南京事件①

図書館で中公新書の「南京事件」を借りた。著者は拓殖大学教授の秦郁彦氏。昭和61年の出版だ。ちょうどこの頃、南京事件に関する論争が熱を帯びていた。秦さんは執筆の目的をこう書いている。

「昭和47年の日中国交回復は一つの分岐点となった。前年に中国を旅行して日本軍の戦争犯罪を広く取材した朝日新聞の本多勝一記者は、著書『中国の旅』で南京事件を改めて掘り起し、被害者の生々しい証言を伝えた。しかし、本多リポートは、たとえば被害者数が一挙に2−3倍にふくらんだこともあって、各方面から不満と反発の声が噴出し、昭和47年には洞富雄の『南京事件』が、翌年には鈴木明の『「南京大虐殺」のまぼろし』が刊行された。昭和58年から59年にかけて「まぼろし派」のキャンペーンはピークに達し、一時は主流の座を奪いかねぬ勢いとなる。そこへ、59年度頃から下級兵士を主とする内部告発派が次々に登場し、中島師団長日記などの新資料が発掘されたこともあって、「大虐殺派」が盛り返し「まぼろし派」と対抗。このままだと、歴史的真実の究明はどこかに押しやられ、偏見や立場論が先走って泥仕合になってしまう」

こうした問題意識から、事実関係を確認し、原因と責任の所在を含め見直し作業をしたいというのが秦さんの執筆の目的だとしている。

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本の中から気になった点をいくつか書き出しておきたい。

①第一報を伝えたのはニューヨーク・タイムスのティルマン・ダーディン記者。1937年12月13日の南京陥落を目撃した外国人記者は5人。シカゴ・デイリー・ニューズ、ロイター通信、AP通信、パラマント映画ニュース。彼らは日本軍の要請で15・16日に南京を離れている。その後数ヶ月、南京に外国人ジャーナリストは一人もいなかった。

②ジャーナリストが去った南京に22人の外国人がとどまっていた。中国人難民の世話をするドイツ人やアメリカ人。国際安全区委員長のラーベ、YMCA書記長のフィッチ、国際赤十字委員長のマギー牧師、金陵大学教授のスマイス、ベーツ教授、何人かの医師が主なメンバー。フィッチは「サウス・チャイナ・モーニング・ポスト」紙上で「南京に残留した米人の目撃談」を掲載。

③ティンパーリー著「戦争とはなにかー中国における日本軍の暴虐」。オーストラリア人ジャーナリストが1938年に刊行した南京事件の全体像を伝える最初の著作。

④南京攻略戦に従軍した日本人ジャーナリストは、同盟通信社33人、カメラマンや地方新聞の特派員を加えると各社あわせて100人を超えていた。山本実彦、西条八十、杉山平助、中村正常、北村小松、大宅壮一、石川達三のような著名人が、新聞・雑誌の特派という形で加わっていた。日本軍の恥部に触れた記事はほとんど見られず、慶祝ムード一色。従軍記者のレポートはまず出先陸軍報道部の検閲を受け、本社のデスクでチェックされる。たとえ紙面に載せても、内務省図書課の検閲にひっかかれば、報道禁止、責任者の処分となるのは明白だった。戦後、何人かが証言記録を残した。今井正剛記者「特集・文芸春秋ー私はそこにいた」昭和31年。

⑤石川達三の抵抗。『中央公論』昭和13年3月号「生きている兵隊」。発売と同時に内務省から頒布禁止処分の通告があり、石川と雨宮編集長は警視庁に連行され、起訴された。禁錮4ヶ月、執行猶予3年の判決が下り、雨宮は退社し国民学術協会主事となった。

⑥東京裁判で南京事件の詳細が日本国民に伝えられる。米占領軍も「真相はこうだ」というラジオ番組を特設し、真相暴露路線を推進した。南京事件は被害者20−30万人という桁違いのスケールだったため、最大級の衝撃効果をもたらした。事情を知る関係者の多くは、戦犯容疑がわが身にかかるのを恐れ、沈黙を守った。敗戦の日まで国策に沿った報道しかしなかったマスコミは、今度は占領政策伝達のための拡声器に早変わりする。E・H・ノーマンの訳書が爆発的に売れ、丸山真男が学界のヒーローになった。

⑦元陸軍省兵務局長田中隆吉少将が免責と引き換えに内部告発。松井大将、中島第十六師団長、谷中将、佐々木中将、長大佐らの名前をあげた。松井の下の軍司令官だった朝香宮鳩彦王中将は、天皇を戦犯にしないという最高方針が決まったことで対象圏外となった。

⑧南京事件に絡んで裁かれたのは、A級は東京裁判の松井石根大将のみ、BC級も南京の国防部軍事法廷で谷第六師団長、田中第六師団中隊長、向井、野田(いずれも第十六師団歩兵第九連隊)の4人のみだった。容疑者特定が困難だったうえ、多くがすでに戦死していたため。BC級では容疑者が中国に限定された。田中は「皇兵」という本で「三百人斬り」の勇士として紹介され、向井と野田は「東京日々新聞」で「百人斬り」競争の英雄として伝えられたことによる。この5人はいずれも死刑となったが、知名度が高かったという理由で不特定多数の犯人を代表して裁かれたということになろう。

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ということで、新書「南京事件」の冒頭部分を読んだだけで、いくつか興味深いテーマが見つかる。特に、外国と日本のジャーナリストを主役に南京事件を調べてみたいと思った。戦後の「真相はこうだ」というラジオ番組も聞いてみたい。南京事件に遭遇したジャーナリスト、本社のデスク、戦後手のひらを返したメディアの世界。今日でも同じことが起きそうなだけに、そこから教訓が導ければと思う。

知っているようでほとんど知らない「日本の戦争」。少しでも正確に理解するために、引き続き調べてみようと思う。

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