<きちたび>京都の旅 2017〜明治維新の舞台!無料ガイドツアーに参加して春の京都御所を巡る

🔶「旅したい.com」から転載

<京都>明治維新の舞台!無料ガイドツアーに参加して春の京都御所を巡る

🇯🇵日本/京都 2017年4月 1泊2日

京都御所は、明治天皇が東京に移り住むまで数百年にわたり歴代天皇が暮らした館でした。天皇はどのような暮らしをしていたのか? 大変興味深い御所の内部を無料ガイドツアーで巡ることができます。

知っているようで知らない京都御所の観光ルートをまとめてみました。

蛤御門

京都御所に初めて行ってきました。

最寄駅は、地下鉄烏丸線の今出川駅です。

御所の開門は午前9時。少し早く着いたので、先に蛤御門(はまぐりごもん)を見に行くことにしました。

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司馬遼太郎さんの小説などを読んでいると身近に感じる蛤御門。

1864年に起きた「禁門の変」、別名「蛤御門の変」は、京都を追放された長州藩が挙兵し、この蛤御門で会津・桑名藩兵と交戦した維新の重要な節目となる事件でした。

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その時の弾の跡が今も門の梁に残っていると書いてあったので探してみたのですが、逆光のため確認できず、代わりに門扉にこんな凹みを見つけました。

これは関係ないのでしょうか?

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戦いは一日で終わりましたが、京都の街では大火災が発生しました。

そしてこの戦で多くの指導者を失った長州藩は朝敵となり、日本中を敵に回して藩滅亡の危機に瀕するのです。

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蛤御門は現在、烏丸通に面して西を向いて立っていますが、以前は少し東側の位置に南を向いて立っていたようです。

そして正確にいうと蛤御門は御所の門ではなく、京都御所の周りを取り囲む京都御苑の門の一つとなっています。

京都御苑

京都御所は京都御苑の中にあります。

天皇が暮らしていた館が御所であり、それを取り囲むように立ち並んでいた公家たちの館の跡が現在の京都御苑です。

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明治になり公家たちが天皇とともに東京に移り住んだため公家屋敷もすっかり荒廃したため、国が公園として一帯を整備したのです。

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御苑には、「車返桜」という桜の木があります。

後水尾天皇が外出した際、あまりの桜の美しさに御車を引き返させて鑑賞したことからこの名がついたと案内板に書いてありました。

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京都御所の一般公開は、以前は春と秋の2回だけでしたが、2016年から通年での公開となりました。事前の申し込みも不要です。

参観希望者は御所の西側にある「清所門(せいしょもん)」から入ります。かつては勝手口として使われていた門だそうです。

入場は無料ですが、入り口で持ち物検査があります。

御所ガイドツアー

清所門を入ってすぐの所に、参観者休所があります。

ここではお土産を売っていて、御所の解説ビデオを見ることもできます。

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職員によるガイドツアーもここから出発します。

日本語のツアーが一日4回。英語と中国語のツアーも2回ずつあります。所要時間は50分ほどで、うれしいことに無料でした。

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私も9時半のツアーに参加しました。

基本的には一人で気ままに見て回る主義なので、こうしたガイドツアーに参加することはないのですが、一応取材目的でもあり無料なので説明を聞くことにしました。

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きれいに剪定された松の木。白壁の蔵が続きます。

ガイドさんに聞いた話をもとに、御所のルートを案内してみます。

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立派な屋根が見えてきました。

公家や大名が出入りするための「宜秋門(ぎしゅうもん)」です。我々が入った清所門とは格式が違います。

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正式な御用で参内した公家や将軍家の使者が控える「諸大夫(しょだいぶ)の間」です。

身分に応じて部屋が三段に分かれていました。

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上から「虎の間」「鶴の間」「桜の間」で、襖絵や畳縁が違い、部屋への入り方も身分によって変えられていました。

虎と鶴は公家専用で、武士は大名クラスでさえ桜の間までしか通してもらえませんでした。

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平安京は794年桓武天皇によって開かれましたが、現在の京都御所に天皇が住んだのは1331年から1869年(明治2年)までの500年余りにすぎません。

