<吉祥寺残日録>4ヶ月半ぶりの帰省を前に、我が家の家系図を作ってみた #210331

緊急事態宣言が解除された途端、目に見えて新規感染者数が増えてきて、早くも「第4波」というワードが騒がしくなっている。

「まん防」という新語をテレビで聞くことも増えてきた。

「まん防」とは、緊急事態宣言が出される前に知事の権限で柔軟に対策を取れる「まん延防止等重点措置」のことである。

人が増えると感染者も増える。

わかっちゃいるけど、やめられない人が多いのである。

なんと、厚生労働省の職員23人が深夜まで宴会をしていたことなどは、まさに日本中が緩み切っている象徴というほかないだろう。

そんな中、ちょっと気が引けながらも私も妻と一緒に岡山への帰省を計画している。

退職後のルーティーンにする予定の「月一農業」も緊急事態宣言のため4ヶ月間行くことができなかった。

岡山には90歳前後の年寄りが4人待っている。

今回は銀行関係の手続きをするのが第一の目的だが、電話で確認しているだけでも徐々に老化は進行していて、この機会に独居老人の見守りをしてくれる「包括支援センター」の担当者とも会って話を聞く予定にしている。

そして今回、私にはもう一つ、やっておきたいことがある。

それは私のルーツにまつわる情報を、母や伯母から聞き取ることだ。

私は今頃になって自分のルーツに興味を持つようになったが、父は既に亡くなり、父の兄弟も全員あの世に行ってしまった今となっては、母や伯母だけが貴重な情報源である。

ただ、2人ともお嫁に来た人であり、話していてもそれほど詳しくは知らないようだ。

それでも、知っていることだけでも確認しておこうと、少しでも記憶を呼び起こしやすいように私が知る限りの家系図を作ってみることにした。

以前もらっていた古い戸籍謄本や土地登記の資料などを引っ張り出し、そこに書かれていた先祖の名前や続柄、生まれた日、結婚した日、死亡した日などをチャートにしていく。

すると、4代前の高祖父と高祖母の名前までわかった。

私の直系の高祖父は勝次郎、高祖母は里という名前である。

いつ生まれたのか、何をしていたのかは定かでないが、岡山のこの村でずっと暮らしていたみたいなので間違いなく百姓だったんだろう。

その2人の二男として生まれた曽祖父は弥五郎。

分家して新しい戸籍を作り、同じ村の娘を嫁にもらった。

曽祖母の名は久女と書いて「ソメ」という。

曽祖父が生まれたのは1856年、江戸時代の安政3年と書かれていた。

そして弥五郎さんと久女さんの二男として生まれたのが私の祖父・庄八郎。

明治時代に生きた私の祖父は、アメリカに行ったことがあると聞かされたことがある。

私が学生時代、海外をフラフラしていた頃、「おじいさんの血だね」と言われたのだ。

ところがこの気楽だった二男は、ある事件によって跡取り息子となる。

長男の半太郎さんが、日露戦争で戦死したのだ。

日本に呼び戻された庄八郎さんは、「裸まつり」で有名な西大寺から嫁をもらい家督を継いだ。

祖父は私が生まれる前に亡くなったのでどんな人かは知らないが、お嫁さんに来た安野さん、すなわち私の祖母とは一時一緒に暮らしたことがある。

安野さん側のご先祖については、5代前まで名前がわかった。

安野さんの父は佐十郎、佐十郎さんの父は佐平次、佐平次さんの父は佐三郎というらしい。

戸籍には父親の名前だけが残っていることが多く、佐平次さんや佐三郎さんの奥さんの名前はわからなかった。

ただ、私の手元に残っていた戸籍はあくまで私の父方の祖先だけ。

私の母の家系についてはまだほとんどわかっていない。

母の両親は、母がまだ幼い時に亡くなっているので、母がどこまで自分の先祖のことを知っているかはわからないが、ボケてしまう前に聞けることは聞いておかねばと思った。

自分のルーツに興味が湧いてきたこと事態、私が暇になった証拠だし、リタイアしたおじいさんたちの典型的な行動に私も習おうとしている。

NHKで不定期に放送している『ファミリーヒストリー』のようにはいかないだろうが、私も可能な範囲で調べてみて、子孫に何らかの情報を残せたらと思う。

今は息子たちも興味を示さないだろうが、記録を残しておけば、彼らが歳を取った時に役立つかもしれない。

<吉祥寺残日録>月一農業2020年10月/ 草刈りに始まり草刈りに終わる #201004

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