魯迅と日本

魯迅の「吶喊(とっかん)」を読む。

魯迅初期の作品をまとめたもので代表作「阿Q正伝」「狂人日記」などを収録する。

この本の冒頭に収録されている「自序」に魯迅の日本時代が書かれていた。

「私は、かつて四年あまりの間、しょっちゅうーほとんど毎日、質屋と楽屋にかよいつめた。」

幼少期、長患いの父親のために質入れで得た金で薬を買った。それでも助からなかった。南京に進学し様々な学問に触れ、父親がかかっていた漢方医への不信を強め西洋医学を学ぶため官費留学生として日本に留学することになる。

「これらの幼稚な知識のお陰で、のちに私の学籍は、日本の地方の医学専門学校に置かれることになった。私は甘い夢をみていた。卒業して国に帰ったら、父と同様のあしらいを受けて苦しんでいる病人を救い、戦争のときは軍医になり、かたわら、国民の維新への信念を高めようと考えた。(中略)講義が一段落してまだ時間があると、教師は風景やニュースを映して学生に見せて、時間の穴をうめたものだ。ちょうど日露戦争の最中とて、当然のことながら、戦争関係のスライドがわりに多かった。その度に私は、この教室で、同級生たちの拍手と喝采とに自分も調子を合わせるほかなかった。あるとき私は、思いがけずスライドで沢山の中国人と絶えて久しい面会をした。真ん中に手をしばられた男、それを取り囲んでおおぜいの男、どれも体格はいいが、無表情である。解説では、しはられているのはロシア軍のスパイを働き、見せしめに日本軍の手で首を斬られるところ、取り囲んでいるのは、その見せしめの祭典を見に来た連中であった。」

この体験により、魯迅は医学より中国人の精神を改造することが重要だとして文芸運動を志向するようになる。

魯迅は1904年から7年間、日本に滞在した。仙台の藤野先生は尊敬していたが、日本人の親友は一人もできなかったという。

魯迅は国民党独裁政権を厳しく批判した。中国共産党はそうした魯迅を聖人に祭り上げた。魯迅が生きた1881年から1936年は清が弱体化し列強の植民地化が進み辛亥革命、日本の侵略と続く屈辱の時代だった。そんな時代の中で、魯迅が中国の近代文学の祖と呼ばれる存在になるうえで、日本での体験は極めて重要だった。

社会の最底辺を生きる人たちを描いた「阿Q正伝」に込められたメッセージをどう解釈するのか?

まだまだ勉強が必要だ。しかも時代背景を理解するため、日本の軍事活動と照らし合わせながら読み解いていく必要がありそうだ。

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