内裏が火災で消失するたびに貴族の邸宅など仮の内裏(里内裏)に移りました。現在の京都御所は里内裏の一つだったそうです。

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「新御車寄」は大正天皇の即位礼に合わせて作られた京都御所の中でも最も新しい部分です。

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馬車や自動車が乗り入れられるようにスペースを広くとり、床にはコンクリートが使われました。

金色の装飾が鮮やかで、扉のデザインにも雅を感じます。

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内裏へ

朱色鮮やかな「承明門(しょうめいもん)」にやってきました。

この内側は、御所の敷地の中でも天皇がいた特に重要な一角「内裏(だいり)」です。

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承明門の奥に見えるのが、京都御所で最も格式の高い正殿「紫宸殿(ししんでん)です。

即位礼などの重要な儀式がここで行われていました。

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紫宸殿の前に植えられているのが「左近の桜(さこんのさくら)」。

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そして紫宸殿の反対側には「右近の橘(うこんのたちばな)」があります。

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紫宸殿は、明治維新では五箇条の御誓文の舞台となり、その後明治、大正、昭和の三代にわたる天皇の即位礼もここで執り行われました。

天皇が即位するときに使う高御座(たかみくら)は今でも紫宸殿に置かれています。

紫宸殿の前に広がる白砂の庭は「南庭(だんてい)」と呼ばれ、即位礼の時にはこの庭に旗などが並び、セレモニーの会場となります。

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紫宸殿が公的な場所であるのに対し、天皇のプライベート空間が紫宸殿の裏側にあるこちらの「清涼殿(せいりょうでん)」です。

暑い京都の夏を少しでも涼しく過ごせるようにとの理由で、山がある東向きに開放部が大きく採られているそうです。

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中央に厚い畳が敷かれていて「昼御座(ひのおまし)」と呼ばれています。

歴代の天皇は昼間ずっとここにいました。そして疲れると、背後の布の裏側で休んだそうです。

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昼御座の周辺には、天皇が寝る場所や食事を食べる場所、拝礼する場所が用意されていますが、想像していたよりずっとコンパクトです。

一段下がった板の間には常時お付きの者たちが整列し、ここでも様々な儀式が行われていたと言いますから、とてもリラックスできるプライベート空間ではなかったでしょう。

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さらに順路を進むと「御池庭(おいけにわ)」に出ます。

回遊式の庭園で、この庭を望むように2つの建物が建っています。

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1867年明治天皇が「王政復古の大号令」を発した「御学問所(おがくもんじょ)」と、その後将軍慶喜の処遇を巡り激しい駆け引きが戦わされた「小御所(こごしょ)」です。

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京都御所は文字通り、明治維新の生々しい現場だったのです。

地震殿

ガイドツアーの最後は、天皇の住居となる「御常御殿(おつねごてん)」です。もともと天皇は清涼殿で寝起きしていましたが、御常御殿が完成すると天皇のプライベート空間はこちらに移りました。

ここで面白い話を聞きました。「地震殿」の話です。

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御常御殿の前に広がる「御内庭(ごないてい)」の中に、ひっそりと建つ木造の小屋があります。ガイドの職員は、天皇が地震の際に避難生活を送るための「地震殿」だと説明しました。

どうやら天皇専用のシェルターがあったらしいのです。明治天皇の父である孝明天皇も、一時この地震殿で暮らしたことがあるとガイドは説明していました。

ネットで関連情報を調べてみましたが、孝明天皇の話は裏付けが取れません。また、写真の小屋、すなわち天皇用のシェルターは「泉殿」とも呼ばれ、皇后用の小屋が別にありそれを「地震殿」と呼ぶのだという論文に行き当たりました。詳しいところは少し曖昧ですが、天皇の地震対策が昔から取られていることは間違いなさそうです。

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京都御所は何度も火災で焼け、地震にも見舞われました。

天皇制を維持するためには、防災対策も欠かせなかったというのは日本ならではのお話でしょう。

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ガイドツアーの解散場所には、きれいな桜の木がありました。

ここはかつて厨房があった場所だといいます。

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背の低いこの木も桜でしょうか?

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とても可憐な白い花が咲いていました。

明治になって、京都御所は歴史的役割を終えましたが、逆に天皇を身近に感じられる場所として、私たちを受け入れてくれるようになりました。

日本人なら一度は訪れる価値がある場所だと感じました。

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