満州国の幻

ヤンキーズ田中将大  VS  エンゼルス大谷翔平。

この「夢の対決」を生で見ようと、GWの休みを利用して多くの日本人がカリフォルニアに向かった。しかし、大谷が前日の試合で足首を捻挫して今日の試合出場を回避した。

「夢の対決」は、幻に終わった。

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今年のGWの後半、私は妻を連れて大連に行く。

日清・日露戦争の激戦地となり、日本の支配下に置かれた中国の街。満鉄の本社が置かれ、満州国の玄関口となった街。何十万人もの日本人が「日本の生命線」である満蒙開拓のために海を渡り、大連に押しかけた。

「五族協和」の理想を掲げた満州国。日本人と共に、中国人、満州人、朝鮮人、蒙古人が力を合わせて欧米の侵略に対抗し、仲良く暮らす夢の国のはずだった。

しかし、すべては幻。いや、まやかしだった。

初めて大連に行くに当たって、満州国について少し知識を仕入れようと2冊の本を読んでいる。

一冊は幼少期を満州で過ごした作家・三木卓さんの「ほろびた国の旅」。

大連で少年時代を過ごした青年がタイムスリップして満州国を追体験する児童文学だ。この作品の中に、すでに敗戦を経験した主人公の青年がまだ戦前を生きる幼なじみの少年にこんな話をする。幼なじみの少年はイギリス人の父と日本人の母の間に生まれ、父親が日本に帰化した後も「あいのこ」と呼ばれいじめられていた。

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『たいていの日本人は、さっききみが言っていたようにきみをいじめるでしょう。それだけじゃない。今晩だって、<五族協和>なんて言っているけど、中国人も、満州人も、朝鮮人、蒙古人も、みんな日本人よりも低く見られているじゃないか。そして、チャンコロだとか何とか、とてもけいべつしたような言い方をされたり、いじめられたりするでしょう。ところが、ここはね、そもそも日本人の住んでいたところじゃないんだ。中国人や満州人たちのものなんだ。』

『ねえ。安治。満州国っていうのは、とてもすばらしい国のように見える。少なくとも学校の先生や、本を読むとそう書いてある。ぼくもそう思ってきた。今まで苦しんできたアジアの人々、いろいろな民族が楽しく暮らせる、天国か極楽のような国を作るためにみんなが力を合わせる。その中でも日本人は、いろいろな意味で東洋では兄さん格だから、みんなの面倒を見ていく立場にあるんだ、と教えられてきた。しかし、本当にそうかしら』

『今夜だって、日本の憲兵がとても威張っていた。ここは、満州国で、日本じゃないでしょう。それなのに、関東軍という日本の軍隊が満州国軍よりずっと威張っている。満鉄は日本の会社でしょう。日本人はいい家に住んで、いい服を着て、おいしいものを食べている。そうして、満州人のことをニーヤンなんて呼んで見下している。ぼくは、どうもね、本や新聞に書いてあることは、だいぶ違っているような気がするな。きっと、きみも、ぼくも誰かに騙されているんだ』

これに対し、「あいのこ」といつも呼ばれいじめられている安治少年の返事はこうだった。

『あなた、スパイなの。ぼく、それなら憲兵隊へ訴え出なけりゃならない。どうして、そんなおそろしい話をするの』

 

人は、その時点の常識の中で生きている。歴史の先を知ることはできない。

まして一方的な洗脳や偏った情報だけが与えられる環境の中で、後世の人から見て正しい判断をすることは難しい。

反対に後世の人間から見て、その時代、その環境に生きる人々の考え方や感じ方を理解することも難しい。どうしてあんなことに騙されたのか? どうしてあんな過ちを犯したのか?

それを少しでも理解しようと思えば、私たちが過去の時代にタイムスリップする必要がある。例えば満州国で暮らした一般の日本人がどんな暮らしをしていたのか? どんな情報に接し、どんな夢を持っていたのか?

それを教えてくれる本が、松原一枝さんの「幻の大連」。

松原さんは大連で少女時代を過ごした作家だ。彼女は自らの記憶を辿り、女子高生の目を通した満州国の日常を伝えてくれる。本のカバーにはこんな解説が綴られている。

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『 「ふるさとは大連」 遼東半島にある港街にしてシベリア鉄道の玄関口、大通りにはアカシアが連なる。そこはかつての植民地においてもっとも美しい都市だった。一方で、張作霖爆殺、満州事変と激動の時代、元憲兵大尉・甘粕正彦、男装の麗人・川島芳子、張学良、謎の阿片王、猟奇的殺人の妊婦など、怪人たちが闊歩する。多感な少女時代をかの地で過ごした著者が記憶を辿り、歴史書にはない貴重なリアリティを再現する。』

日本が植民地を持つという感覚、広大な大陸を舞台に活躍する「怪人たち」。私たち今の日本人には実感がわかない。今の日本人と当時の日本人では「世界観」に大きな隔たりがあったことは間違いないのだろう。私たちの常識は、当時の日本人の常識とは違った。だから、結論も違ったのだ。

「はじめに」の中で、松原さんは大連を次のように紹介する。

 

『大連は遼東半島(関東州)の南端にある港街。緯度から見ると日本の東北盛岡にあたる。 日清戦争後、ロシアは関東州を清国から租借し、大連街の建設途上であったが、日露戦争に勝利した日本が、明治37年5月、大連を占領した。

日本は大連を、ロシアが残していった建設地図を基にして建設したという。 街の中央に直径200メートルの広場を作り、この広場から放射状に十筋の大通りを設けた。夕暮れになると、広場の中央を囲んでいるガス灯から青白い灯がともされて、神秘的な雰囲気が漂った。 街路樹は既にロシアがシベリアから運んでいたアカシアである。5月になると、アカシアの甘い薫りが大連の街を包み、白い花房のゆれる下を人々が往来した。 住宅は石造りもあるが、主として煉瓦造り。建築様式はイギリス風で、庭は表にはなく、家の後にあった。赤、緑、青、灰色等の屋根瓦が、家々を美しく彩っていた。 道はどこまでもコンクリートで舗装されている。コンクリートの道を補修するときのコールタールの刺激的な匂いを嗅ぐと、私は今でも大連への郷愁が蘇る。

大連の人口の内訳は、日本人、朝鮮人、満州人、その他の外国人たちであった。昭和10年頃の日本人の人口は13万4328人。満州人はその倍近い、22万4998人であった。日本人の住んでいた地域は150平方キロメートル。東京の杉並区、世田谷区、大田区を合わせたほどの規模である。

大連はシベリア鉄道でヨーロッパへ行く人たちにとって、玄関口にあたる。ヨーロッパを往来する旅人が、大連の街をパリにも似た雰囲気があるといった。 大連には、資本金4億4000万円、勅令によって創立した半官半民の南満州鉄道株式会社、通称、満鉄の本社があった。大連即ち満鉄、と満鉄社員たちは自負していた。』

 

夢のように現れ、幻のように消え去った満州国。

何だか、「幻の国」満州国に不思議な魅力を感じ始めた。

もちろん満州国の建国を評価するという意味ではない。この「幻の国」に生きた日本人が何を考え、何を感じていたのか、知りたいという欲求がにわかに湧いてきたのだ。

多くの日本企業が進出し、急速に近代化が進む今の大連。その街に行って、私が何を感じるのか自分でも楽しみである。

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