長井雅楽

司馬遼太郎の「世に棲む日々」を第二巻まで読んだ。吉田松陰と高杉晋作を中心に維新の人間模様を描いた小説だ。

司馬さんが描く松蔭や高杉は一言で言えば「明るい狂人」だと感じた。今風に言えばテロリストである。狂気がなければ革命は起こせない。革命を起こさなければ歴史に名を刻むこともない。これが人間の歴史なのだろう。

失敗を重ねた松蔭が蟄居の身で起こした松下村塾から維新の志士たちが生まれた。革命戦士の養成所となったのだが、松蔭自身、最初から革命を目指したものではない。ペリー来航以来の国内の混乱、植民地化される恐怖からいかにして国を守るかを考え続けた結果、倒幕という名の革命思想にたどり着く。高杉は上海で西洋文明を直接目にすることにより、革命と戦争により国の形を変えることしかないと心を決める。そうした跳ねっ返りの若者たちを長州の大人たちは甘やかした。

このような若者たちの若気の至りの革命思想は古今東西たくさんの例があるだろう。若者たちは常に大人たちの社会に不満を抱き、その変革が必要だと考えるものだ。しかし、多くの場合、組織力や実現力の不足で自滅、または大人たちにつぶされる。なぜ明治維新は成就したのか。ひとり坂本龍馬によるものではないだろう。たくさんの要素が重なり合い、たくさんの幸運が若者たちを後押しし、生き残ったものたちが今日の日本の基礎を作った。

様々なタイプの人間が登場する。自分の身の回りに置き換えると、それぞれ似たタイプの人間に思い当たる。私はどのタイプだろう、ふとそんなことを考えた。私は間違いなく、吉田松陰や高杉晋作ではないと感じたからだ。

長井雅楽(うた)という人物が登場する。

長州藩の「政務役」という重責を担っていた人物だ。藩の内外からその能力が高く評価されていた人物だが、彼が藩主・毛利敬親に問われて語ったとされる言葉は非常にしっくりきた。私があの時代に生きていたら同じように考えたのではないかと思うのだ。

『天下には滔々として攘夷論がうずまいております。かれらの徒輩は、攘夷さえ決行すれば国は救われるという妄想を持ち、かつおのれの議論を正義となし、おのれの議論とことなる議論を俗論となし、異論の士を斬るかしりぞけることをもって快となし、右のような気分が、潮のように高まってきております。一犬虚に吠えて万犬実に鳴くと申しまするが、万犬が虚吠している時期には正しきことを申しても世人は耳を傾けず、血気奔走の徒をいたずらに刺激するのみで、なんの効果もございませぬ。のちのち、時運をよく見、この案を打ち出すべきときを選んで打ち出す方がよいかと存じまする』

と一旦は断ったのだが、藩主から意見書の提出を命じられ「航海遠略策」という論文を提出する。外国との戦争になった時、三百年の太平に慣れた武士にどれだけの戦力があるか疑問だとした上で、次のように書く。

『破約すれば、攘夷をとなえる血気の徒輩をよろこばせるだけであろう。戦争というものは十分の勝算をもってやるというのが、古今の名将の道である。かるがるしく戦いをおこして無策の戦争をし、そのため国を敗亡させた例は古来数えきれない』

神出鬼没の相手に対し長い海岸線を有する国を守ることは不可能とした上で、そもそも鎖国というのは三代家光の時代に作った制度であることを説明する。この時代の日本人は鎖国は古代から続くルールだと思っていた。孝明天皇は、鎖国は天照大神以来の祖法であると信じ、「開国しては皇祖皇宗に申し訳ない」とのみ言い続けていたらしい。そのうえで結論は・・・

『日本はこの機に開国し、積極的勇気をもって攻勢に出、感染をふやし、五大洲に航海し、貿易し、それによって五大洲をして日本の威に服さしめ、黠夷をして貢物を日本にもって来ねば相赦さぬというところまでの大方針を日本としてはただいま決めるべきである』

貢物はともかくとして、客観的には最も理にかなっている気がする。藩主の命により、長井は京と江戸でこの案を説き、幕府も朝廷もこの案に同調した。大人からするともっともな現実論であるが、彼が予想した通り、攘夷派の若者から命を狙われることになる。

常に醒めていて現実的な判断する人間には革命は起こせない。私には革命は無理ということだ。ここまでの60年足らずの人生が革命を必要としなかった事に感謝しよう。トランプさんも習近平さんもおとなしくしておいてもらいたいものだ。

 

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