<吉祥寺残日録>農地の賃貸ってちょっと面倒? #210112

我が家のお金の管理はすべて妻がやっている。

しかし、私も会社を辞め、シニアの生活に入ったのを機に、妻に万一のことがあったときに困らないよう、少しずつ私も家計の勉強をすることにした。

三連休明けの火曜日、妻について銀行に行って通帳に記帳する段取りを教わる。

もちろん記帳ぐらいできるのだが、妻の行動パターンを学ぶのだ。

妻は、吉祥寺ではどこのATMが空いてるとか、どうでもいいような細々した情報を私に吹き込んだ。

こんな家計の勉強を始めるきっかけとなったのは、確定申告の準備だった。

去年の半ばで会社を辞めたこともあり、サラリーマン時代とは家計の構造が大きく変わったので、妻は例年より早めに申告の準備に取り掛かったようだ。

その中で一つ、「農地法」について学んだことがある。

父から相続した田んぼの管理が自分でできないため、伯母が近所のおじさんと話をして管理してもらっているのだが、農地の貸し借りには通常の土地の賃貸とは違う特殊なルールがあることを初めて知った。

それが、「農地法」である。

農地法は1952年、GHQの命令を受けて成立した曰く付きの法律だが、GHQの狙いは農村への共産主義の浸透を食い止めることにあったという。

戦前の日本では、大規模地主が小作人を使って農業を行う地主制度が蔓延していて、日本を占領したアメリカが真っ先に手をつけたのが「農地解放」だった。

そのとき、政府によって強制的に買い取られたのは以下の農地だった。

  • 不在地主の小作地の全て
  • 在村地主の小作地のうち、北海道では4町歩、都府県では1町歩を超える全小作地
  • 所有地の合計が北海道で12町歩、都府県で3町歩を超える場合の小作地等

戦後のハイパーインフレのため、政府の買取価格はタダ同然となり、この農地解放の結果、およそ200万ヘクタールの広大な農地がタダ同然の価格で小作人に売り渡された。

これにより、日本の農村は小規模な自作農を大量に生み出す構造となり、結果として「農地法」を推進した自民党の絶対的な地盤となって共産党の進出を阻んだという。

戦後の農地解放自体は封建的な体制を打破する大きな意味があったが、農業人口が激減した現在では農地の集約化が進まないマイナス面が指摘されている。

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農地法では、賃貸についてのルールはどうなっているのか?

農地の売買や賃貸借に関する規定は、農地法の3条で次のように定められている。

農地又は採草放牧地について所有権を移転し、又は地上権、永小作権、質権、使用貸借による権利、賃借権若しくはその他の使用及び収益を目的とする権利を設定し、若しくは移転する場合には、政令で定めるところにより、当事者が農業委員会の許可を受けなければならない

ポイントは「農業委員会」の許可が必要だという点である。

貸す側、借りる側が合意しても農業委員会の許可を受けなければ正式な契約と見做されないというのだ。

さらに、農地法21条には・・・

農地又は採草放牧地の賃貸借契約については、当事者は、書面によりその存続期間、借賃等の額及び支払条件その他その契約並びにこれに付随する契約の内容を明らかにしなければならない。

私の田んぼのケースも田舎ではよくあることとは言いながら、農業委員会の許可と賃貸借契約書という点で、農地法に照らすと「違法状態」ということになるのかもしれない。

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田んぼは畑と違って管理が難しい。

私一人で稲作ができるとはとても思えない。

では、どうするか?

まずは貸している人と話すしかない。

私の伯母も近所のおじさんも高齢となり半ば引退という状態なので、農業を継ぐ予定のおじさんの息子たちと今後のことを相談するため直接連絡を取ることにした。

会社を辞めたのを機に、岡山の農地についても自分なりに活用方法を考えていかなければならない。

果たしてどんな未来が待っているのだろう?

大変だけれど、ちょっとワクワクもする。

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