沈黙

遠藤周作著「沈黙」を読んだ。

江戸時代の日本、しかも九州の片田舎で繰り広げられていたキリスト教徒弾圧の情景が生々しく描かれている。

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この小説は踏み絵を踏んだ一人の外国人司祭の心の葛藤が主題だが、その中で遠藤さんは棄教した司祭にこんな台詞を言わせている。

「日本人は今日まで神の概念を持たなかったし、これからも持てないだろう」「日本人は人間とは全く隔絶した神を考える能力をもっていない。日本人は人間を超えた存在を考える力を持っていない」。確かにそうかもしれない。隠れキリシタンが守った信仰は日本流にアレンジした全く別物だったのだ。

主人公の司祭が接する貧しい日本の農民の描写もとてもリアルだ。私が世界で最貧国と言われるアジアやアフリカの国々で目にした光景を思い起こさせる。貧しく、教育がなく、権力者に日常的に蹂躙される人々。「理不尽」が常態化した救いようのない世界だ。

おそらく100年前の日本や世界では、そうした情景は珍しくなかっただろう。江戸の街だけを見れば、300年の太平が培った江戸文化には現代人に通じるような庶民の娯楽や洒落がある。戦国時代に比べれば、平和な良い時代だったのだろう。しかし、田舎との格差は大きかったと想像できる。ましてやキリシタン狩りが続いていた長崎では、全く違った日常だったに違いない。

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この時代に興味を持ったきっかけは、仕事の関係で「天正少年使節」の本を読んだことだ。

織田信長とキリスト教の蜜月時代、秀吉による禁教と家康の鎖国。事実としては知っていたが、これまで特に興味はなかった。しかし調べてみると、信長を時代の英雄にしたのは西洋文明であり、戦国から安土桃山時代というのは、日本史の中では特異な「国際化した時代」だったことを理解できた。

戦乱の絶望的な状況が、貧しい人たちに新たな宗教を求めさせたのだろう。信長がもっと長生きしていたら日本はどんな国になったのか。キリスト教を禁じ、国を閉ざさなければ、日本は他のアジア諸国同様、西洋の植民地になっていたのだろうか。

歴史好きな人たちには笑われるだろうが、今頃になってそんなことに興味が湧いてきた。

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