中山陵

南京旅行から戻って早いもので、もう3週間になる。忘れてしまわないうちに続きを書いておく。

南京リポート第11弾は「国父」孫文の遺体が安置されている「中山陵」である。

中山陵は、南京市北東の紫金山の中腹、「明孝陵」の近くにある。私も明孝陵から徒歩で中山陵に向かった。

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2つの陵の間は「紫金山緑道」という歩道が整備されている。歩いて行く人も多いが、観光車というバスを利用する人もいる。新緑の季節なので、歩いても気持ちがいい。

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途中、「南京東郊国賓館」と書かれた立派なゲートが目についた。かつて社会主義国家には、こうした外国の賓客を泊める専用施設が作られた。私も北朝鮮や旧ソ連でそんな宿泊施設に泊まったことがある。外部から隔離された別世界。豪華な大理石造りだが人間味にかけるような居心地の悪さがあった。

帰国後、ネットでこの施設を調べてみたら、今や誰でも宿泊できる豪華ホテルになっているようだ。

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旅行サイトで紹介されていたゲストハウスの外観。緑に囲まれた立派な建物だ。希望すればここに泊まることができる。

国賓が宿泊したスイートルームは1泊7万円前後からのようだが、おそらくお付きの人が泊まった窓のない部屋なら1泊1万4000円ほどで予約できるようだ。社会主義国を体験するには貴重な経験ができるかもしれない。

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突如、広場に出る。土産物屋が並び、「国家重要風景名勝区」と彫られた石の前に大勢の人が群がり写真を撮っていた。しかし、これはまだほんの序曲に過ぎなかったのだ。

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参道の両側に土産物屋が続く。団体旅行のグループが小旗を先頭に何組も参道を進んでいく。若い人も多い。

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中山陵の入口にある「博愛坊」。青い瓦の門に、孫文が書いた「博愛」の2文字が掲げられている。日本で「博愛」と言うと鳩山由紀夫さんの顔が浮かんできてしまい、あまりありがたくないのだが、本来はフランス革命や中国革命の精神を表した理想とすべき言葉なのだ。

ここから先を「墓道」と呼ぶ。

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門をくぐって一瞬笑ってしまった。なんだ、この人の数は・・・。

まるで初詣の明治神宮のようだ。しかし、この日は特別な日ではない。つまり、ここに来ればいつでもこれだけの人を見ることができるということだ。

以前このブログの「橘玲の中国」で紹介した「ひとが多すぎる社会」という言葉が頭に浮かんだ。確かに南京市内も人は多いが、それは繁華街だからだと思っていた。ここはお墓である。どうしてこんな驚くほどの人がやってくるのか?

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墓道の先に見えるのが「陵門」。「天下為公」の金文字が彫られている。日本語の説明書きもある。

『陵の門は全て福建省の花崗岩で建てられ、屋根は単層ひさしで、その上に青色の瑠璃瓦で覆われて、三つのアーチ門にそれぞれ彫刻した銅の双扉を取り付けており、真ん中の扉上方の横額に孫中山の筆跡「天下為公」を刻んでいる。』

「天下もって公と為す」。『礼記』の言葉で、「天下は権力者の私物ではなく、公の為のものである」という意味だ。孫文は好んでこの言葉を揮毫し、辛亥革命を象徴する言葉とされる。

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陵門の脇を抜けると、さらに凄まじい光景が目に飛び込んできた。

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階段を埋め尽くさんばかりの人、人、人。

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壮観だ。

階段の踊り場には、記念写真を撮影販売する業者たちが店を構える。これは写真を撮りたくなる光景である。

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しかし、ほどんどの人たちはスマホで記念撮影。

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自撮り棒を持った人たちが非常に多い。中国は「自撮り」大国なのだ。

女の子たちが頭につけている赤い飾り。たくさんの若者が頭につけている。流行りなのか? おそらく参道の土産物屋で売っているのだろう。頭に飾りをつけて自撮りをし、SNSで発信する。それが「国父」孫文が眠るお墓での楽しみ方のようだ。

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石段は急だ。結構きつい。

日本だと最近はエスカレーターがついたり、エレベーターがついたりバリアフリーが進んできたが、中国ではひたすら足で登る。

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踊り場がいくつもあるので、休みながら登ることができる。途中に座り込んでいる人もたくさんいる。中国人はいつでもどこでも自由だ。

