こまらぬ男

司馬遼太郎著「竜馬がゆく」の第7巻が図書館にあった。

「窮迫」という章にちょっとメモしておきたい箇所が見つかった。「こまらぬ男」の話だ。

幕長戦争が終わり長崎に戻った竜馬だが、船もなく、金もなく、亀山社中の者たちを食わせられず困り果てて社中解散を考えた時のことだ。陸奥陽之助が竜馬にこんな話をしたという。

『「さすがの坂本さんも万策尽きたと見えますな。私は天下に、こまらぬ男というのは長州の高杉晋作とわれわれの坂本竜馬だけだと思っていたが、これはちがったな」

「なんだ、そのこまらぬ男というのは」

「いや、長州できいた話ですよ」

と、陸奥は、暗に竜馬をはげますつもりらしく、こんなことをいった。

高杉は長州の天才児である。天馬空を往くような奇想のもちぬしで、しかもことごとく図に当たっている。

「まるで雲に乗った孫悟空ですよ。雲から落ちて絶体絶命に立ちいたっても、ふたたび雲を呼んでまた三千世界を駆け巡る。二千年来の英雄児ですな」

さらに陸奥はいった。この男は、のちに曠世の名外務大臣といわれた男だけに、竜馬の気持ちをたくみに刺戟しつつ、話を自分の思う壺にもってゆこうとする。

「長州人に言わせると、高杉の秘術のタネは一つだそうですよ。それは、困った、ということを金輪際いわない、ということだそうです。彼の自戒だそうです」

「おれはよくいうよ」

「高杉はいわぬそうですな」

高杉晋作は平素、同藩の同志に、「おれは父からそう教えられた、男子は決して困った、という言葉を吐くな」と語っていた。どんなことでも周到に考え抜いた末に行動し、こまらぬようにしておく。それでなおかつ窮地に落ちた場合でも、

「こまった」

とはいわない。困った、といったとたん、人間は知恵も分別も出ないようになってしまう。

「そうなれば窮地が死地になる。活路が見出されなくなる」

というのが高杉の考えだった。「人間、窮地に陥るのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし死地におちいればそれでおしまいだ。だからおれは困ったの一言は吐かない」と、高杉は、陸奥にもそう語っていたという。』

なるほど、深い話である。

私も比較的「困った」と言わない方だとは思うが、そのように意識したことはなかった。

ちょっと心に置いておきたいエピソードである。

ついでながら、そのちょっと後に「洞ケ峠の筒井順慶」という名前というか言葉が出てくる。土佐藩の改革を目指し刑死した武市半平太が、藩上層部の物の考え方を「洞ヶ峠の筒井順慶」と言って攻撃したという。

筒井順慶というのは戦国時代の武将で、信長の死後、親密な関係にあった明智光秀の応援に出向かず静観し続けたため、「日和見主義者」の代名詞とされていたようだ。

亀山社中の若者、中島作太郎が土佐藩指導部のことを「洞ヶ峠の筒井順慶」と言い、土佐藩の役人との面会に強い警戒感を示した際のやりとりが興味深い。

『「日和見などというものは、男として武士として最も恥ずべきことではないですか。卑怯者の上士どもの手に牛耳られているわが藩が、そこまで堕落していることは許せませんよ」

「それは四書五経の輪講の座ででも喋れ、世の動きというものはな」

と、竜馬はいった。

「筒井順慶で決まるものだぞ。時勢も歴史もそうだ。新旧激しく勝負をする。いずれかが勝つ。勝った方に、大勢の筒井順慶がなだれを打って加盟し、世の勢いというものが滔々として出来上がってゆくのだ。筒井順慶は馬鹿にならん」

「坂本さんは武市さんと違う」

と、中島は、不服そうにいった。

「武市さんなら、そういう不潔さ、不純さを許さない。坂本さんは許す。許すどころか、その勢いを使って何かしようとする」

「武市は善人でおれは悪人だ」

と、竜馬は笑いもせずにいった。

「武市半平太という男は、釈迦、孔子、ソクラテスの類いだ。おれとは人間の種類が違う。おれは秦始皇、漢高祖、織田信長、ワシントンの類いだ。人間の悪や不潔や不純を使って仕事をする」

私も若い頃は「武市型」だった。今はなかり「坂本型」に変わっただろうか。

これも年をとるということか。

「純粋」を少し失い、「老練」を少し得た。

さて、この「老練」を何に使うか、それが問題だ。

 

1件のコメント 追加

  1. wildsum より:

    「困らない男」、いいですね!わたしもそうありたいと思います。でも、悪いことをしても、「困らない男」、日本の首相はちょっと問題ですね。

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