伊勢神宮と天皇②

明治22年の式年遷宮

武澤秀一著「伊勢神宮と天皇の謎」の続きである。

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武澤氏が注目する明治22年の式年遷宮。ここに今日につながる伊勢神宮神話の原点があると主張していて、大変興味深く説得力があると思って読んだ。

『 平安時代以降、アマテラスは密教の大日如来の日本版とみなされるなど、その信仰内容に変容を見せていたが、江戸時代に国学が興るにともない、<アマテラス‥天皇>の系譜が強調されるようになった。

一方、式年遷宮の<はじまり>においてアマテラスの実質をになった持統天皇のことは、いつしか、すっかり忘却の彼方に押しやられた。皇位略奪の戦い(=壬申の乱)をへて成立した天武・持統朝は「万世一系」のイメージにそぐわなかったのであろう。そして持統が女性天皇であったことも。

変わって浮上したのは、「神武天皇」であった。神代の<はじまり>がアマテラスで、人代の<はじまり>が神武という設定である。「万世一系」の天皇がこの国をおさめるという理念の下、皇祖アマテラスと初代神武が高らかに謳いあげられるのであった。』

「万世一系」は近代語

天皇は、維新勢力にとって、徳川幕府を倒す革命理論の柱だった。

岩倉具視と大久保利通を中心に練られたクーデター計画に従って、まだ幼かった明治天皇は行動する。

『 明治天皇、当時満15歳が下した「王政復古」の沙汰書には、「諸事神武創業の始にもとづき」と謳われていた。明治維新は「神武創業」を理想とし、明治天皇は初代「神武」になぞらえられたのである。と言っても「神武」の政治体制は不明につき、実際には、天武・持統朝に成立した古代律令制が形式上のモデルとされた。』

『 大号令の三ヶ月後、「祭政一致」を回復する具体策として「神祇官復興」が打ち出された。神祇官とは古代律令制において祭祀をつかさどった役所だが、維新当初は文字通りの復古を夢見ていた勢力が政府内にいたのである。

翌明治2年6月には、それまで各藩が所有していた領地・領民を天皇にもどす「版籍奉還」が決まった。興味深いのは薩長土肥の藩主が1月に提出した「版籍奉還」上表文の冒頭で、次のように宣言されていることである。

皇祖が国を開き、その礎を築いて以来、「万世無窮」に続く「皇統一系」の子孫たる天皇が代々、土地も民も治めてきた。したがって、みな天皇のものだと言っているわけだが、「万世一系」の皇統による統治理念がここにはっきりと打ち出されている。』

列強に対抗するため中央集権国家の樹立を目指した維新政府は、天皇の「万世一系」を強調することで大名ら既得権力者を抑え込む革命理論を編み出したのだ。

そして、ここで目から鱗の記述が登場する。

「万世一系」という言葉が明治生まれの近代語だというのである。

『 「万世一系」という語は大日本帝国憲法第一条に掲げられ、今日でもよく口にのぼるが、明治2年の岩倉具視の国事意見書に「万世一系の天子」とあるのが初出とみられる。つまり「万世一系」は、明治維新後に用いられるようになった近代語。その点は「式年遷宮」と同じだ。ただし「万世一系」の理念そのものは以前からつちかわれていた。』

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1件のコメント 追加

  1. dalichoko より:

    何度か行きましたが、何度行っても神々しい気持ちになりますね。
    私、まったく信心深い者ではありませんが、そんな些末な私でも厳かな気持ちになります。すごいと思ってます。
    (=^・^=)

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