歴史案内人

そろそろ梅雨が明ける。

北九州で豪雨災害が起きる一方、東京は空梅雨だった。

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夏休みの中欧旅行に備え、少し参考資料に目を通し始めた。

最初に読んだのは、中谷剛さんが書いた「ホロコーストを次世代に伝える アウシュヴィッツ・ミュージアムのガイドとして」(岩波ブックレット)という小冊子だ。

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中谷さんはアウシュヴィッツで唯一の日本人ガイドだ。もう20年この戦争遺跡の案内をしている有名なガイドさんだ。

今回、まだ行ったことのない中欧を訪れることにしたのは、プラハとアウシュヴィッツにぜひ行ってみたいと思ったからだ。

戦後70年を過ぎ、今ではアウシュヴィッツという地名を知らない大学生も増えていると聞く。確かに、半世紀以上前に起きた外国の出来事だ。もはや歴史の一部でしかないのかもしれない。

人類の負の歴史をどうやって後世に伝えていくのか。世界的に難しい課題だ。

アウシュヴィッツに日本人ガイドがいることを、私は今回初めて知った。中谷さんの著書から一部引用する。これが書かれたのは今から10年前だ。

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『現在、アウシュヴィッツ・ミュージアムには200名あまりの歴史案内人(ガイド)がいる。最近の急激な見学者増加に合わせて新規採用された者も多い。ほとんどはポーランド人で、彼らがホーランド語以外に13カ国の言葉で案内している。全員がミュージアム訪問者サービス部に所属するが、教職を兼ねる者や、平日は別の仕事について週末だけガイドする人もいる。ボランディアではない。公式ライセンスをミュージアムから受けて“仕事”として案内する。』

ライセンスを取得するためには、数十冊の読んでおくべき書籍リストを渡された後、口頭による一次試験を受け、合格すると2、3ヶ月後に実技試験が行われる。そして採用されると1年間の見習い期間を経て、問題がなければミュージアムと2年契約を結ぶのだという。

『ライセンス更新の条件は年間で30グループ以上を案内することや、冬季の講習会に必ず参加することなどだ。冬期講習では、体験者の講演会をはじめ歴史家の研究成果を学べるようになっている。いつも決められた日時に案内するわけではないので臨機応変な対応が求められ、ガイドは地元のオシフィエンチム市やその周辺に住む者が多い。日曜日に自宅でのんびりしていると、「30分後に来てください」という呼び出しを受けることもよくある。』

なかなか大変な仕事だ。

アウシェヴィッツを訪れる日本人についても書かれている。

『1989年のポーランド社会の体制転換を経て日本人見学者は確かに増えたが、それでも5000人から7000人が年間の見学者数だ。1999年初頭まで日本人は査証なしではポーランドに入国できなかったので、歴史に強い興味や問題意識を持つ人でなければこんな遠方まで来るのは大変なことだった。一方、ホロコースト展は日本ですでに70年代には開催され、80年代後半に全国展開された際、ほとんどの会場は満員だったという。この時期の関心の高さは、敗戦を経験した日本人の普遍的な反戦意識がもたらしたものだろう。90年代は教師など教育関係者のミュージアム訪問が比較的多かった。

2000年あたりから。大手の旅行会社のパックツアーにアウシュヴィッツ見学が入るようになり、観光旅行の一環で当地を訪れる人たちが増えてきた。査証が要らなくなったチェコのプラハやハンガリーのブダペストが大人気らしく、その余波という説もある。ある旅行代理店の関係者は、ポーランドだけの観光だとなかなか希望者が集まらないと言っていた。旅の環境はかなり改善されたが、それに比例した観光客数の伸びはない。戦争の傷を抱えるポーランドを日本人の多くは敬遠してしまうらしい。アウシュヴィッツを“一昔前の話”や“怖くて気持ち悪いところ”と感じる人もいる。そして、アウシュヴィッツの名称を知らない大学生もいる時代になった。だから、これまで見学者として比較的多かった教師の姿が目立たなくなったことは非常に残念だ。』

『世界文化遺産としてテレビ番組で紹介されると普通なら旅の希望者が増えるらしいが、アウシュヴィッツだけは例外だという。欧州各地では、メディアの関心の高さも手伝って大幅に訪問者が増えたことを思うと、今日の日本の社会的風潮は独特なのだろうか。それを「平和ボケ」と表現する人もいる。現在、日本人見学者は韓国人の4分の1に満たない。』

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安保闘争の時代は日本社会全体が反戦平和に傾き、アウシュヴィッツへの関心も高かっただろう。次第に若者が保守化し、社会全体が右傾化した。いや、むしろ政治離れ、思想離れしたと言った方が正確だろう。テレビからも戦争の悲惨さを伝える番組が減り、アジアでの加害実態や沖縄戦の悲劇なども語られなくなった。自然とアウシュヴィッツの話題がメディアに登場することも減った。

時の流れではある。視聴者の反応は明白に鈍くなった。戦争を我が事として捉えることは今の日本人には難しいことになった。

しかし所詮わずか70年前の出来事である。

欧州全体で600万人のユダヤ人が虐殺された。ユダヤ人であるという理由だけで殺されたのだ。

そこから何を学ぶのか。

結局は一人一人の意識の問題である。

アウシュヴィッツを訪れる際、中谷さんにガイドしてもらいたい、そう思っている。

1件のコメント 追加

  1. wildsum より:

    この記事を読んで思いました。これも忘れられつつある負の遺産です。人が個人の履歴や体験を通して未来を考えるように、人類も負の遺産を含めた歴史を通して、人類の未来を考えなければならないと思いました。

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