<吉祥寺残日録>100歳の伯父の訃報 #200626

今年100歳になった伯父が亡くなったとの一報を受け取ったのは、岡山空港の出発ロビーで羽田行きの搭乗を待っている時だった。

伯父というのは、私の父親の一番上の兄であり、末弟である父よりも20年以上長く生きたことになる。

誰がみてもすぐにわかるほど、顔が父とそっくりな人だった。

伯父の訃報は、伯父の娘である私の従姉妹から私の妻の電話にもたらされた。

伯父は、私が岡山に行く前日の22日に亡くなっていた。知っていれば弔問にも行けただろうに、妻に連絡が入ったのは25日の昼過ぎだった。

通夜や葬儀は、ごく内輪ですでに済ませたそうだ。

コロナの時期でもあり、それはそれでいいのだが、従姉妹がなぜ岡山にいる伯母や母ではなく、あえて東京に住む私に妻に電話をかけてきたのかがちょっと引っかかった。

妻と従姉妹は法事の席で一度か二度会った程度の関係だったが、その「血の薄さ」が妻に連絡してきた理由だと私には推察された。

私の父は3人兄弟だった。

100歳で亡くなった長兄は、結婚した後に実家を出て同じ集落内に家を構えた。私はまだ幼かったので詳しい事情は知らないが、どうも祖母とお嫁さんの折り合いが悪かったらしい。

末っ子だった父は百姓になると言って農業高校に進学したにも関わらず公務員の道に進み、母と結婚して東京に出た。

その結果、次兄が実家を継ぐ形となったのだが、大黒柱である次兄は病気であっけなく亡くなり、30歳前で未亡人となった伯母が結局一人残って祖母の世話をすることになった。

長兄は同じ集落に住みながら、あまり実家には顔を出さなかった。その代わり、父が転勤で岡山に戻ると役所に訪ねてきて、相続の書類に印鑑を押すよう求めたという。

それは農地の相続に関する書類だったらしく、父は後になって「いい土地は全部アニキが取った」と酔うたびにボヤいていた。

長男なのに親や先祖の面倒を見ず、田畑のいい所をさっさと自分のものにして独立した伯父。その身勝手な行動は、家族の間に消し難いわだかまりを生み、私も成長してから伯父の家族とはほとんど交流がなかった。

中でも、貧乏くじを引いた形となった伯母の恨みは根深く、長兄一家のことをいつも悪く言っていた。

田舎の人間関係の面倒臭さを、私は強烈に感じながら育ったのだ。

今回の滞在中、我が家の田んぼがどこなのか確認しておこうと思い、伯母を車に乗せて見に行った時、思いがけず伯父のことが話題になった。

田んぼまではとても手が回らないと、伯母は近所の農家に田んぼを貸している。都会と違って、特に賃料を取るわけでもなく、対価として収穫したお米を受け取るわけでもない。ただ貸して、使ってもらうだけだ。

私の名義になっている田んぼに行くと、ちょうど貸している農家の人が田植えをしているところだった。普段は大阪と水島で働いている兄弟で、今週は休暇を取って田植えをしているという。

私名義の田んぼは区画がはっきりしていてすぐに確認作業が終わったが、伯母の名義になっているもう一つの田んぼは大型機械を入れるために畦道が崩されていて、どこからどこまでが我が家の田んぼなのか、にわかにはわからなくなってしまっている。

田植えをしていた兄弟も、どこが誰の田んぼなのかは知らないというので困っていると、ちょうど車で通りかかったおじさんがいろいろ教えてくれた。

「あんたんとこの田んぼはな、あそことここと、あそこもだ」

おじさんが教えてくれた田んぼの多くは、私名義でも伯母名義でもない。つまりは、今回亡くなった伯父が相続したものなのだろう。

父がボヤいていたように、道路に面した形の良い田んぼはすべて長兄の名義になっていた。

別に今更、農地がもっと欲しいわけではないが、今の感覚で言えば明らかに不公平に見えた。昔は長男が農地を相続するのは当たり前だったのだろうが、それならば親や先祖の面倒を見る責任もあっただろう。

伯父はどうしてそんな行動を取ったのだろうと改めて感じた。

その行動によって、どれだけ深い溝が家族の間に入り、今もその溝が従姉妹に引き継がれようとしている。

悲しい話だが、よく聞く話でもある。

岡山から東京に戻って妻から話を聞いた私は、従姉妹にお悔やみの電話を入れた。

幼い頃、年上だった従姉妹に遊んでもらった記憶もかすかにあり、私自身は特段のわだかまりを持っているわけではない。

電話に出た従姉妹は夫に先立たれたうえ、100歳まで介護を続けてきた父親を見送った直後なので、ちょっと疲れた声に聞こえた。

従姉妹は「コロナもあるので、弔問も香典も辞退したい」ときっぱりとした口調で言った。

それでも私に対しては特別悪い感情は持っていないようで、普通に会話ができたのが救いだった。正直ちょっとホッとした。

従姉妹は今、岡山県内の別の場所で暮らしていて、親が残した家や農地の管理をするために時々通っているそうだ。歳を取るにつれ、それが大きな負担になっていると愚痴った。

かつて農家にとって生活の基盤であり、富の源泉であったはずの農地が、今では相続者が持て余す厄介物となっている。

同じ悩みを抱える者として、コロナが収まった頃、従姉妹を訪ねていろんな話をしてみたいと思った。

子供の頃は親戚付き合いが大嫌いだったが、私にとっては数少ない従姉妹である。

せっかくならば、親たちの代にできた溝を少しでも埋められればと願っている。

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