大久保利通

私は日本史に疎い。高校では世界史と地理を選択して日本史は取らなかった。

司馬遼太郎著「翔ぶが如く」第5巻(文春文庫)を読んで、知らないことの多さに改めて驚いた。維新直後の日本が台湾に軍を送ったこと、清や列強から責められ大久保利通自ら北京に乗り込んで談判したことも知らなかった。

西郷隆盛の征韓論を封じたのは大久保利通だった。幼少の頃から兄弟のように育ち、誰よりも信頼していた2人が征韓論を巡って直接対決した。大久保以外に西郷を止められるものはいなかった。三条や岩倉に懇願され仕方なく西郷に引導を渡す。その際の凄まじい迫力。

これにより、西郷はすべての官職を捨て、鹿児島に戻る。多くの薩摩人が西郷に従った。全国から湧き上がる武士たちの不満。誕生したばかりの明治政府には金も力もなかった。このよちよち歩きの明治政府を一人で背負ったのが大久保だった。

司馬さんはこう書いている。

『 大久保利通の一代というのは苦境の連続といってよかった。 大久保ほど苦境に堪えられる性格というのもめずらしい。かれが盟友の西郷隆盛と危難を倶にしていたころ、西郷は重大な危難に遭遇するとにわかに、それも大津波の退くような勢いで、自殺や隠退へ逃避したがるという性癖ーーーさらに言えば哲学化した性癖ーーーがあったが、大久保にはそれがなかった。大久保が西郷に不満をもっていたのはその点で、かれは西郷に対し、面とむかって「お前さァはいつもそうじゃ。こまったことになると俺のみ残して何処かへ去る」と、凄惨な表情でいったこともある。』

西郷の征韓論を潰した大久保が今度は周囲の反対を押し切って台湾に兵を送る。台湾で遭難した沖縄人五十数名が現地人に殺されたためこれを成敗するというのが名目だ。ただ、不満を抱える旧武士層を台湾に送りその不満を和らげる狙いがあった。極めて内向きな理由だった。

外国人顧問などと相談した上での決断だったが、列強から激しく指弾され大久保は窮地に陥る。中国での外交交渉も上手くいかない。抗議を受けて兵を引けば屈したことになる。出兵の正当性を清朝に認めさせなければならない。そのためには賠償金を獲得しなければならない。文字通り、至難の交渉。むしろ、理屈の通らない無理難題というべきだろう。

自ら北京に乗り込み交渉するしかない。大久保はそう決断する。明治政府にそれができる人間は他にいない。

そして50日に渡る厳しい交渉の末、台湾出兵を「義挙」と認めさせ50万両の賠償金も獲得した。その執拗でしたたかな交渉ぶり。私たちが知る日本外交にイメージとは大きく異なる。大久保という政治家の力量を改めて知る思いだった。

司馬さんはこう書いている。

『大久保の成功の大きさは、ほとんど奇術師の演出かと思えるほどに、信じがたいほどのものだった。』

大久保利通は、その実績に比べて人気がないのはなぜだろう。

明治維新は人気がある題材だが、その中心は幕末の志士たちの活躍であり、維新成立後についてはあまり語られない。明治維新を題材とした司馬遼太郎の数ある小説を見ても、「竜馬がゆく」をはじめとする幕末ものは文句なく面白いが、明治維新後を描く「翔ぶが如く」は読みにくい。なぜか?

古い体制を破壊する「革命」は、多くの人を興奮させる。そこには「理想」や「正義」が前面に出るからだろう。それに比べ、革命後は一気に「政治」が前面に出てくる。新たな体制を築く過程では、意見の違いが表面化し仲間内で対立が起きる。「理想」に代わって「現実」が大きく立ちはだかり、「妥協」や「強権」が支配するようになる。

古今東西、一般庶民は「悲運の英雄」を愛する。坂本龍馬や西郷隆盛はその代表格だ。

しかし、帝国主義の時代にあって日本の大転換を成し遂げた一番の功労者は大久保利通だと私は考えている。あの時代、大久保がいなかったら、明治政府は数年で瓦解していたのではないか。もしそうなれば、日本の運命は大きく変わっていただろう。

実際に大久保のような厳格な上司に仕えるのは大変だ。私も、できることなら明るい職場で働きたい。

ただ、様々なタイプの人間がそれぞれの能力を活かした仕事ができると、事はうまく運ぶものだ。多くの人間が関わった明治維新は、そうした意味でビジネスマンの教科書になる。

吉田松陰、久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎、大村益次郎、武市半平太、坂本龍馬、三条実朝、岩倉具視、勝海舟、西郷隆盛、そして大久保利通。タイプの違う多くの人間が己の志を胸に動き、歴史に翻弄され、結果として維新がなった。

しかし、明治政府の原型を作り上げる胆力のいる難事業を一人で背負った大久保の責任感と政治力はもっともっと知られるべきだと思う。悪役になることをいとわず、私欲を捨てて自らの職務を粛々と遂行する男の姿に私は強い尊敬の念を抱く。

今の永田町にそうした政治家はいるだろうか。いて欲しいと思う。

 

 

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