焼夷弾

「ベスト・エッセイ2015」で今日気になったエッセイ。アメリカ人の詩人、アーサー・ビナードの「縁は夷なもの味なもの」である。

この人は日本語に興味を持ち、大学卒業後日本にやってきた。彼は池袋の商店街のおじいさん、おばあさんと話して日本語を身につけたが、その中で「焼夷弾」の話が出た。彼は「数ある新出語の中でも、とりわけ「夷」が未知の世界を見せてくれた」と書く。

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アーサーさんは「焼夷弾」という日本語はもちろん、その英訳である「insendiary bomb」という言葉も知らなかった。歴史の教科書にも戦争映画にも焼夷弾という言葉は出てこない。普通のアメリカ人は日本に焼夷弾を落としたことを知らないのだろう。加害側はそんなものだ。そこで彼は焼夷弾について調べた。すると「napalm bomb」という言葉が出てきた。これはベトナムで使われた兵器として彼も知っていた。日本とナパーム弾。別々だったものがつながった。

「木造家屋が密集する極東の街を焼き尽くすために、アメリカの軍部とケミカル企業が1940年代初めから秘密裏に開発を進め、42年の夏にハーバード大学の運動場で最初のデモンストレーションをやった。追ってユタ州の米軍基地内に、当時の東京の住宅街にそっくりの建物がたくさん造られ、それらを試しに焼き払ったりしながらnapalm bombの殺傷能力が高められ、そして45年の春、東京に投下。それが「焼夷弾」だ」

「想像を絶する量の焼夷弾が日本に落とされ、そして兵器の破壊力をさらに向上させる研究が進められて、のちに朝鮮戦争の名のもと、もっと大量に、日本で使われた焼夷弾の2倍ちかいものが朝鮮半島に投下された。大量虐殺の技術は日進月歩、アメリカ国防総省と軍需産業は研究に励み、1960年代からはベトナム戦争の名のもと、インドシナ半島に焼夷弾を雨と降らせた。それも朝鮮半島で使用した焼夷弾の10倍以上の量を」

この話を池袋のおじいさんやおばあさんに伝えると、朝鮮やベトナムと自分が経験した焼夷弾がまったくつながっていなかった。朝鮮半島やベトナムに焼夷弾を運んだ米軍機は、日本の基地から飛び立っていたにもかかわらず、その感覚がちょん切られていたのだ。

確かに、日本人は「焼夷弾」という言葉は、日本に落とされたものという認識しかない。実際、朝鮮戦争で焼夷弾が使われたことを私は知らない。ベトナム戦争で使われたのは「ナパーム弾」と認識している。彼が指摘する通り、歴史の認識がちょん切られているのだ。

目からウロコのエッセイだった。

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