きょうは冬至。夜が明けるのもすっかり遅くなった。
藤野敦著『東京都の誕生』という本を読み始めた。2018年に江戸が東京に変わって150周年を迎える。仕事の関係で「東京奠都」と呼ばれるその経緯を調べていて、さらに広げて東京の歴史を知りたいと思ったからだ。
1657年、「振り袖火事」の名で知られる明暦の大火が起きる。名前は知っているが詳しいことは知らない。江戸城の天守閣も焼いたこの火事により江戸はすっかり焼け野原になったが、これを逆手に取って大規模な再開発が行われた。
「この明暦の大火は、結果的に都市・江戸の景観のリセットボタンを押すこととなった」
「赤坂・牛込・小石川などの沼地や溜池の一部を焼けた土で埋め立て、寺社を郊外の浅草・築地・駒込に移転させ、さらに本所・深川などの隅田川の向かい側にも旗本屋敷や町屋の開発をおこない、大名屋敷も江戸城の郭外へ移転されて周辺部には下屋敷がつくられるなど、市街地の拡張がおこなわれた」
「諸国の大名の屋敷が築かれ、江戸へ滞在する各藩士の流入によって人口が急増し、江戸では人口の50%を武士が占めるという特殊な人口形態が生まれた。非生産者である武士人口の増加は、江戸を巨大な消費都市へと変貌させていった。消費をまかなうため諸国から物資が江戸へ集まった。また承認もある者は大名に付き従い、ある者はビジネスチャンスを求めて江戸に集まってきた」
「単身赴任の藩士たちは持て余す時間を使って江戸近郊をめぐり、名所や名物を見聞き味わい、彼らが諸藩へ帰る時に江戸の土産物や土産話として地方に伝えられた。京よりも幅広く文化を吸収し、大坂よりも幅広い身分層へ文化を伝播する、文化の市場としての江戸が生まれたのである」
1855年の安政大地震についても書かれている。震源地は荒川河口付近でマグニチュード6.9、直下型地震だった。下町地域では震度7と推定され、家屋倒壊や火災で1万人以上が死んだ。揺れは関東大震災を凌いだと思われる。
翌年には大暴風雨が襲い、その2年後にはコレラが大流行する。治安の悪化も急速に進む中で、その元凶を黒船来航と貿易開始ととらえ、攘夷運動が活発化していく。何となく、今のヨーロッパに似ている気がする。
歴史小説の好きな方には常識なのだろうが、江戸のこともよく知らない。自分の住んでいる街の歴史をもっと知る必要があるとまた思った。