核なき世界

久しぶりに夕方のニュースを見た。

午後5時すぎ、サミットを終えたオバマ大統領が広島に降り立ったのだ。テレビ各局はメインキャスターを広島に送り込み、その一部始終を中継で伝えた。

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戦後71年、現役のアメリカ大統領による初めての広島訪問。確かに「歴史的」である。私もオバマ大統領の決断を大いに評価したい。しかし一方で、日本メディアの広島報道には、いつも通り軽い違和感を感じながらテレビを見ていた。

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オバマ大統領は、原爆慰霊碑の前で17分にわたる「所感」を述べた。演説ではなく所感。様々なところに政治的な配慮がなされている。当然「謝罪」の言葉は無かった。

より大局的な見地から「核なき世界を目指す勇気」を訴えた。長崎にも朝鮮半島出身者にも触れた。落ち着いた口調で誠実に語った。アメリカ国内の世論や国際情勢を踏まえ、使えないフレーズも沢山あっただろう。ただオバマの言葉には彼の本心、彼の信条が反映されていると感じた。

オバマは理想主義者だ。もし実現できるものなら、本当に核なき世界の実現を願っているのだと思う。しかし、彼には核なき世界を実現する力はなかった。理想だけで世界は変わらない。

逆に彼の任期中に削減された核兵器の数は、歴代政権の中でも最低レベルだという。

今、ロシアはプーチン大統領が握っている。核軍縮は一時期に比べ難しくなった。中国も軍備を増強し、核兵器の数も増やしている。そもそも人類が一度手にした核兵器を手放すことはありえないのではないか。たとえ理想主義的な指導者が自国の核をなくしたとしても、世界のどこかで権力欲に取り付かれた指導者が現れ、一番強力な兵器を持とうとするだろう。テロリストが核を持つ時代もいつか来るに違いない。一旦発明された兵器は、それを上回る兵器が登場しない限りなくならないのかもしれない。

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そして、私がいつも感じる「広島報道」への違和感。その正体は「加害」と「被害」のバランスの悪さだ。

核兵器は一瞬で多くの人を抹殺する。子孫にも放射能の被害を残す。だから非人道的だ。もちろんそうだ。ただ、東京大空襲やヨーロッパでの大空襲はどうか。地上戦で目の前で一人一人殺していく通常の戦闘行為はどうか。占領下で行われる非人道的な残虐行為はどうか。戦争というものはそもそも非人道的なのだ。核兵器だけを特別扱いする日本の論調には、どうしても違和感を感じてしまう。

さらに「加害者」としての日本という視点だ。

被爆国を強調する報道は、日本人に対して戦争の恐ろしさを伝える意義はある。しかし、「唯一の被爆国」を強調するあまり、無意識のうちに「日本=被害者」という意識のすり替えに使われてはいないだろうか。少なくとも周辺国からはそう受け取られやすい。そして被害の側面を強調することにより、戦争責任をうやむやにした。日本には明らかに「加害者」の側面がある。戦後それに正面から向き合わなかったことが、今日の隣国との関係に尾を引いている。

中国の王毅外相はオバマ大統領の広島訪問について「広島は注目に値するが、南京はさらに忘れるべきではない。被害者には同情すべきだが、加害者は永遠に責任を逃れられない」と発言した。多くの日本人はこの発言に反発するかもしれないが、私はこの発言にも謙虚に耳を傾けるべきだと思う。

オバマさんを見習って、安倍総理にもぜひ盧溝橋や南京を訪問してもらい、平和のメッセージを発信してもらいたいと心から思うのだ。

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