<吉祥寺残日録>月一農業2020年6月/強い草と弱い草 #200625

有給休暇を使って2泊3日。

今月の月一農業のテーマも、草刈りだ。というか、今の私にできるのは、夏の草刈りと冬の竹切りだけなので、せいぜい先月購入した草刈機に慣れるのが当面の目標となる。

6月23日に岡山に到着し、そのままレンタカーで伯母の家に直行した。翌日の作業に備えて、草刈機のバッテリーを充電することと畑を回って草の伸び具合をチェックスする。

細いあぜ道を通らないとたどり着けない小さな畑には、足が弱ってきた伯母は近づかなくなっているため、ここが一番草が伸びていた。人が入らなくなると、たちまち畑は自然に飲み込まれてしまうのだ。

集落を見下ろす丘の上にあるその畑は、一面に草が生い茂っていた。

24日の午前7時。

梅雨だというのに、雲ひとつない青空が広がっていた。緑色に輝く雑草と青空のコントラスト。この光景を眺めているだけで、都会人としては癒される。

涼しい風が吹きわたっていく。農家の人たちは朝早くから働き、昼間は家で休んで、夕方再び畑に出る。

自然が決めた生活のリズム。この風の気持ちよさを感じるだけで、その生活リズムの正しさを実感できる。

先月購入したばかりの電動草刈機は快調だ。

背が高くなった草もどんどん切り倒していく。

無心で草と格闘していて気づいたことがあった。

強い草と弱い草があるのだ。

幹が太く背の高いいかにも強そうな草は草刈機で簡単に刈れるのだが、なよなよとしたしなやかな草は草刈機の攻撃をヒラリとかわして簡単には倒れないのだ。

ちょっと意外だったが、何となく人間と似ていると思った。

一見強そうに見える人はピンチに弱かったり、普段おとなしそうに見えていた人が危機の時に思わぬ活躍をしたり、そんな光景を会社生活で何度目撃しただろう。

そして、もっとも手強い草は、つる草の類だ。つるが絡み合っていて草刈機を入れると回転する刃に絡みついて私の作業を妨害する。

つる草というのは、人間でいうとネットワーク型、つまり会社の内外に幅広い人脈を持ち、グループの力で課題を解決するタイプの人だろう。

誰かひとりの都合がつかなくても、他の人を代わりに入れて仕事を継続する。一つの方法がうまくいかなくても、別のアプローチに切り替えることができる。そんなネットワーク型の人材こそが、もっとも強い人なのだ。

そうして20分ほど草と格闘していただろうか?

「きれいに」とはいかないが、伸び放題だった背の高い草はすべて片付けて、桃の木だけが畑の中に残った。

伯母が何年か前に植えた桃の木だが、今年は誰も世話をしなかったので、探してみても一つも実がついていない。

私は、放置しておいても勝手に小さな実をつけるものだと思っていたが、どうやらそう簡単ではないようだ。

桃の畑の草刈りが終わり、まだバッテリーには余裕があるようなので、ついでに駐車場の草も刈っておくことにする。

この土地は、昔は小さな水田だったが、公務員をしていた私の父が相続して、その水田に土を入れた。ひょっとすると、引退後に住む家をこの土地に建てようと思っていたのかもしれないが、父が死んだ今となっては確かめようがない。

空き地のまま放置されていたが、集落の中では比較的道路のアクセスが良いため駐車場として借りたいという人が現れて、今はその人が車を停めている。

駐車場とは言っても都会とは違って、盆暮れにわずかなお金をもらうだけのことだ。とてもビジネスとは言えない。

そして日中は休んで、夕方再び草刈りに出かけた。

今度はお墓の周りにある小さな畑。

ここには最近、伯母がみかんの木を植えた。

ここでも20分ほど草刈機を動かし、一面に生い茂っていた草をなぎ倒した。

88歳になる伯母はこれまでひとりで、しかも鎌一本でこの夏草たちと戦ってきたのだ。

私が草刈機を使っているのを眺めながら、年老いた伯母は自分の周囲に生えた草を絶え間なく手で引き抜いている。それは、意識して草を抜いているのではなく、長年の生活の中で、休む間も周辺の草を抜くことが自然に染み込んでいる人の動きだった。

草刈りひとつでも、本当に奥が深い。

当面は自分で作物も育てていないので、夏の間は毎月一回こうして草を刈る生活が続くのだろう。

でも、今年の秋からは、使っていない畑の一部を使って、また野菜を育ててみようと思っている。

なるべく手間がかからず、初心者にも簡単にできる野菜を選ぶため、秋までに少し野菜のことを知らなければならない。

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