“まぼろし”

南京に行く前にぜひ読んでおきたい本があった。

鈴木明さんが書いた『「南京大虐殺」のまぼろし』である。

いわゆる「ネット右翼」と称される人たちが「南京大虐殺はなかった」と主張する際に、バイブルのように扱われることがある。第4回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞したこの本のタイトルを取って、「まぼろし派」などとも呼ばれる南京事件を否定する人たちが現れた。1973年の出版直後から、激しい論争が巻き起こったという。

当時は、本多勝一氏の「中国の旅」など、南京大虐殺を認め謝罪する論調が強かった時代だけに、この本の出版には勇気が必要だったかもしれない。

「実像を描く勇気を」と題された項を引用しておく。

『僕はいま、姜さんをはじめてして、「南京事件」で被害をうけたと思われる人たちの発言に対してかなりの疑問を提出したことに対して、正直いって、若干の後ろめたいものを感じている。これは、長い間、「南京事件」を鵜呑みにしてきた者の、本能的な後ろめたさともいえるし、また、かつて加害者であった日本人と同種の言語を話す一員としての後ろめたさでもある。

もとより、僕は姜さんをはじめとして、東京裁判の証人に立った人たちに対して、非難めいたことを言おうとしているのではない。南京には、バール判事も推定しているように、かなり狂暴な事件が頻発し、これが中国の民衆に深い傷となって、三十五年後の今日にまで、憎しみを持って語り継がれてきたことは、もとより当然のことといえよう。 だからといって、これは決して勝手に作りかえて自由にじゃべっていいという性格のものではない。人間が、どのような条件で、どのように追いつめられたとき、あるいは集団の力が、あるいは狂信的な信念が、どのような形で爆発するのかということの、貴重な、厳粛な一つの記録である。

僕は、それを知りたいと思う。しかし、残念ながら、その真実を知る機会は、今となってはほとんど絶望的である。たとえ数多くの証人を連れてきて、三十五年前を思い出させても、それは今日から見た昭和十二年十二月十二日であり、その「幻」が実像を結ぶことは、もはや永遠にあり得ないであろう。

もしあの時、何人の、とはいわない、たった一人の日本人が、勇気をもってその実像を描いていたならば、それは「幻」ではなく済んだかも知れない。僕はこれを思うとき数多く中国に行った日本の記者たちが、どうして、たった一言「いま、林彪はどこにいる?」と訊けなかったのかと残念に思う。

これら数多くの訪中団や記者の中に、かつて老舎の名作「駱駝祥子」を読んだ人は一人もいなかったのだろうか。華麗な過去に彩られた丁玲の力作「太陽は桑乾河を照らす」を読んで感動した人は一人もいなかったのだろうか。「自殺を伝えられている老舎の真相は?」「丁玲は五七年の批判以来、どうしているか?」と、何故ひとこと訊けないのか? 今日、南京事件を「幻」にしてしまったことの教訓は、いま知りたいことを伝える勇気ではないのか。いま知らないということは、つまり永遠に事実を「幻」の彼方に追いやることではないのか。

「南京大虐殺」の真相究明が大々的にとりあげられたことが、戦後二回あった。一回は日本戦犯を血祭りにあげるための「極東国際軍事裁判」であり、もう一回が「日中友好」のために、日本の罪悪を総懺悔しようという運動に乗っての「告発」であった。そして、その告発は、幸か不幸か僕のもっていた「南京大虐殺」のイメージを「幻」にかえてしまった。このぼんやりとしたスクリーンを少しでも実像に変えてゆく作業は、やはり誰かがしなくてはならない。そして、いまの僕にいえることは、その「誰か」が「裁判」にも「告発」にも関係しない、ただ「人間」を信ずる「誰か」でなければならない、ということだけである。』

この本を書いた時、鈴木氏はTBSの社員だった。

この本が書かれた前年の1971年、朝日新聞で本多勝一氏の「中国の旅」の連載が始まり、72年に鈴木氏は「諸君!」紙上で「“南京大虐殺”のまぼろし」を発表した。

その同じ年、当時の田中角栄総理の電撃訪中により歴史的な日中国交正常化が実現した。中国の卓球チームが日本を訪問し、まさに日中友好ブームが日本列島を覆う中で、翌73年、単行本として本書が出版された。

文中の登場する老舎とは文化大革命で犠牲となった中国の有名な小説家だ。そして丁玲は中国共産党所属の女性小説家だったが、文化大革命で毛沢東から「反党集団の頭目」と批判され下放された。文化大革命の混乱に目をつむり何も聞かない日本の記者を批判する気持ちがこの文章からあふれている。

