米内光政

いつものように公園一周のジョギング中、気がついたことがある。

池の水量がいつの間にか増えているのだ。七井橋のすぐ下まで水面が上がって来ている。どうしてなのか?

ネットで調べてみても何の情報も得られない。なぜだろう?

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阿川弘之の「米内光政」を読んだ。

米内は「よない」と読む。「山本五十六」「井上成美」と並ぶ海軍提督三部作のひとつだ。この三人は太平洋戦争開戦前の一時期、海軍の首脳部として日独伊三国同盟に強く反対し、アメリカとの戦争は国を滅ぼすと主張した。

米内は海軍大臣の後、首相も務めるが、陸軍の協力が得られず半年で総辞職。その後を受けた近衛内閣、東条内閣で一気に三国同盟、英米への宣戦布告へと突き進む。そして敗戦が濃厚となった1944年、米内は天皇の強い意向を受けて海軍大臣に復帰、終戦に向け海軍をまとめた。

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本では、米内の人物像を若い時から亡くなるまで沢山のエピソードを連ねて描いていくが、日本を終戦に導いた英雄というにはキャラがぴりっとしない。

無口でものぐさ、強烈な個性がない。アメリカとの戦争には終始反対の考えを持ち続けるが、それを強く主張したり具体的な行動としてリーダーシップを発揮する場面がない。演説や人事も得意ではなかった。

ただ海軍内での人望があり、天皇の信頼を得ていた。ああいう時代、本音をペラペラ話すことが危険であったことは想像できる。それでなくても「和平派」の代表格として陸軍や右翼から命を狙われていた。

彼が人望があったのは私心がなかったためのようだ。戦争末期には配給以外の食料は一切受け取らず、痩せ衰えながら終戦工作に当たった。血圧は常に200を悠に超えていた。

本を読みながら感じたのは、日本社会は戦争中も今も変わらないなということだ。

リーダーたちは自分の考えだけで決断することは少なく、常に組織の力学の中で物事を決めていく。若手将校、特に陸軍内で主戦論が高まり、陸軍上層部はこれを押さえられなかった。2.26事件など様々な布石があった。多くの若者を戦地に送り出し死なせた司令官たちにとって、途中で戦争をやめるという選択肢はあり得なかったことも理解できる。今の社会でも、走り出したプロジェクトを止めるのは容易ではない。

日清日露以降、日本は戦争に負けたことがなかった。「神軍」という幻想が国民全体を覆っていた。一般大衆も英米との決戦を歓迎した。メディアもそれを煽った。世界を知らない恐ろしさだ。そうした当時の日本で海軍はエリート集団であり、世界の情勢に通じた人物を多く抱えていた。そのためアメリカとの戦争を何としても避けたいと思ったのだ。

正確な情報を広く国民に伝えることの大切さ、これが先の大戦の教訓だ。

しかし、一般大衆が興味の無い外国の情報を知らしめるのは容易ではない。現在では、世界中の情報や映像が簡単に得られる。それにも関わらず、日本人の外国への関心はむしろ萎んでいるように思える。

「何でも日本がすばらしい」と根拠も無く妄信している日本人も多い。中国の台頭により、逆に反中国感情が強まっている。ネット上にあふれる盲目的な反韓・反中世論の気持ち悪さはどうすれば払拭できるのか。

メディアの知恵と努力、いざという時の勇気が問われている。

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