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階段を登りきると、素晴らしい景観が広がる。

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当然ここでも自撮りだ。

そして階段を登りきった場所に建てられている建物が「祭堂」だ。

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この祭堂に関する日本語の説明書きがちょっと気になった。

『祭堂は東洋と西洋の建築風格を融合して、扉かまちの上方の横木に孫中山が書かれた「天地正気」の字と国民党の元老張静江が書かれた「民族」「民権」「民生」との字が鋳造してある。ホールの真ん中にフランスの彫刻家ポロ?ロトシキに造られた孫中山の漢白玉像があり、東西両側の壁に孫中山の遺書「建国大綱」の全文が刻んである。墓室の真ん中にチェコの彫刻家コウチに造られた孫中山の横式像があり、先生の遺体はその下に深く埋葬された赤銅の棺に置かれている。』

「民族」「民権」「民生」は、孫文の指導理念で「三民主義」と呼ばれる。

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これまで見た案内板の中で最も日本語がおかしい。

中でも、「ポロ?ロトシキ」。

この人名表記は一体どうしてしまったのだろう?

英語の説明だと「Paul  Randowsky」と書いてある。ネットで検索してみても、このポールさんの名前はヒットしない。中国旅行専門サイト「感動大陸」には、「ポール・ランダース」という名前で紹介されている。ちなみにこちらのポールさんも検索でヒットしないのだ。あまり有名でないフランス人彫刻家が作ったということなのだろう。

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その「ポロ?ロトシキ」さんが造った孫文像がこれだ。

祭堂の中は珍しく撮影禁止になっているので、外から撮影した写真だ。観光客は行列に並んで祭堂に入り、孫文像の周りをぐるっと回って外に出てくる。

それだけだ。

長い階段を登って、そこにあるのはこの正体不明のフランス人彫刻家が造った孫文の像だけ。私は予備知識もないまま来たので、社会主義国によくある永久保存処理した遺体が安置されているのだと勝手に思っていた。案内板も読んでいなかったので、チェコの彫刻家が造ったという横式像もはっきり見ないまま出てきてしまった。

どうしてここにこんな大勢の人が訪れるのか、正直よくわからない。今の中国人にとって、孫文はそこまで愛されているのだろうか? 毛沢東とは違い、共産党の直系ではない。どちらかといえば、台湾=中華民国の祖なのだが・・・。中国の教科書で孫文はどのように教えられているのだろうか?

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そもそも孫文は、日本との関係が深い。

中国では「孫中山」という名で知られるが、「中山」の由来についてウィキペディアに面白い情報が載っていた。

『孫文は日本亡命時代には東京府の日比谷公園付近に住んでいた時期があった。公園の界隈に「中山」という邸宅があったが、孫文はその門の表札の字が気に入り、自身を孫中山と号すようになった。日本滞在中は「中山 樵(なかやま きこり)」を名乗っていた。なお、その邸宅の主は貴族院議員の中山忠能である。』

そうして日本の苗字から取られた「中山」の名を中国人に親しまれ、中国各地に「中山路」などの地名を残したのだ。

日本人と結婚したこともある。14歳の大月薫との結婚を申し込み親に断られたが、駆け落ち同然で結婚したという。そして娘が生まれた。孫文は、娘が生まれる前に孫文は帰国してしまたが、日本に子孫を残した。

そもそも孫文が革命を志したのは、日本の明治維新に触発されたからだ。自ら「志士」となり満州人の支配や列強の侵略から中国を解放することを目指した。犬養毅や頭山満など日本人とも生涯親交を結び、日中の連携を模索した。その意味では、日本による中国侵略は孫文にとって「維新の志士の抱負を忘れた」所業に映った。

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「地球の歩き方」を見ると、中山陵は一押し観光地として最初に紹介されている。

ただ、個人的にはちょっと期待外れだった。大勢の中国人を見たい人や急な階段を登ってみたい人以外にはあまりオススメしない。

「地球の歩き方」のオススメ度は星3つ、私のオススメ度は星1つだ。

 

<参考情報>

私がよく利用する予約サイトのリンクを貼っておきます。

 

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