鈴木氏は中国側の話ではなく、日本側の多くの関係者(兵士・ジャーナリスト)に会い、聞き取りを続け、この本をまとめた。

鈴木が言う「まぼろし」とは、南京事件は捏造だということではなく、その時誰かが勇気をもって真実を追求しなければ、後日調べようと思っても真実を正確につかむことは困難になるという意味だと私は解釈した。その意味では、鈴木氏の主張は非常によく理解できる。

ただ、この本はそのタイトルが、その後一人歩きし、「南京事件はすべて捏造であり、日本軍は一切の非道行為をしていない」という主張をする人たちが出現しているのは、飛躍というしかない。日本人として、加害の過去を認めて反省し、過去を客観的に検証する姿勢は失いたくないと思う。

話は飛ぶが、私はかつて、アフリカのルワンダで起きた大虐殺を取材したことがある。

被害者であるツチ族の難民たちから虐殺の証言を聞き、戦闘が終わった後、隣国に逃げた加害者側であるフツ族の元国家指導者たちにもインタビューを行った。そして、第三者としてルワンダに駐留していた国連関係者からも話を聞いた。

しかし、真相はなかなか見えてこない。実際に虐殺が行われていた最中、ルワンダ国内を自由に取材できたジャーナリストは世界中に一人もいなかった。私も戦闘が続く首都キガリにも入った。当時10人程度の外国人ジャーナリストがキガリで取材していた。しかし街中では政府軍と反政府勢力の戦闘が続き、いたるところバリケードだらけで道路には武器を持った民兵以外の人影はまったくなかった。

ジャーナリストが虐殺の現場を目撃することはほぼ不可能だ。国連軍でさえ、自らの本部施設を防衛するのが精一杯で、街中の状況をほとんど把握していない。

国連の報告書といっても、伝聞情報が多く、残された死体の数などから殺された人数を推定するだけなのだ。

南京であの時何が起きたのか。私は、日本軍による不法行為は間違いなくあったと考えている。ただ計画的なものではなく、南京陥落の大混乱の中で場当たり的に行われたとも考える。そして中国政府が主張する犠牲者数は誇張されていると思っている。共産党的なプロパガンダの狙いが込められて数字だと理解している。しかし、いわゆる「まぼろし派」が主張するように、犠牲者数がゼロなどということもありえないだろう。

どこまでの殺人が戦争行為で、どこからが虐殺なのか、という問題もある。

ただ日本が他国である中国に兵を送り、多くの中国人を苦しめ、多くの人を殺した歴史的な事実は、どうしても正当化できない。日本人として、その歴史を受け止め、新たな隣国関係を築いていく以外に道はないと信じる。

だから私は、自ら南京に行き、自分の目と耳で、中国が伝える南京事件の証言を聞いてみたいと思うのだ。

日本には、歴史を改ざんする北朝鮮のような国には決してなってもらいたくない。

鈴木氏は著書の最後をこう締めくくっている。

『僕はここ半年あまりにわたって、とにかく僕なりの方法で「南京事件」をわが心の問題として、自分流に育ててきた。僕の集めることができた「事件」の素材は、「事件全体」からみれば、あるいはほんの一握りほどのものであるかも知れない。しかし、僕はそれが1972年に、日本の一市民として生活する僕にとって重要な素材であると思えばこそ、育ててきたのである。僕の集めてきた素材をみて、人はまたそれぞれに、自分の「南京事件」を心の中で育てるかもしれない。

そしていま、もし請われて、僕がどうしても「南京事件」について記述しなければならないとしたら、僕はおそらく、次の数行だけを書いて筆を止めるだろう。

「〔南京事件〕昭和十二年十二月、日本軍が国民政府の首都南京を攻め落とした時に起きた。この時、中国側に、軍民合わせて数万人の犠牲者が出たと推定されるが、その伝えられ方が当初からあまり政治的であったため、真実が埋もれ、今日に至るもまだ、事件の真相はだれにも知らされていない・・・」』

『「南京大虐殺」のまぼろし』とは、南京事件を否定する「まぼろし」ではない。発生当初の真相究明が行われなかったことに加え、後世になり政治的な要素やイデオロギーが事件にまとわりつき真相がますますわからなくなったという意味での「まぼろし」であると、私は理解した。

「あとがき」の中で鈴木氏もそのことを自ら書いている。

『僕が書きたかったことは「南京大虐殺はまぼろし」ではなく「南京大虐殺」を“まぼろし”にしたのは、真実を語る勇気のなさであり、それは「昭和四十七年にも、また同じようなことが繰り返されているのではないか」という恐怖であった。』

「まぼろし派」のバイブルと考え、これまでこの本を読まなかった私は間違っていたようだ。鈴木氏の分析には時に違和感や意図を感じるところがあるが、南京事件を理解する上で、立場を越えて読むべき本だと感じた。

南京を見たうえで改めて読み返してみたいと思う。

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