中国の影響力だが、資源はしっかり握っているようだ。

車はどんどん山を登り、道路脇を流れるシング川もどんどん水が澄んでいくのがわかる。
車を止めて川辺に降りると、トゲがたくさんある高山植物が生えていた。

道はいよいよ険しくなって、あちらこちらに崖崩れの跡もある。
道の両側には岩山がそそり立ち、荒涼とはしているがこれがタジキスタンかと思わせる絶景ドライブである。

突然、エメラルドグリーンの湖が目の前に現れた。
崩れた山が川を堰き止めてできた天然のダム湖である。
ガイドさんはこの湖の名を「ミジガン」と呼んだ。

2つ目の湖「ソーヤ」。
車は湖岸の岩山を削り取って作った道をさらに登っていく。
ところどころ大きな穴があり、体が左右に大きく揺すられる。

渓流釣りをしている人たちがいた。
高度が高くなっているので日光は強いが暑さはさほど感じない。

3番目の湖「フシオール」は、車を止める場所がないため、通り過ぎて上から眺めることに。
積み重なった岩が分厚く堆積し、これが3番目の湖と4番目の湖を遮り、かなりの高低差を作っていることがよくわかる。
川の流れは一旦岩の間に消え、自分で通路を見つけながら「フシオール」へと流れ込んでいるのだ。

そして、こちらが4番目の湖「ノフィン」。
7つの湖の中でも一番長い湖である。
「ノフィン」左岸のかなり高い位置に無理やり作られた道、対向車とすれ違う時ハンドル操作を誤ればもう湖に真っ逆さまだろう。

山道を登り始めてもう1時間半が経った。
一体、どのくらいの高度なんだろう。
でも草も生えないこんなところにも村がある。
タジキスタンは山の国、国民の9割が山で暮らしているとガイドが教えてくれた。

5番目の湖「フルダーク」、小さい湖という意味だそうだ。
湖のほとりにまで家が立っていて、水は限りなく澄んでいる。
そして湖を取り巻くように巨大な岩山がそそり立っている。

河畔に多くの家畜が集められている。
農耕に不向きなこの山岳地帯では昔ながらの遊牧が人々の暮らしを支えている。
山道を登る間も、いったい何頭の牛や馬、ヤギや羊、そしてロバを見かけたことだろう。
シルクロードの民が何百年何千年と繰り返してきた営みは、こうした山里にこそ残されているように感じる。

6番目の湖「マルクゾル」。
正面には見上げるような高い山がそびえ、もうただただ見惚れるしかないすごい景色である。

ロバを引く女性とすれ違う。
「マルクゾル」の上流部分は平らな草原のようになっていて、乾いていれば車も道からそれて湖岸を走ることができる。
周辺には緑があって集落もできていた。
そして集落の背後には巨大な土砂の壁。
崩れた山が数十メートルの高さの天然のダムを作っていることがはっきりと目に見える場所だ。

こうしてついに最後、7番目の湖に到着した。
山道に入って2時間、運転してきたガイドさんももうヘトヘトである。
この湖の名は「ハゾールシャシマー」と言い、山の向こう側はもうウズベキスタン領だという。

この湖のほとりはちょっとしたビーチのようになっていて、ガイドさんに「泳ぐか?」と聞かれたが、あいにく水着を持ってくるのを忘れたので遠慮した。
ビーチのまわりは牧場のような草地で、家畜たちが気持ちよさそうに食事を続けている。
旅行者にとってはのどかな風景だが、実際にこの場所で暮らすとなったら大変だろう。

私たちの車を見て、子供たちが集まってきた。
家畜を追ってこの湖に来ているようだ。
この「セブンレイクス」と呼ばれるこの湖を訪れる観光客はまだ多くなく、この日の帰り道、ツアー客を乗せた数台の車とすれ違ったほか、この道をトレッキングしている4人組を見かけた程度だ。
だから子供たちにとっては外国人はまだ珍しいに違いない。

ガイドさんは私を確かに7つの湖全てに連れていったと証明するために、それぞれの湖で私に記念写真を撮るように促した。
7枚目の写真を撮り終えると、「さあランチだ」と言って来た道を降り始める。
途中の村で、おじさんがロバに水を飲ませていた。
まるでアルプスのような清流、本当にいいところだ。

昼食は4つ目の湖にある村の民家の庭先だった。
屋根付きのテーブル席が用意してあって、私のような観光客が来たら食事を振る舞うのである。

この家のお嫁さんらしき女性が食べ物を運んできてくれた。
心地よい風が頬をなぜていく。
実に気持ちがいい、シルクロードを感じさせられるランチである。

テーブルに並んだのは自家製の食材で作った家庭料理だった。
放牧の羊の肉と庭で栽培しているトマト。
他にも野菜たっぷりのスープやサラダ、庭で採れたリンゴやスイカ、アプリコットなどだ。
とても美味しくて、何よりも温かみのある料理であった。

山岳国家タジキスタンは国土の多くが標高3000メートルを超える厳しい環境で、中央アジアの中でも最も貧しい国である。
国民にとっては生活は楽ではないだろうが、それゆえに観光客にとっては昔のシルクロードを感じることができる。
訪れるのも欧米人が中心で、日本人には全く遭遇しなかった。
サマルカンドから行くタジキスタンの日帰りツアー、日本人にも是非行ってもらいたい小旅行である。